電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

佐伯泰英『白桐ノ夢~居眠り磐音江戸双紙(25)』を読む

2009年07月16日 06時04分52秒 | -佐伯泰英
幕府御典医である桂川国端と桜子の婚儀で始まり、磐音とおこんの祝言で終わった前巻に続き、佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ第25巻『白桐ノ夢』を読みました。

第1章「殴られ屋」。季節は初夏です。西国武者修行中の松平辰平から書状が届き、目録を得たとのこと。ライバル利次郎は、焦ります。道場改築に携わった大工の棟梁の銀五郎が、磐音とおこんの子どもが生まれたときのためにと、桐の苗木を持って来ます。薄紫の桐の花はきれいですが、牡丹や椿同様ポトリと落ちる様を武士が好むかどうか。まあ、大平の世ですから、ぜんぜん気にしなくなっているかもしれませんが(^o^)/

江戸城に出仕した鐘四郎は、西の丸の主、世嗣家基から磐音に伝言を託されます。途中で見かけた殴られ屋・向田源兵衛の大道芸は、見事な技量でした。
第2章「鰻の出前」。江戸城に宮戸川の鰻料理を届ける。御典医・桂川国端さんの職務利用による密輸大作戦は、悪ノリついでにデザートの桜餅まで調達することに。おかげで桜餅屋の気の強~い娘も、乱暴武家を退散させることができました。そして本番の密輸大作戦は大成功です。しかし、よくバレなかったものですね。西の丸のセキュリティ・チェック体制は、相当に甘そうです。それでは、雑賀衆が自由に入り込むのも無理はありません。
第3章「武左衛門の哀しみ」。本章は、過日のテレビ番組「陽炎の辻3」で放送された回の原作です。番組の脚本は、色々な都合上、そうとうに改変されていたようですが、基本的なところ~竹村武左衛門が怪我をして寝込んでおり、品川柳次郎と磐音の幸せの到来に比べ、日雇い浪人暮らしをすねて家族を泣かせますが、娘の早苗が奉公をすることには反対する~は踏襲しております。ただし、原作の方が内容は豊富で、おこん、おえい、お佐紀、品川の幾代らの深川めぐり船遊びと宮戸川の鰻のグルメ旅という賑やかな趣向も加わっております。
第4章「西の丸の怪」。速水左近が西の丸に乱波集団が入り込んだことを知らせます。一方、今津屋には、縫箔修行に出た姉おそめに代わり、妹おはつが奉公にあがることになります。向田源兵衛と旧藩の武士たちとの抗争に出くわしたおこんとおえい、お佐紀らの一行の件といい、新婚の桂川桜子さんのストレス解決といい、周辺のエピソードにも事欠きません。
しかし、母親の胎内で百年の時を過ごし、生まれて二年ですでに老人の相貌とは、現代のクローン技術もびっくりの怪事です。作者はあくまでも講談調エンターテインメントに徹するつもりのようで、どうやら見かけの合理性さえも蹴飛ばしているようですなあ(^o^)/
第5章「穏田村の戦い」。佐々木道場恒例の勝ち抜き戦は順調に進み、竹村武左衛門の娘・早苗の奉公先は、おこんのやや子の誕生時の女手不足を想定して、尚武館佐々木道場と決まります。武左衛門の同意も得て、雨降って地固まる風の結末。ただし、武左衛門氏、TVでは少々大人げなく泣きすぎでした
そして始まった乱波集団との闘争に、忠犬白山も大活躍です。とても昼寝が趣味の平和主義の大型犬とは思えません。さらに所を変えて江戸城西の丸百間廊下での闘争が描かれます。ここでは、弥助と霧子らと共に、奸三郎丸多面を倒してまずは敵の意図を斥けます。そして幕切れは、向田源兵衛と旧藩士との闘争に磐音が立ち合い。作者の通例からして、たぶんこの人物も、後に重要な役割で再登場することになるのでしょう。おこんさん、すっかり落ち着いて、武家の嫁の立場がしっくりとくるようになりました。
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家から持参した野菜で、朝食とお弁当

