志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

また黄色い小さな花をつけたゴーヤー棚に立つとまた濃厚なゲッキツの香りが〜!

2024-10-10 10:12:00 | 日々の記録・備忘録
確か1週間前にも咲いていた。繰り返し咲いている。香りが庭に満ちて鼓動が高まる。香りが五感に及ぼす影響は、大きいのかもしれない。
 視覚、臭覚、聴覚の感覚はそれぞれに様々な感性の源、美しい、心身が陶酔する感覚に浸っていたい、は誰もが望むものと断定していいだろうか。
 自然が醸し出すそれらの美に遭遇する度に、自然に勝る美はないと感じたりする。一方で想像、創造される音楽や香水やアートにも酔いしれる。
 人類が人工的に生み出してきたものが自然を母胎にしているのは、科学技術を含めて、真実のような装いの中にあると思えるのだが、凡ゆる美の発端は、この地球惑星そのもの、果てがないように見える宇宙そのものなんだ、と思うに、2000年前の人類もそうだったのかもしれないと考えると、古代が、何億年ものこの惑星の歴史が、グーンと身近に感じられたりする。
 古の亜熱帯の島に住んだ先祖もまた、ゲッキツの香りに心ときめいたのだろうか。濃厚な香りゆえに、嫌った、嫌う人がいても不思議ではないが、漂ってくる香りを意識したのは、ゆっくりこの庭に向き合ってからなので、つい最近の事だ。
 水仙や百合、バラの花などの香りはまだ馴染みがあった。しかしこんなにゲッキツの香りに敏感になったのは、家にいる時間が長くなったからなのだ。
 ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』、あの書は本当だ。年をとって得難い経験、発見、喜びがある。
 ゴーヤーに戻るが、自ら種を蒔き、あるいは苗を植え育て始めたのは4年前だ。収穫の楽しさ、喜びを知ったのは、最近である。
 さて10月10日、スーパーのゴーヤーは一本350円だ。小さな我が家のゴーヤー棚はまだ実がついている。3本がぶら下がっている。
 うっかり見つけ損ねて黄色く赤い種がこぼれて気がついたりもした。
まだ時々肥料を与えている。彼らは応えてくれる。
 「もう少し、冬のとば口までよろしくね。いつもありがとう」と、声をかける。きっと、聴いてくれているとおもっている。

咲いたゴーヤーの花

まだぶら下がっているゴーヤーの実




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