志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

【東アジア共同体研究所(EACI) News Weeky Vol.063 「沖縄と客家」】

2016-03-28 07:18:48 | アジアの過去・現在・未来

 敵対しあう関係から友好・共存の未来へ・地球市民へ

 
================================

    EACI News Weekly 第63号(3月25日号)
   東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
    http://eaci.or.jp/

================================
 「いいね!」で、東アジア共同体研究所の最新情報をお届けします。
Facebook : http://www.facebook.com/east.asian.community.institute
================================
 【目次】

 【1】《今週のニュース 3/19-3/25》
  政治(3)、経済(3)、国際(2)、社会(3)

 【2】《UIチャンネル放送予告 No.145》
 第145回UIチャンネルLIVE対談 鳩山友紀夫×孫崎享
 http://live.nicovideo.jp/watch/lv256935287

【3-1】《EACIレポート》
「沖縄うりずんの雨」が上映
明日3月26日13時半より千代田区立日比谷図書文化館にて
<ゲストスピーカー>ジャン・ユンカーマン監督

 【3-2】《EACIレポート》
 朴斗氏鎮氏(コリア国際研究所)の新刊「揺れる北朝鮮-金正恩のゆくえ」(花伝社)
が今日発売!

 【4】《研究員コラム》
 緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「沖縄と客家」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 【1】《今週のニュース 3/5-3/11》
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【政治】
■<沖縄基地の虚実1>主役は海・空軍 海賊脅威、日本周辺になし
 (琉球新報2016.3.24)
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-244818.html

■PAC3を防衛省に常駐へ、北朝鮮のミサイル発射に備え
 (TBS 2016.3.22)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2730974.html

■辺野古和解協議、作業部会設置へ 県と国協議会
 (琉球新報 2016.3.24)
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-244367.html

【経済】
■四国電力 伊方原発1号機の廃炉決定へ
(NHK 2016.3.25)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160325/k10010455421000.html

■安倍政権下での消費増税先送りは期限なく事実上凍結の見込み
 (NEWSポストセブン 2016.3.25)
http://www.news-postseven.com/archives/20160325_397076.html

■TPP特別委員会設置 審議入り実質4月 与野党が激突 衆議院
 (日本農業新聞 2016.3.25)
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=36738

【国際】
■国連人権理事会、対北朝鮮決議を採択 北朝鮮は審議欠席
 (朝日新聞 2016.3.25)
http://www.asahi.com/articles/ASJ3S5J2PJ3SUHBI02H.html

■スー・チー氏、新政権の外相就任へ ミャンマー与党が発表
 (AFP 2016.3.23)
http://www.afpbb.com/articles/-/3081261

【社会】
■「沖縄の基地依存、極めて高い」 高校教科書が記述訂正へ
 (日経新聞 2016.3.24)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H7K_U6A320C1000000/

■米軍兵士乱暴受け基地前で抗議集会 沖縄・名護
 (NHK 2016.3.21)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160321/k10010451001000.html

■米兵、国頭の車道脇で銃構える 通行の市民が確認
(琉球新報 2016.3.25)
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-243668.html

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【2】《UIチャンネル放送予告 No.145》
 第145回UIチャンネルLIVE対談 鳩山友紀夫×孫崎享
 http://live.nicovideo.jp/watch/lv256935287
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

3月28日(月)20時からの第145回UIチャンネル放送は、鳩山友紀夫×孫崎享LIVE対談をお送り致します。

番組内では質問を受け付けておりますので、コメント欄またはinfo@eaci.or.jpまでお寄せ下さい。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv256324020

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【3-1】《EACIレポート》
「沖縄うりずんの雨」が上映
明日3月26日13時半より千代田区立日比谷図書文化館にて
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
明日上映会!「沖縄うりずんの雨」
明日3月26日13時半より千代田区立日比谷図書文化館にて「沖縄うりずんの雨」が上映されます。(主催:社団法人 自由人権協会)
以下、自由人権協会HPより(http://www.jclu.org/