2009年07月15日 06時02分22秒 | 料理住居衣服
家から持参した野菜で、朝食とお弁当を作りました。スーパーでトマトとしめじとショウガを購入し、我流のラタトゥイユ風・西洋野菜炒め(*)と、トマトとタマネギのサラダ、スープのかわりに大角豆(ササギ)の味噌汁です。あとは、バターロールをバターで。

お弁当は、パンのかわりに、冷凍していたごはんを解凍して、おかずは基本的に同じですが、キムチに漬けていたキュウリを添えました。



ちなみに、使っているタマネギは、当地のサクランボが変身して帰ってきた熊本県水俣産のサラダタマネギです。これは、スライスしてドレッシングで食べていますが、ほんとにおいしいです(^o^)/

(*):ラタトゥイユに似ているが少し違うメニュー~「電網郊外散歩道」より
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ロッシーニ「弦楽のためのソナタ」を聴く

2009年07月14日 05時56分02秒 | -室内楽
携帯音楽プレイヤーというのはありがたいものです。野外に音楽を持ち出し、ほっと一息ついた時などに、心から楽しむことができます。都会では、イヤホンから洩れるシャカシャカ音がうるさいとかなんとか、とかくやり玉に挙げられることが多いようですが、なに、要するに混雑のストレスが人でなくモノに向けられているだけの話、その昔のカセット・ウォークマンから最近の携帯電話まで、とかく批判されてきたものです。その点、田舎の畑や農道では、誰に気兼ねする必要もありません。

ロッシーニの「弦楽のためのソナタ」、第1番から第6番まで、シンプルな優美さと美しさを持った音楽です。作曲者が12歳のときの作品だそうで、今ならば小学校六年生くらいでしょうか。たしかに、早期教育を受けた小学生ならば、大人顔負けの作品を創作して見せることはありえます。小学校高学年は、意識の上では「小さな大人」とでも言うべき時代で、ここから中高生時代の混沌を経て、ハイティーンあたりから20代にかけて、自分なりの価値観を形作るものかと思います。そしてこの混沌の年代には、かつての自分の作品を否定し、新たな価値を作ろうともがくのですね。これは、ロッシーニ自身が一度は否定した、いわば「小さな大人」の時代の作品というべきでしょう。

CDは DENON の COCO-70512~3 という型番で、クレスト1000シリーズ中の二枚組です。演奏はイタリア合奏団で、1987年の7月~8月、イタリアのコンタリーニ宮で収録されたデジタル(PCM)録音です。録音された音はたいへん自然で明瞭なもので、1950~60年代前半のステレオ録音と比較すると、ふわっとした柔らかい高音や、明瞭できれの良い低音などの点で、格段の相違です。
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近ごろ購入した本と音楽CD

2009年07月13日 06時09分58秒 | Weblog
先日、久々に何度か書店に行く機会があり、本と音楽CDを購入してきました。

(1)半藤一利『幕末史』(新潮社)
(2)ジュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』(集英社文庫)
(3)朝日新聞社編『原爆・五百人の証言』(朝日文庫)
(4)「アルゲリッチ&フレンズ」シューマン室内楽リサイタル



(5)茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』(講談社文庫)
(6)ガイドブック『広島・宮島・尾道・倉敷』

などです。聴きたいCDや読みたい本がたくさんあるというのは、実に嬉しく幸せなことです(^o^)/
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父の一周忌

2009年07月12日 21時06分04秒 | Weblog
本日は、父の一周忌です。だいぶ前から、準備を進めてきました。家族が帰省し、親族も集まります。今回は、手料理をご馳走したいという老母の希望で、自宅で行うこととしました。集まる人数は20名以上、襖も間仕切りも取り払うと、広々とした続きの間が出現します。田舎の日本家屋の特徴です。少々窮屈ですが、ここで一周忌の法要を行い、その後で寺に移動し、読経と焼香を行います。その間に、近所の魚屋に依頼した料理が自宅に届きますので、老母の手料理を加えて、妻と娘たちが並べる段取りになっています。幸いにお天気は曇りの予報で、あまり気温は上がらないとのこと。親族も高齢の方々が多いので、助かります。



