電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

こだわりは煩悩の一種なのかも

2021年03月03日 06時00分27秒 | Weblog
物事には、しばしば両面があります。慎重さと優柔不断はメダルの表裏の関係にありますし、決断力と軽率さも区別が難しいように感じます。結果がうまく行けば決断力を称えられ、うまく行かないと軽率な判断を指摘されるというのが実情でしょう。

今の時代、こだわることは良いこととされていますが、そういう見方をした場合、はたしてどうなのか。例えば道具へのこだわり、嗜好品へのこだわり、ブランドへのこだわりなどです。お気に入りのものに囲まれていれば、確かに気分がいいのですが、やがて飽きたり別の欠点が見えてきたりして、また別のものを探し始めたりします。要するに、こだわりは進歩の原動力にもなる反面、別の面から見れば煩悩の一種なのかもしれません。重要でないことにはあまりこだわらず、今そこにあるもので済ませることも、実は融通無碍に対処できて良いことなのかも。(自戒を込めて。)


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2 コメント

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Unknown (おなら出ちゃっ太)
2021-03-03 20:20:09
ここ数年、飲食店などで「こだわりの」という惹句を売りにしているのが目立ちます。
ですが、「お前はまだ、そんなことにこだわっているのか?」というフレーズを思い浮かべれば、
「こだわる」が必ずしも良い意味ではないことがわかりますねー。
作家の森博嗣は以前から指摘していましたが、その通りと思います(彼はへそ曲がりで言っている部分もありそうですが)。
「こだわり」を「とらわれ」と解していましたが、なるほど「煩悩の一種」とは言い得て妙。
ぼくも「キーボードはハッピーハッキングキーボードじゃないとダメ」とか、「文章を書くならワードよりもテキストエディタでしょ!」なんて「こだわり(=煩悩)」を捨て……、たくはないな。それは「こだわり」じゃなくて、「自分のやり方」?

なにか、適切な言い換えがないでしょうか?
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おなら出ちゃっ太 さん、 (narkejp)
2021-03-03 21:23:45
コメントありがとうございます。「ワードよりもテキストエディタ」くらいなら、こだわりというよりも道具の適切な選択というレベルかと思います。こだわりというと、テキストエディタなら vi / Emacs 以外は認めないというようなレベルで、こうなるとこだわり度合いが強烈ですね。
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