中公文庫で、浅田次郎著『流人道中記』上巻を読みました。先の旅行の際に大宮駅の書店で購入したもので、しばらく積読した後、お盆の来客待ちの時間を利用してこのほど読み終えたものです。多分、初の浅田次郎作品ではなかろうかと思います。
本書のカバーには、次のような紹介文が載っていました。
うーむ、これはそのまま上巻を要約しているもので、たぶん ChatGPT でもこれ以上の要約はできないだろうと思わせるものですが、ネタバレしない程度に私の感想をメモしておきましょう。
下巻ではどんなふうになるのだろう、結末はどうなるのだろうと興味をもたせますが、青山玄蕃本人が納得しているらしい様子を見ると、どうも解決の難しさを感じます。
本書のカバーには、次のような紹介文が載っていました。
万延元年(1860年)。姦通の罪を犯した旗本・青山玄蕃に奉行所は切腹を言い渡す。だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ。」玄蕃は蝦夷松前藩へ流罪となり、押送人の見習与力・石川乙次郎とともに奥州街道を期待へと歩む。口も態度も悪く乙次郎を悩ませる玄蕃だが、道中行き合う事情を抱えた人々を、決して見捨てぬ心意気があった。
うーむ、これはそのまま上巻を要約しているもので、たぶん ChatGPT でもこれ以上の要約はできないだろうと思わせるものですが、ネタバレしない程度に私の感想をメモしておきましょう。
- 青山玄蕃の侍言葉と伝法な口調との落差は著しいものがあり、特に伝法な方に山手樹一郎か柴田錬三郎あたりの「のんきな大名」の流れかと思ってしまいます。
- 押送先の三厩までの旅の途中で様々な事件が起こり、流人と押送人の二人がそれらに絡む話になっていますが、その中でそれぞれの事情や人となりが少しずつ明らかになっていく過程はさすがにうまいです。
- 堅物で四角四面に肩肘張った19歳の見習与力・石川乙次郎と、世故に長けた三千五百石の元上級旗本の殿様である青山玄蕃のやりとりは、ちぐはぐというか、極端な対比となっています。そこで感じられる青山玄蕃の二重性というか意外なほどの「まともさ」は、読者に冤罪を想起させるのに充分です。
下巻ではどんなふうになるのだろう、結末はどうなるのだろうと興味をもたせますが、青山玄蕃本人が納得しているらしい様子を見ると、どうも解決の難しさを感じます。
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