備忘のために、仏壇の飾りを撮影。裏の果樹園から、赤く色づいたスモモ(大石早生という品種)を収穫し、冷蔵庫で冷やしてたくさん準備しました。昔ながらの味に、年配の方々は懐かしさを感じたようです。



セピア色の写真は、当日の様子を Gimp で加工したものです。昔は、よくこんな形で法事を行っていたものでした。年配の親族も昔の懐かしい話をして嬉しそうで、住職も老母の手料理をペロリと平らげ、満足して帰られました。亡父もきっとにこにこ喜んでいることでしょう。
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モンゴメリ『アンの青春』を読む(3)

2009年07月11日 05時57分40秒 | -外国文学
モンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズ(*1)第二作『アンの青春』を、松本侑子訳の集英社文庫で読んでいます。アヴォンリーの学校で教師生活をしているアンの日常は、派手な色恋沙汰とは無縁ながら、相変わらず愉快です。

第21章「すてきなミス・ラヴェンダー」第22章「人それぞれの近況」。夏休みが終わって学校が始まり、アンは学校に戻ります。秋を迎えた金曜の夕方、アンはダイアナと一緒に歩いて出かけます。ところが分かれ道で間違った方へ行ってしまい、森の小径で小さな石の家にたどり着いたのでした。そこは魔法の家ではなくて、ずっと昔に、ポール・アーヴィングの父親と婚約していたという、ミス・ラヴェンダー・ルイスが、お手伝いの娘と一緒に住んでいる「こだま荘」でした。ミス・ラヴェンダーを、アンは「心の友」と感じます。ポールの父スティーヴン・アーヴィングとミス・ラヴェンダーが、どうして仲違いをして婚約を解消したのか、アンの見解は

「後になってみると、全然大したことじゃなかったかもしれないわ。人生は小さなことのほうが、大きなことよりもずっと厄介をひきおこすのよ」

とのこと。うーむ。なかなか深い洞察であるなあ。
第23章「ミス・ラヴェンダー、昔の恋を語る」第24章「預言者は地元では信用されないというが」。12月の雪の中、アンはこだま荘を訪れ、御年45歳の独身女性の昔の恋の話を聴きます。ちょっとした行き違いと不機嫌が双方のプライドに後押しされて、ついに別れ別れになってしまった話。なるほど、これはきっと、アンとギルバートの行く末に対する教訓なのでしょう。一ヶ月後に、同行したポールと対面して、もしかしたら自分にも生まれていたかもしれない子供の姿に、ミス・ラヴェンダーの心はひそかに波立つものがあったことでしょう。
それはさておき、シャーロットタウンの新聞に「アヴォンリー覚え書き」という匿名記事が掲載され、その中にある嵐の予報記事がたまたま当たってしまったために、アンクル・エイヴが預言者のようになってしまったそうな。しかし、相当の被害ですね、これは。
第25章「アヴォンリーの仰天事」第26章「曲がり角のむこう」。またも新聞の匿名記事のおかげで、気難しい隣人ハドソン氏の奥さんが押しかけ、別居中の夫婦の「よりが戻る」結果に。ギルバートがホワイトサンズの学校の教師をやめ、秋には島を出て大学に行くとの知らせを伝えたレイチェルの夫君が亡くなります。マリラはアンに大学に行くようにすすめ、自分はレイチェルと一緒に暮らすつもりだと伝えます。アンとギルバートの二人が村を出たら、ダイアナは寂しくなりますね。
第27章「こだま荘の昼下がり」第28章「王子様、魔法の宮殿にもどる」。無邪気なデイヴィとの会話を打ち切り、アンはポールを連れてこだま荘を訪ねます。ポールがお父さんの話をすると、ミス・ラヴェンダーの美しい顔に、今もさっと赤みがさすのです。失われた希望、失われた夢、失われた喜びのこだまの中で、20年以上も過ごした日々を思うのか、ミス・ラヴェンダーは近頃元気がないのです、と、アンを崇拝する、主人思いのお手伝いの娘シャーロッタ四世(^o^)は心配しています。大学に行くことになり、学期末を区切りに教師生活をやめることになったアンとの別れを、子供たちは悲しみます。子供たちを教えながら、逆に教わることのほうが多かった、という描写も、たぶん経験からくる作者の実感だったのでしょう。そしてポールの父スティーヴン・アーヴィングが帰郷し、石の家にかつての婚約者を訪ねるのです。その結末は……言わずもがな、でしょう。
第29章「詩のように見る人、平凡に見る人」第30章「石の家の結婚式」。スティーヴン・アーヴィングとミス・ラヴェンダー、そしてダイアナとフレッド・ライト。様々な婚約と幸福に、若い娘アンが心を動かさないはずはないのです。結婚式の終わりに、石の家の施錠を引き受けた赤毛の娘は、一人物思いに沈みます。そんなアンに声をかけてきたギルバートと共に歩くアンは、レドモンド大学での生活の向こうに、夢と笑い声と人生の喜びを見るのです。