【第4回JCLUシネマ】
上映作品:「沖縄うりずんの雨」

日 時 :3月26日(土)13時30分から(16時45分終了予定)
     ※13時15分から受付開始

場 所 :千代田区立日比谷図書文化館コンベンションホール
     (http://hibiyal.jp/hibiya/access.html

入場料 :500円

【沖縄うりずんの雨】
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。
同年6月23日(現在の慰霊の日)まで12週間に及んだ沖縄地上戦では4人に1人の住民が亡くなりました。
本作は、当時同じ戦場で向き合った元米兵、元日本兵、そして沖縄住民に取材を重ね、米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像を交えて、沖縄戦の実情に迫ります。
また、戦後のアメリカ占領期から今日に至るまで、米軍基地をめぐる負担を日米双方から押し付けられてきた、沖縄の差別と抑圧の歴史を描き、現在の辺野古への基地移設問題に繋がる、沖縄の人たちの深い失望と怒りの根を浮かび上がらせます。

【ゲストスピーカー】
第4回のゲストスピーカーは、「沖縄うりずんの雨」監督のジャン・ユンカーマンさんです。
ジャン・ユンカーマン監督プロフィール
1952年、米国ミルウォーキー生まれ。1969年、慶應義塾志木高等学校に留学。スタンフォード大学東洋文学語課卒業。
1982年から日産自動車における「日本的」労使関係を取材し、そのドキュメンタリーを米のテレビ局で放送したことがきっかけで、映画の世界の道を拓く。
画家の丸木位里・俊夫妻を取材した『劫火-ヒロシマからの旅-』(1986年)は米国アカデミー賞記録映画部門ノミネート。9.11のテロ後に言語学者ノーム・チョムスキーにインタビューした『チョムスキー9.11』(2002年)は世界十数カ国語に翻訳され、各国で劇場公開された。世界の知識人12人へのインタビューをもとに日本国憲法を検証する『映画 日本国憲法』(2005年)は戦後60年の節目に日本国憲法の意義を改めて問いかけた。
他に、日本の最西端の与那国島を舞台に、老漁師と巨大カジキの格闘を描いた『老人と海』(1990年)、エミー賞受賞作「夢窓~庭との語らい」(1992年)など。
現在も日米両国を拠点に活動を続けている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【3-2】《EACIレポート》
 朴斗氏鎮氏(コリア国際研究所)の新刊「揺れる北朝鮮-金正恩のゆくえ」(花伝社)
が発売
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

UIチャンネルにもご出演頂いているコリア国際研究所所長の朴斗鎮氏の新刊「揺れる北朝鮮-金正恩のゆくえ」(花伝社)が本日発売されました。

ご購入はコチラから→
http://www.amazon.co.jp/dp/4763407708

●内容●
第1章 金正恩体制が抱える宿命的弱点
第2章 張成沢・金慶喜に支えられた初期金正恩体制
第3章 後見人体制の破壊と金正恩親政
第4章 金正恩首領独裁を支える組織指導部
第5章 先軍政治の継承と否定
第6章 金正恩のアキレス腱 経済再生
第7章 暴力崇拝で一貫する金正恩の統治スタイル

●著者紹介●
朴斗鎮(パク・トゥジン)
1941年大阪市生まれ。朝鮮大学校政治経済学部卒業後、朝鮮問題研究所所員として2年間在籍。朝鮮大学校政治経済学部教員等を経て2006年からコリア国際研究所所長(北朝鮮・韓国問題、在日同胞問題を研究)。デイリーNK顧問。
著書『北朝鮮 その世襲的個人崇拝思想―キム・イルソンチュチェ思想の歴史と真実―』(社会批評社)、『朝鮮総連―その虚像と実像―』(中公新書ラクレ)、『友愛ブックレット 韓国・北朝鮮とどう向き合うか』(共著、花伝社)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「沖縄と客家」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
沖縄と客家

