
(宜保栄治郎先生、おそらく先生の『琉球舞踊入門』は静かなベストセラーでしょう。)
琉球箏曲の女性たちはそのほとんどが戦前は辻や仲島の出身だったことが宜保先生からお話がありました。宜保先生は勇気のある方です。ご自分のおばさまのお話をされました。玉城盛重からお琴の手ほどきをうけた宜保ウトのことです。
おばさんの事を秘匿されたかったかもしれません。しかし率直な宜保先生の性格なのですね。以前お話されていたことがあり、先生が特別な思いで女性芸能者をご覧になっていると思っていましたが、それはたしかでした。
宜保洋子さんも気になります。山入端つるさんと同じ屋部のご出身の宜保先生がまた何らかの形で山入端家、眉屋とも関わりがあることなど、興味深いです。貧しさの中の炎のような芸の世界がありますね。
芸能史の流れの中で女性たちが営々と築いてきた伝統芸の継承の力は変わりませんね。今回あえてジェンダー層として出したのだが、かなりの影響力を女性芸能者がもっていたことはもう事実ですね。山内盛彬さんも辻の御殿や殿内の士族の妾(詰ジュリ)の女性が三線に長けていて、彼女の耳を頼ったような記憶も残しています。概して彼も遊里の芸能やジュリを見下げるようなスタンスは変わりませんが、ジュリに芸を指南した舞踊家・芝居役者にしても、一般の女性と違う女性たちという目線で見ています。一般の女性が芸能をやると「じゅりになるのか」と指南した先生方が話していますね。
つまり芸能に勤しむ女、はジュリだったのです。女学校を出たジュリの母親をもった女性たちもいます。遊里はお金が大きな力をもった所です。特に近代においてはー、それゆえに、商才の長けた女性たちも多かったと言えるでしょう。貸座敷のあんまーで有力な女性は背後の旦那の力が大きいと、近代は、薩摩からの寄留商人ですね、その妾になって羽振りよく商才をまた活かしていったのですね。
続けたいが、I have to go.
若いながら今回総合司会を頑張ってくれた我部大和さん、実演家で研究者、ホープ(希望の★)ですね!