わが娘が結婚するとき、たしか「恋は情熱だが、愛情には理解と忍耐が必要だ」という言葉を贈ったものでした。賢明な青年に成長したギルバート君は、理解と忍耐の必要性を、どうやら充分に知っているようですね。

(*1):モンゴメリ『赤毛のアン』を読む(4)~「電網郊外散歩道」より
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モンゴメリ『アンの青春』を読む(2)

2009年07月10日 06時30分01秒 | -外国文学
モンゴメリ原作の『赤毛のアン』シリーズ第2作、『アンの青春』を、松本侑子訳の集英社文庫で読んでいます。

第11章「現実と空想」第12章「ヨナの日」。小さい子供を教えるということの驚きと喜びを、子供の作文を通して手紙形式で描いています。おそらくここは、作者の実際の経験に基づいくところでしょう。おそらく作者は「お気に入りの子供」を作ってしまうタイプだったのではないかと思ってしまいますが、子供を描く観察力はさすがです。アンソニー・パイを手なずけたやり方は、理想だけではどうにもならない現実を、少しずつ受け入れていくアンの成長の過程なのでしょうか。
第13章「夢のようなピクニック」第14章「危険は去った」。春の一日、アン、ダイアナ、プリシラ、ジェーンとそれぞれ性格の異なる四人の乙女がピクニックを敢行。三人寄れば何とやら、四人ならば現実にはこの程度ではすまなかったようにも思いますが、ヘスター・グレイの庭を発見し、アヴォンリーにもまだまだ道の場所が少なくないようです。現実の前に現実的に対応する分別を身につけつつあるアン。塀を売薬会社の広告に貸すというジャドソン・パーカー氏の弱みを握ったところなど、なかなかたいしたものです(^o^)/
第15章「夏休み、始まる」第16章「待ちこがれた訪問、決まる」。夏休み。それは日本のように途中の長い中断なのではなくて、年度の終わりの、契約更改の時期を意味します。新米教師としてのアンは、賞賛の言葉の中で契約を更新することができたようです。亡き母の墓参りに行くというポール・アーヴィングや、アラン牧師夫人との会話も、後で意味を持って来そうです。

