
身体を基点に乗り越える❗️身体が音になる。
コトバのカチャーシ、コトバのテロリズム、爆発など、強烈なコトバが飛び出して来ますね。
崎山さんの宮沢賢治「雨ニモマケズ」の宮古島シマフツふう翻訳の朗読も、また新作の沖縄語の対話の部分の朗読が良かったですね。
発話主体の俗世?主体性が奪われている。
コトバの配置のエコノミー?
しまくとぅばで語るウチナーグチ❗️
コトバの残虐さー戦場の死
継承、ウチナーグチ、しまくとぅばで語られる記憶、語りが本物かと、新城さんは提起する。
沖縄を語る出自、ポジション、振り分け、階層化する所がある。
当事者性を払拭される。批判的再配分😆
しまくとぅばでカチャーシ❗️良いね。
(スマホ投稿なので、詳細は後ほど!)