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このところ、通勤の車中でエンドレスに聴いていたのが、モーツァルトの「ポストホルン・セレナード」K.320。
解説書によると、器楽曲としてのセレナードは、サロンの発達と共に盛んになった音楽だという。教養の高い貴族が、同じような貴族たちとの交流のために、自前の管弦楽団に演奏させた背景音楽。貴族たちの政治的な情報交換や様々な噂話、貴婦人たちの芸術や恋愛談義、ゴシップ話のかたわら、ふっと耳に飛び込む素敵な響きや旋律。そうして雇い主の耳に残らなければ生き残れなかった音楽師たち。ザルツブルグ時代のモーツァルトは、音楽的なレベルについて、自覚と誇りを持っていただろう。同時に、ザルツブルグの中でそれを理解してくれる人がごく少ないという事実も、痛切に感じていたことだろう。まだ故郷との決別に至らない時代、聞き手を楽しませる工夫に努めながら、「これでもか」とばかりに創作で立ち向かっていた頃の作品ということになる。
第1楽章、アダージョ・マエストーソ~アレグロ・コン・スピリート。堂々とした開始。途中、「ロッシーニ?」と思わせる軽快なところもあり、ロッシーニがモーツァルトをパクったのかな。
第2楽章、メヌエット、アレグレット、トリオ。いかにもモーツァルトらしいメヌエット。「あら、ちょっと踊りましょうか」となりそうな音楽。
第3楽章、コンチェルタンテ、アンダンテ・グラツィオーソ。
第4楽章、ロンド、アレグロ・マ・ノン・トロッポ。
第5楽章、アンダンティーノ。陰影に富むオーボエの響きが印象的なモーツァルトのニ短調。
第6楽章、メヌエット、トリオ。この楽章にポストホルンが加わる。
第7楽章、フィナーレ、プレスト。
演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。CBS-SONY 32DC-213 という型番を持つ、1984年頃に発売されたリミックス・マスターによるCDである。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が併録されており、録音もたいへん聞きやすい。
サロンの背景音楽は、本来の趣旨からすれば室内管弦楽団で演奏するのが正当なのだろうが、現代の大オーケストラで演奏すると、本当は実に立派な音楽であったことがわかる。当時、貴族のサロンで演奏されていた音楽を、もし現代の大オーケストラで演奏したら、どの程度楽しめるものなのだろうか。モーツァルトの創作の水準が抜群に高かったから、こうした背景音楽も現代まで残ったというべきだろう。
この演奏のLPが発売されたとき、某レコード雑誌に、セルとクリーヴランドの恐るべき合奏力により逆に機会音楽の冗長さを感じさせられる、というような趣旨の批評が掲載されたことがあった。このような見解には賛成しかねるものがある。
参考までに、演奏データを示す。
■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
I=7'33" II=4'25" III=7'31" IV=5'29" V=5'29" VI=5'06" VII=3'53" total=39'26
解説書によると、器楽曲としてのセレナードは、サロンの発達と共に盛んになった音楽だという。教養の高い貴族が、同じような貴族たちとの交流のために、自前の管弦楽団に演奏させた背景音楽。貴族たちの政治的な情報交換や様々な噂話、貴婦人たちの芸術や恋愛談義、ゴシップ話のかたわら、ふっと耳に飛び込む素敵な響きや旋律。そうして雇い主の耳に残らなければ生き残れなかった音楽師たち。ザルツブルグ時代のモーツァルトは、音楽的なレベルについて、自覚と誇りを持っていただろう。同時に、ザルツブルグの中でそれを理解してくれる人がごく少ないという事実も、痛切に感じていたことだろう。まだ故郷との決別に至らない時代、聞き手を楽しませる工夫に努めながら、「これでもか」とばかりに創作で立ち向かっていた頃の作品ということになる。
第1楽章、アダージョ・マエストーソ~アレグロ・コン・スピリート。堂々とした開始。途中、「ロッシーニ?」と思わせる軽快なところもあり、ロッシーニがモーツァルトをパクったのかな。
第2楽章、メヌエット、アレグレット、トリオ。いかにもモーツァルトらしいメヌエット。「あら、ちょっと踊りましょうか」となりそうな音楽。
第3楽章、コンチェルタンテ、アンダンテ・グラツィオーソ。
第4楽章、ロンド、アレグロ・マ・ノン・トロッポ。
第5楽章、アンダンティーノ。陰影に富むオーボエの響きが印象的なモーツァルトのニ短調。
第6楽章、メヌエット、トリオ。この楽章にポストホルンが加わる。
第7楽章、フィナーレ、プレスト。
演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。CBS-SONY 32DC-213 という型番を持つ、1984年頃に発売されたリミックス・マスターによるCDである。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が併録されており、録音もたいへん聞きやすい。
サロンの背景音楽は、本来の趣旨からすれば室内管弦楽団で演奏するのが正当なのだろうが、現代の大オーケストラで演奏すると、本当は実に立派な音楽であったことがわかる。当時、貴族のサロンで演奏されていた音楽を、もし現代の大オーケストラで演奏したら、どの程度楽しめるものなのだろうか。モーツァルトの創作の水準が抜群に高かったから、こうした背景音楽も現代まで残ったというべきだろう。
この演奏のLPが発売されたとき、某レコード雑誌に、セルとクリーヴランドの恐るべき合奏力により逆に機会音楽の冗長さを感じさせられる、というような趣旨の批評が掲載されたことがあった。このような見解には賛成しかねるものがある。
参考までに、演奏データを示す。
■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
I=7'33" II=4'25" III=7'31" IV=5'29" V=5'29" VI=5'06" VII=3'53" total=39'26
いい曲ですね、第1楽章からもう大好き。
終楽章のプレストも爽快そのもので、聴き終わった満足感は高いです。
ベーム盤を愛聴してます。6楽章のポストホルンが最後に一寸音がかすれますが、それもお愛嬌、デスヨ。
盤友がヴェーグのCDをくれました。素晴らしい演奏でした。
そこで、「ポストホルン・セレナード」で検索していたらnarkejpさんのエントリーが。
TBさせていただきました。
セルの演奏は我が家にはありません。ショップで探してみなくちゃイケマセンね。