「友情はたしかに美しいものよ」アラン夫人はほほえんだ。「でも、いつかは---」

この後に続く言葉は何なのか。たぶん、友情に対する懐疑的なものではなく、ギルバートとの将来に対する予言だったのかなと思います。デイヴィとドーラの双子の相手をしながら、作家モーガン夫人を迎える準備です。
第17章「思いがけない災難続く」第18章「トーリー街道の変てこ事件」。大事な来訪者を待っている時ほど、不運な出来事が頻発するのは、やはり注意力が散漫になっているからでしょうか。いたずらっ子がレモンパイの上に大の字になって転倒し、グリーンピースにお砂糖は入れすぎ、借りた皿は粉々に割れるという不運が続き、きわめつけはゲストが怪我で凝られないというものでした。幸いに、借り物の皿は代わりを入手でき、変てこな事件は一段落の模様です。
第19章「幸せな一日」第20章「事は往々にして予期せぬときにおきるもの」。不在の父親が息子ポールに贈った誕生日のプレゼントは、亡き母の写真でした。デイヴィは少しずつ良い子になろうとし、ギルバートは改善協会の良い知らせを持ってきます。たしかに、

「結局、幸せで楽しい暮らしとは、華やかなこと、驚くようなこと、胸ときめくようなことがおきる毎日ではなく、さりげない小さな喜びに満ちた一日が、今日、明日としずかに続いていくこと」(p.236)

なのですね。アンがマリラに語った述懐は、本質をついているようです。もちろん、鼻を赤く染めてしまって、憧れの作家モーガン夫人の来訪を出迎えたことなど、不幸のうちには入りません(^o^)/

アンの笑える失敗が披露される回数はぐっと減り、マリラのぴりっとした警句の出番も減っています。代わって受け持ちの子供たちや双子を生き生きと描く場面、あるいは様々な隣人たちを描く場面などが増えています。子供の視野から若者のそれへ、視野がだいぶ広がっているということでしょうか。
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モンゴメリ『アンの青春』を読む(1)

2009年07月09日 06時21分35秒 | -外国文学
モンゴメリ原作の『赤毛のアン』シリーズ第二作、『アンの青春』(松本侑子訳、集英社文庫)を読み始めました。前作では、孤児のアンがマシューとマリラの兄妹に引き取られて成長し、クイーン学院に進学し奨学金をかち得るのですが、マシューの急死で運命ががらりと変わるところまででした。では、その続きは?

第1章「怒りっぽい隣人」第2章「慌てて売って、ゆっくり悔やむ」。問題は、牛です。怒りっぽい隣人の畑に飼い牛が入り込み、野菜を食べてしまうと抗議を受けたアン、また牛が隣家の畑に入っているのを見て大いに焦り、慌てて牛を売ってしまいます。ところがそれはアンの家の牛ではなかった、というオチです。
第3章「ハリソン氏をたずねる」第4章「体罰の意見さまざま」。意外なことに、アンはハリソン氏とうまくやれそうです。それよりも、ムチを使うべきか否か、という教育論議は、いかにもこの時代のものという気がします。
第5章「女性教師の巣立ち」第6章「男も女も人さまざま」。アンが習い心酔したステイシー先生は、村で初めての女性教師でしたが、さて、アン自身は何人目だったのでしょうか。初めての一日は、さぞや緊張したことでしょう。ドネル夫人のような人は、なんとなく今でもいそうです。村の改善協会というグループは、素朴な活動ですが、でも素朴なほど良いものなのかもしれません。今の時代なら、「選挙にでも出るのかい?」などと言われかねない(^o^)/
第7章「義務を語る」第8章「マリラ、双子をひきとる」。今の職を譲ってくれたギルバートと、家の前で話をするようになっています。ギルバートは、教師の仕事を通じて学費をためて、医者になろうと決心しているのです。マリラは双子を引き取ることになるのですが、いやはや、この双子の状況はすごいものです(^o^)/
第9章「問題は色だった」第10章「デイヴィ、刺激を求める」。村の改善協会の活動は、多くの賛同を得て、ついに公会堂のペンキの塗り直しを実現します。ところが、やっぱり最後の詰めが甘いですね。現場の立会いは必要でしょうに。さらに、泣き面に蜂の事件も起こります。双子の片割れの男の子デイヴィは、どうやら善悪の基準を充分に教えられずに成長してきたようなのです。