那覇市の一角に松山公園、福州園、久米廟などが並んでいる。県庁から国道58号線を直角に横切り、海へと向かう地帯だ。このあたりは、くにんだ、と呼ばれ、中国からの渡来人が住んでいた。松山公園にはその名前が記された碑がある。「久米三十六姓」として知られる彼らの末裔は沖縄には多い。真栄田、吉元、真玉橋、與古田、与古田、横田、宜保、神村、小渡、我謝、我喜屋、山田。実はこれらの名前は全て阮國我謝親雲上(1566~1640年)を始祖とする。阮國は福建漳州府龍渓県の人。
始祖阮國の来琉400年を記念して1997年11月9日に記念碑序幕式が開かれた。また400ページを超す「久米阮氏記念誌」を発刊した。まず記念碑の碑文を紹介する。

「阮氏始祖阮國公は、嘉靖四十五年(一五六六)中国福建省漳州府龍渓県に生まれ、崇禎十三年(一六四〇)久米村で七十五歳の生涯を終えました。
阮國公は、万暦二十二年(一五九四)航路を誤った琉球の進貢使一行を護送して帰国せしめる命をうけ、初めて琉球に到りました。その後も航海の指南役として進貢船の中国往還を助けました。
時に、琉球国では、察度王の代に中国から派遣され、琉中の交流を支えていた閩人三十六姓が「わずかに六姓を残すのみ」と嘆かれるほど衰微していました。東南アジア諸国との交易は終りを告げ、中国への進貢にも人を欠くありさまで、その継続は風前の灯でした。
琉球王国の尚寧は、「三十六姓の欠けたるを補う」と称して、万暦三十五年(一六〇七)阮國、毛国鼎二氏の琉球への入籍を願い許可を得、入籍して久米村に家宅を賜り琉球王国に仕えることになりました。その後、多くの功績を挙げ、地頭職を賜わり官位も正議太夫に昇りました。
阮國公は、薩摩侵入前後の困難な時代に琉中の橋渡しを勤め、久米村再興の一端を担い、久米村阮氏の基礎を築き琉球歴史上に大きな役割を果たしました。
阮國公来琉四百年の節目にあたり、その功績を顕彰するとともに、阮氏子孫の和睦と発展を祈念してここに記念碑を建立します。
                        一九九七年十一月九日
                           阮氏我華会」

記念碑の石材は生誕の地、福建省漳州府龍渓県から取り寄せられた。式典には香港と台湾・台南の阮氏宗親会の代表が出席した。400年前の中国大陸、台湾との縁が今に続いている。
福建省漳州府龍渓県は客家が多い。族譜と呼ばれる家系図を辿ってみよう。

「久米阮氏記念誌」の中の漳州阮氏族譜研究資料抄によれば、雅懐堂と雅徳堂の阮姓祖廟から日本沖縄村へ分流した、と見られる。祖廟名・竹林堂の分流には、永定の地名、継成堂や南川堂には南靖県の地名もある。いずれも客家の居住地だ。阮氏の分流が一つは永定へ、一つは沖縄の久米村に渡った、という図を永定か南靖付近の博物館で見たこともある。しかし古文書で確かめた訳ではない。また族譜は全面的に信頼できるものではないようだ。だが久米村の住民の中に客家がいたことは間違いないようだ。
漳州龍渓石美より海外に移住した阮氏の状況(表三)によれば、琉球に移住した人口は二〇〇〇〇人と記されている。明らかに白髪三千丈式の誇張だろう。

巨大な土の砦

巨人の国のバウムクーヘンのような建物。円形にそびえ立つ土の砦。正面に縦長の小さな門が一つ。周りは全て土壁。見上げると8メートルくらい上に窓が見える。2階、3階までは窓がない。中に入ると円周に沿って360度、分度器のように区切られた小さな部屋が並んでいる。最大級のものは直径60m、高さは12.4m。中に入ると細い通路が同心円を描いて三重に通じている。真ん中は祖堂。外側から廻ると井戸が二つ、台所・食堂、通路には鶏が走り回る。狭い庭には野菜が植えられ、豚も飼われている。敵に囲まれても数カ月は持つ。壁の厚さは1.8m。大砲でも撃ち込まれない限り、土の壁が壊れることはない。

