志情(しなさき)の海へ

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最近演劇なり伝統芸能を観る気がしない。よほどの新作でない限り~!ところで「真喜志康忠生誕100年記念公演」は大成功には程遠かった。

2024-10-06 03:03:51 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
(つぶやき)
しかし、村芝居はまた吉田妙子さんと観に行く予定だ。

ところで真喜志康忠生誕100年記念公演は大成功には程遠かった。
全体の総括をするために実験劇場から舞台録画DVDが送られてくるのを待っているが、写真も送られてこない。
 60万ほどの赤字で個人的に30万の支払いをという事になった。20万は振り込んだが、全体の総括のために録画DVDを観て、制作や実演、リハを含め全体を捉え返す必要があり、もう三か月も待っているが、DVDが来ない。パンフレットも修正が必要で、在庫は積まれている。
 真喜志康忠の伝統芸能(琉球舞踊、組踊、沖縄芝居、現代劇)の実演家としての凄さ、脚本家としての凄さ、座長、演出家としての凄さは、戦後沖縄演劇の重鎮としてしっかり歴史に刻む必要があると、批評・研究者の立場で関わってきたが、去年から今年の記念公演に至る全体を反芻し纏めたいと考えている。肝心の作品の成果の動画が送られてこない。 
 記念公演に至るプロデュースの失態もあった。記念誌を作成することが第一の責務と考えてきたが、康忠氏命日の12月16日にむけてのプレイベントでひどく疲れてしまった。ボランティアのほとんど無料奉仕の限界もありそうだ。年が明けると演出を担当していた平良進さんが他界され、実行委員長の宮城弘岩さんと事務局長の兼次賢一さんがやめられた。2月の事である。正直それでは6月8日の公演にむけてのめどが立たず、実行委員会の総崩れである。それでも実験劇場もやめるとは言い出すことはなく、平良進さんの告別式に飾られた実験劇場の名称と供花を見て、やらざるを得ないのかと、半ば不安の中で実行委員長を探した。「やめましょう」「延期しましょう」と言い出せなかったのも反省点である。決断が必要だった。
 真喜志康忠氏の奥様をはじめ、ご家族、親族の方々も全く協力してくださらない中で、やらざるを得なかった。あらたに実行委員長仲田美加子さんが決まったのが3月で、事務局長なしで、末吉甘奈さんと二人で企業協賛などに動いたが、時間が足りなかった。「記念誌作成」が使命で、それもしっかり校正できず見切り発車ゆえのミスが残された。デザインは良かったと思うが~。
 舞台の方もお世辞にもすごい!のレベルではなかった。生煮えの舞台で終わった。しかし、短期間で、魅せる舞台に仕上がっていたが、制作は記念公演にもかかわらず、500人の観客さえ招集できなかった。
 総てが生煮えの記念公演の印象である。16日間のリハは稽古の鬼だった康忠氏の役者魂にとうてい及ばなかった。テーゲーではテーゲーの結果しか舞台では花が咲かない。それと感動は別である。
 国立劇場おきなわプロデュースの新作、旧作舞台でさえ、テーゲー風でセリフもしっかり覚えられない舞台がこの間、上演されている。新聞は、あえて酷評することはない。

 時間をかけて急がず念入りに取り組む必要があったと反省している。
 じっくりすべてに最低1年はかける必用があった。その時間はあったが、プレイベントで疲れてしまい、また事務局長(アートマネージメント)の手腕は自分にはないと分かっていたので、経験者に期待していたのだが、それが崩れた。パンフレットなり記念誌だけに集中できなかった。人選も当初から誤った。ノウハウKnow-howがあいまいなままに走ったのだ。

 無料のプレイベント(12月16日の命日)が意外と大変で、目的は命日のイベントではなく、何十年ぶりかの作品の復活舞台だったにも関わらず、ご家族も実行委員長も途中で放り投げたのである。
 「真喜志康忠」に関わり心身疲れてしまう経験だった。
 ご自分の家族の生誕100年記念公演に対して家族やそして親族の方々が突き放したことは、特に痛かった。命日イベントでの真喜志家族会の挨拶は言行不一致そのものになった。康忠ファンへの感謝と後進の実演家へのエールだった。