現代の流行作品とは異なり、古典的な世界名作なら、いくらあらすじを文章にしても影響は少なかろうと思って、2章ごとにまとめるようにしたおかげで、前作『赤毛のアン』は4回に分けて記事にしました。本作も、どうやら3~4回にはなりそうな気配です。もっとも、『モンテ・クリスト伯』の堂々14回(*1)や、『デイヴィッド・コパーフィールド』の5回(*2)連続などにはとても及びませんが。

(*1):デュマ『モンテ・クリスト伯』を読む(14)~「電網郊外散歩道」より
(*2):ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』(5)を読む~「電網郊外散歩道」より
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早朝の散歩が楽しく心地よい季節

2009年07月08日 06時24分04秒 | 散歩外出ドライブ
単身赴任のアパートに戻ると、夜に早々と寝てしまいますので、早朝、とんでもない時刻に目がさめてしまいます。そおっと起き出してパソコンの電源を入れ、かねてよりの懸案となっていた、ブラームスの「ピアノ五重奏曲」の記事を仕上げました。それから散歩でもしようかと思い立ち、携帯CDプレイヤーを持ち出して部屋を出ると、明け方の気温はまだ涼しく、曇り空で歩きやすそうです。持ち出したCDは、イタリア合奏団によるロッシーニの「弦楽のためのソナタ集」です。

30分ほど歩くと、市街地から田んぼや畑が続く郊外地に出ますので、朝仕事に出る農家の軽トラックとすれ違います。そんなときは、意識はロッシーニから離れ、今度の週末に自宅に戻ったら、老母の畑を耕してやろうとか、果樹園の徒長枝を切り取る作業をしなければとか、歩きながら考えてしまいます。
で、楽章の変わり目で再びロッシーニの音楽に意識が戻るというようなあんばいで、どうも今すぐには取り掛かれないという欠乏感が、当面の楽しみに転化しているもようです。

島の職場に初めての単身赴任をなさっている mozart1889 さん、その後、いかがでしょうか。今も早朝ジョギングを楽しんでおられることでしょう。早朝更新のお仲間だった「クラシック音楽のひとりごと」は停止してしまいましたが、おいしいものを食べ、多少の不便は「ガハハハ」と笑い飛ばし、島の生活を楽しんでおられることと思います。健康で活躍されることをお祈りいたします(^_^)/
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ブラームス「ピアノ五重奏曲」を聴く

2009年07月07日 05時05分22秒 | -室内楽
このところ、ブラームスのピアノ五重奏曲に集中しています。通勤の音楽として聴き、アパートのミニコンポで聴き、自宅ではリッピングしたファイルをパソコンで再生し、何度も繰り返し聴いております。ヤン・パネンカのピアノ、コチアン四重奏団の演奏で、DENON のクレスト1000シリーズから、COCO-70923 です。

本作品は、弦楽四重奏にチェロをもう一本加えた弦楽五重奏曲として1862年に着手したものの、ヨアヒムやクララなどの助言を入れ、二台のピアノのためのソナタに改作され、さらに現在のようなピアノ五重奏曲としてもう一度作りかえられ、1864年に完成したものだそうです。三宅幸夫著『ブラームス』(新潮文庫)によれば、1864年という年は、ローベルト・シューマンが没して八年、故郷ハンブルグのフィルハーモニーの監督のポストをついに得られなかったブラームスが、ジング・アカデミーに指揮者として招かれて漂泊の時代を終え、ようやく最終的な本拠地ウィーンに腰を下ろした翌年、母クリスティアーネが没する前年にあたります。作曲家31歳、音楽は渋いですが、気合の入った大きな作品であると感じます。梅雨の合間の、カッと照りつける昼の太陽とは縁遠いような曲調ですが、そもそも当地の朝晩の通勤時にはまだ涼しさが感じられますので、細かな雨にけむる郊外路を疾駆する車内には意外に良くマッチします。