客家円楼として知られる建物だ。2008年に世界遺産に登録された。名称は福建土楼群。
「中国の南西部の約120kmの範囲に点在する46の土楼は、12~20世紀につくられた漢民族客家の伝統的な集合住宅である。」(世界遺産大事典上)
客家の集合住宅と書いてあるが、名称は福建土楼群。前回紹介した「客家と中国革命」(東方書店)の共著者・矢吹晋は、「客家土楼」ではなくて「福建土楼」という言い方に違和感を持ちます、と語っている。「沿海部寄りに多く住む閩南人に比べ、少数派として疎外されることの多かった客家の側にとって、より必要な建物であったと思われるのです。」
円楼は客家の住む地域ばかりに見られる訳ではない。さらに言えば円楼ばかりが注目されているが、方楼と呼ばれる四角形に囲まれた建物の方が圧倒的に多い。八角形のものも見たことがある。いずれにしても外からの攻撃を防ぐため、壁を張り巡らして中の住民を守っている。円楼も方楼も、一族が同じ建物の中に住むことも共通している。福建省と広東省の山の中の巨大な円形の建物は砦の役目を果たしている。

ソ連を狙うミサイル基地?

NASA(アメリカ航空宇宙局)の技術者が円楼群の衛星写真を見て、ミサイル基地ではないか、と疑ったそうだ。このエピソードは60年代に表面化した中ソ論争の時代。
(論争というから、学者たちが社会主義の将来はどうあるべきか、などと討議を重ねているのかと思うと大違い。中国とソ連が戦争前夜の緊張状態だったのだ)
ところが6年後、2000年に円楼群を訪れた時に、現地のガイドがミサイル基地云々の説明をしていた。彼は1996年の台湾海峡危機のことを言っている。中国がミサイルを台湾海峡に発射し、選挙に圧力をかけた事件だ。しかし台湾めがけてミサイルを撃つのなら広東省・福建省の山の中からではなく、もっと近くから狙うだろう。福建省の円楼案内のガイドは国際政治を知らず(あるいは中国国内では知らされず)、アメリカの宇宙技術者たちは軍事的なことは分かっても客家の南遷の歴史は知らなかった。

最大の円楼

もっとも有名な承啓楼は、現在改築工事中だった。最初に訪れたのは1994年12月、もう22年も前のことだ。福建省は至る所道路建設中で、泥でぬかるみ、坂道にさしかかるとバスが登れない個所がいくつもあった。引き返して迂回に迂回を重ね、ついには深夜、橋の上に立ち往生してバスの中で一泊。すぐ隣の広東省梅県から26時間かかって辿りついた。
円楼の前には川が流れ、小屋が建っていた。以前は水車小屋だったそうだ。ここで精米し、住民の食糧としていた。この中には600人がいたこともある。私が訪ねた時は56世帯、356人が住んでいた。

周辺の小屋は取り払われ、前を流れていた小川は狭いクリークに変わっている。手前の駐車場には新婚旅行のカップルが乗った新車、自取り棒の先端にスマートホンを付けた若い女性たち。観光客がどの円楼にもあふれている。
細身の豚を飼っていた豚小屋は楼内からなくなり、外の細い道を天秤棒で物を運ぶ女性はいない。以前は客家特有の黒い上下の服をまとまった老女を見かけたものだ。竹製のヘルメットをかぶり、黒煙を吐くオートバイに乗った人もいない。昔は寂しくそびえ立っていた巨大な円楼群が、新しく造られた民俗村のような観光地に変わっていた。

第12回世界客家大会(1992年)