 協賛金に短時間で二人だけで這いずり回った。記念誌だけで手一杯だったにも関わらず、両方をかかえることには無理があった。ぜひにもご家族や親族の皆さんには協力していただきたかった。企画書も概要もお送りし、電話でチケットのお願いもしたが〜、真喜志康忠作品を引き継いでいく後進の芸能者を応援する気持ちが、まったく感じられなかったのは、残念で胸が痛んだ。

もう少し時間があったならと思うに、切羽詰まった中で文書作成をし、協力を仰いだ結果は、寄付を含め150万ほどだ。チケットは観客が300人ほどで、少なかった。
 実際は7月の上演を念頭に置いていたが、「硫神マブヤー」の新作組踊が8月にあると言う事で、やむなく6月になった。

 想定は最低500人だったが制作の熱量は弱かった。ご家族、親族も協力ゼロで、徒労感と自腹の何十万ものお金の負債が残った。やれやれ!
 いい点は、脚本だけ読んでイメージした作品が舞台の実演によって、くっきりとその面白さが迫ってきたことだ。何度か実演を繰り返す中で舞台作品として練られ、磨かれ、その面白さが増すに違いない。
 作品の終幕は演出によって変化がありえる。
 「組踊」の系譜作品として深く掘り下げたい。
 そう言えば、「組踊の系譜ー朝薫5番から沖縄芝居、そして人類館へ」は纏めたい。すでに報告書は出版されているが、一冊の本にしたい。

 嘉数道彦さま、仲村逸男さま、DVDと写真を待っています。
30万の赤字の埋め合わせの未払いの10万はDVDと写真を受け取った後で考えます。しかし、500人を堂々と大劇場に勧誘できなかった制作に対する総括は弱いです。本番の1週間前に事務局にチケットを持って来られても遅かったです。それでも20枚以上、購入してもらいました。
 (DVDは9月半ばの約束でしたがまだ来ません。10万円も半ばいろいろ問題があったと考えているので負担したくないのが本音です。)

 ところで、国立劇場おきなわの舞台制作が16日間のリハで成り立っているならば、かなり問題だと思える。台詞が完璧に覚えられる舞台はどうしたら実現できるだろうか。チケット代金に値する舞台だっただろうか。徹底して完璧を目指すのなら、16回の枠を超えざるをえないだろう。一座の舞台ならば、それが可能だろうか。

 宮本亜門さん演出の「琉神マブヤー」の新作組踊が途中で頓挫したように、真喜志康忠生誕100年記念公演も平良進さんが他界された時点で中止か延期すべきだったのだろうか。

 さて残されたのは記念誌とDVDや写真ですが~、沖縄芝居実験劇場が、真喜志康忠に敬愛の念を尽くして「落城」(一名真鍋樽)を再演した熱意には感謝です。皆さんの今後のご活躍を念じています。

★琉球新報も沖縄タイムスもかなり好意的に紙面で取り上げてくださいました。その点で深く感謝しています。協賛企業や寄付、ご祝儀をくださったみなさまには感謝のことばもありません。
★またチケット購入に不便があった所、駆けつけてくださった真喜志康忠さんのフアンの皆さま、ありがとうございました。

★現在真喜志きさ子さんが月一回のペースで古き良き真喜志康忠氏の舞台映像の上映会を久茂地の「ゆかるひ」で続けています。

このプロジェクトに関してはもっと詳細に振り返る予定です。脚本と動画を照らしてですね。
 動画や記念誌を販売することになっています。希望者は連絡ください。DVDはよくわかりませんが、記念誌は1,000円で販売します。修正ノートを付けています。記念誌があって5,000円の価値はあったと電話をいただきました。

 
 
 


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