第1楽章、アレグロ・ノン・トロッポ。がっちりした構成を持ち、ほんとにスケールの大きな音楽です。それだけでなく、ヴィオラとチェロがソット・ヴォーチェで歌い出すところなど、実に魅力的。この楽章だけで15分以上、満足の時間です。
第2楽章、アンダンテ、ウン・ポコ・アダージョ。弛緩ではなくてむしろ集中力を求められる、緊密な緩徐楽章。耳目をひく耳当たりの良い旋律こそありませんが、この気分は繰り返し聴くほどに良いものです。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ。チェロに導かれて始まり、最後に繰り返されて終わる、まるで軍隊の行進のようなスケルツォ。低音を連打するピアノの響きは、ロココの時代が遠くへ過ぎ去ったことを感じさせます。
第4楽章、フィナーレ:ポコ・ソステヌート~アレグロ・ノン・トロッポ~プレスト、ノン・トロッポ。一瞬シェーンベルクかと疑うような半音階的進行による始まり。かと思うと、力強いピアノがエネルギッシュに活躍します。

実は惚れっぽいブラームスが、美声のアガーテ・フォン・ジーボルトと仲良くなり、これを良しとしないクララと一時不和となりますがようやく和解し、1864年にバーデンバーデンのクララの家から歩いて五分のところに部屋を借り、この難産の曲の構想を練ったのだそうです。ヨアヒムの具体的な助言が功を奏したようで、この魅力的な音楽が完成したことについて、この偉大な友人に感謝したいところです。

譜面を眺めてあらためて感じましたが、当初、チェロ二本の弦楽五重奏曲として構想されたように、ブラームス好みの中~低音の印象の強い曲で、特にピアノの左手の、ごく低い音の多用は、この時代のピアノが、モーツァルトの時代のものとは違い、格段に進歩したものになっていると感じさせます。産業革命を経て19世紀も後半に入り、鋼鉄のフレームを持った強靭な楽器として、ピアノがその表現力をすでに相当に拡大していたためでしょうか。

1988年12月6~8日、プラハの芸術家の家にて収録されたもので、たいへん自然で鮮明なデジタル録音です。ジャケットの絵は、晩秋の大きな木立とお屋敷の間の道で、花売りの娘が去って行く馬車に置き去りにされている場面を描いたもの。CDではなく、LPの大きさのものであれば、さらに雰囲気が出ただろうと思われます。いかんせん、小さいのが残念です。

■ヤン・パネンカ(Pf)、コチアン四重奏団
I=15'13" II=8'28" III=7'49" IV=10'21" total=41'51"
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「電網郊外散歩道」のカテゴリー別記事数の推移と伸び率

2009年07月06日 05時25分22秒 | ブログ運営
平成21年6月27日現在の、当「電網郊外散歩道」のカテゴリー別記事数を、これまでの記録と比較してみました。定点観測のように、ときどき思い出したように OpenOffice.org - Calc で表にしておりますが、この一年の特徴は、
(1) 週末農業の記事が、ぐんと増えた。
(2) 手帳文具書斎、佐伯泰英の項目を独立させた。
(3) 作家カテゴリー未分類の読書の記事が多かった。
(4) ジャンル未分類のクラシック音楽の記事が多かった。
などでしょうか。
6月27日現在で、総記事数が1768件、最近では、一日あたりの平均IPアドレスが約400、週間ページビューがおよそ10,000ページとなっており、始めたばかりの頃には考えられないこと(*)です。ゆっくりとしたペースではありますが、予想をはるかに越えて「成長」しているようで、ありがたいことです。

(*):「電網郊外散歩道」三年目に入る
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サクランボの雨避けテントを撤去する

2009年07月05日 20時53分53秒 | 週末農業・定年農業
サクランボの収穫が終わり、雨避けテントを撤去する作業の時期になりました。写真のような高所での作業は、当方のような素人にはとても無理です。梅雨の中休みを利用し、専門家を依頼して、朝から防鳥ネットとテントをたたみ、撤収する作業を行いました。日中の気温はかなり上昇します。ときどき水分を補給しながら、草刈りをして園地をからりと手入れします。さらにハダニやハマキムシ、アメリカシロヒトリなどの防除を行い、二日がかりでようやく作業完了。いや~、くたびれました!