円楼を訪ねるのは3回め。前の2回はいずれも世界客家大会に参加し、その後の「小旅行」、スタディツァーであった。詳しくは「客家見聞録」(現代書館)に記したが、必要な個所だけご紹介する。
世界客家大会の第一回は香港(1971年)。以降は2回と3回が台北、4回がサンフランシスコ、5回が東京・大阪(1980年)、6回が台北、8回はモーリシャス、9回はサンフランシスコ、10回がコタキナバル(マレーシア・サバ州―1990年)11回が台湾・高雄。そして12回(1992年12月)が初めて中国広東省梅州市梅県に決まった。それ以前はバンコク(第3回)、シンガポール(第7回)、香港(第11回)の予定が台湾に変更された。客家の故郷、とされる広東省梅県での開催はもっと早くても良かったのだが、上記の3回の変更も中国での初開催の遅れも、国際情勢が熟していなかった。
初めて訪れる広東省梅県も客家円楼のある福建省の永定県も、香港のはるか山奥の「客家の奥座敷」(故・中川学一橋教授の言葉)といえば聞こえは良いが、まだまだあばら家のような様子だった。ホテルにはエレベーターもなく、室内には電話もない。湿気が多く、寒く、洗濯したものが何日も乾かなかったことを思いだす。
大会の委員長は葉選平広東省長。中国革命の英雄・葉剣英の息子だ。郵便局で、私が日本人と分かると睨み付ける男がいた。まだそんな時代だった。日中戦争で親兄弟がひどい目にあわされた人かもしれない。こちらから目をそらしあわてて退出した。

世界客家大会では、各国へ出稼ぎに、あるいは住み着いた客家たちが集まり、活発に客家語で議論していた。彼らは先進国で活躍し、郷里に錦を飾っている。病院を視察した時に、レントゲンの機械に贈呈者の名前が書かれていた。あらゆる部屋で医療器械に付いた贈呈者の名前を目にした。これで驚いてはいけない。彼ら華僑・客家は嘉応大学に研究所を寄贈し、梅県の街中の川に橋まで架けてしまう。
中国はこれ以降、客家の郷里に世界客家大会の誘致合戦を繰り広げるようになる。

第16回世界客家大会(2000年)

その後13回・シンガポール、第14回・台北、第15回・クアラルンプール、第16回・福建省、第17回・ジャカルタと続けて世界大会に出席した。この模様は「世界客家大会を行く」(現代書館)で報告しているので省くが、2000年の第16回・福建省だけ紹介する。
大会には会場だけで1000人~2000人が出席し、閉会式では各国の客家からの現地への投資額が発表される。国際大会に慣れたシンガポールあたりでは珍しくないが、福建省では絶好の投資誘致のチャンスだ。
第16回・福建省大会の開催委員長は習近平。言うまでもなく現在の国家主席。大会の一カ月前に完成したばかりの真新しいスタジアムで行われた演説を私はこう書き留めている。
「21世紀は社会主義市場経済体制を発展させてインフラ建設を進め、科学技術教育の発展と人材育成を急務とし、閩西(閩は福建省のこと)に投資する客家同胞のための良い環境づくりをしてゆきたい」
実はこの時、私は習近平のことをこの時全く知らなかった。それに客家でもないので最近まですっかり忘れていた。大会終了後、「小旅行」でバスを連ね、海外の客家同胞と、もちろん習近平も一緒に、山奥の円楼群まで行ったはずだが、覚えていない。

世界客家大会では各地の客家からの郷情報告が行われる。せっかくなので福建省漳州からの報告を数行だけ書き写す。450年前、漳州から阮國が琉球へ渡ってきた。
彼ら漳州人はそれ以来、中断はあったが5世紀にわたって世界中に広がり続けている。
漳州―麗しく豊穣な客家人の故郷    漳州市客家聯誼会 頼瀚忠

漳州は福建省の最南に位置する。我が国東南沿岸にある歴史と文化の都市である。また、早くから開放された沿海都市のひとつであり、福建省南部三角地域の重要な一角である。(略)
漳州は福建省でも重要な華僑の郷の一つである。現在、海外に暮らす漳州籍華僑、華人は70万人以上を数え、全市の帰国華僑、華僑親族は50万人以上である。漳州はまた台湾同胞の重要な故郷である。統計によると、現在台湾人口の35.8%は原籍が漳州である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■メール内容に関するご意見・ご要望はこちら
 アドレス:info@eaci.or.jp
 ■購読解除はこちら
 アドレス:info@eaci.or.jp
発行  :東アジア共同体研究所
      〒100-0014 千代田区永田町2-9-6 十全ビル706
 WEB  :http://www.eaci.or.jp/
 Facebook:https://www.facebook.com/east.asian.community.institute
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本誌に掲載されている文章の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2015-2016 東アジア共同体研究所 All rights reserved.

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。