明日から、再び単身赴任生活が始まります。今日は、早く休みましょう。
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ブラームス「ピアノ五重奏曲」のPDF楽譜を印刷する

2009年07月04日 05時51分08秒 | -室内楽
ブラームスのピアノ五重奏曲を聴きながら、Wikipedia の記述(*1)を眺めていたら、末尾に IMSLP へのリンクがありました。何の気なしにダウンロードし、アパートの古いプリンター(*2)で印刷してみると、結構な分量があり、A4 で 68ページもあるのでした。途中で止めるわけにもいかず、最後まで出力しましたが、当方は音符を追いかけるのがせいぜいです。気まぐれもいいところですが、単身赴任の無聊を慰めるにはちょうどよいと思い、CD の演奏を聴きながら、つらつらと眺めております。
単純に気がつくことは、ピアノの低音域への拡大でしょうか。モーツァルトの頃と比較すると、五線譜のずいぶん下の方へも音符が分布しているように感じます。

(*1):ブラームス「ピアノ五重奏曲」~Wikipedia より
(*2):実は Canon の BJC-400J という古強者です。カラー印刷はとても現在の実用レベルとは言えませんが、BC-20 という大型のインクカートリッジのおかげで、WEB 上の情報の確認などの用途には耐えられます。昔の国産品の信頼性と丈夫さは、まったく特筆ものです。
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朝食とお弁当の変化をつけるには

2009年07月03日 06時12分31秒 | 料理住居衣服
中年おじんの単身赴任生活では、食事の内容が、健康維持の面でも生活の質の面でも、重要なポイントです。写真は、ある日の朝食とお弁当。

【朝食】
ナスと豚肉の塩コショウ炒め、フランクフルト・ソーセージ1/2とキャベツの千切り、ごはん、味噌汁、ヨーグルト
【お弁当】
ナスと豚肉の塩コショウ炒め、キャベツの千切りとキュウリのキムチ漬、フランクフルト・ソーセージ1/2、クリームコロッケ、ごはん

ごらんの通り、共通性を持たせながら、ちょっとずつ変化をつけるのがコツ。全く同じだと飽きてしまうのですが、一部でも違っていると、けっこう変化が楽しめるものです。
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定期健診の結果が判明

2009年07月02日 05時30分01秒 | 健康
例年のことながら、今年は「いや~ん」な要因があり(*)、ちょいとドキドキだった定期健診結果が届きました。結果は、

(1) 身長・体重から求めた BMI=22.3
(2) 腹囲 78.5cm
(3) 血圧 100mmHg - 67mmHg
(4) 中性脂肪 59 , HDL 56 , LDL 101
(5) 空腹時血糖 89
(6) 肝機能 AST 23 , ALT 17 , γGTP 29
(7) 尿検査 -

メタボリック・シンドローム判定: 非該当

だそうです。まあ、このあたりは従来と変わらず、いたって普通。
注目の腹部超音波は、

異常なし

だそうです!

まずは、よかった~。じゃあ、あの腹部エコー検診の「いや~ん」はいったい何だったんだ、と突っ込みたくなりますが、そこはそれ、健診担当者もいろいろと大人の都合があるのでしょうから(^o^)/

(*):「いや~ん」な感じ~健診で腹部エコーを見る

意外なことに、心電図で「不完全右脚ブロック」だそうです。日常生活には支障のない程度の軽い異常なので、生活習慣改善に努め、経過を見ましょう、とのこと。そういえば、心電図の担当の方の優しいお声が、実はとても素晴しいメゾソプラノだったからなぁ(^o^)/



そろそろアジサイの季節です。この写真は昨年のものですが、もうすぐ見事なアジサイの花(?)が見られることでしょう。楽しみです。
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