子どもが小さい頃、ティラノサウルスの展示やアンモナイトの化石を観に行ったことが思いだされる。長野県の田舎のペンションまで行ってカブトムシ狩りに行ったことなども遠い昔のようでついこの間にも思える。あのペンションはピザがおいしかった。ネットで検索するとスキー場近くのペンションは身近に感じる。
子供を持つということが子供時代を二度経験することだと知ったことは確かだ。
その館内にあったチラシの一枚が石川真生さんの登場である。
かつて私もまた首里劇場内部を写真に撮った。金城さんにもお話しをうかがった。それらのデータは残っているはずだが、あれから見たことはない。写真も含めて~。そう言えば首里劇場で映画も観た。成人映画だけ上映していた時代だろうか。そうではない名作を観た覚えだが、記憶にない。
その劇場のステージの上で寝起きしながら芝居一座は1週間ほどそこで炊事もしながら過ごしたのである。映画は観ても首里劇場での本番の舞台を観たことがない。
首里劇場は幽霊どころだったという雰囲気は残っていて、どこか幽鬼じみていると感じたのだが、他のみなさんも同じだろうか。幽霊に取り囲まれていてもおかしくない空気である。
なぜか首里劇場が取り壊しという事になって、注目を浴びていた。石川真生さんもそれに便乗した写真撮影だろうか。今や時の女ゆえに、注目される石川さんだ。素のままに素の情念でカメラのシャッターを押してきた写真家に思える女性は、装わないゆえに好きだが、彼女の写真は醜く美しい。
石川真生と首里劇場の取り合わせが面白いので、この映画を観に行くのかもしれない。
(つぶやき)
それにしても8月12日は記憶に残る日になった。善意が仇になった日でもある。中途半端な思いは気を付けよかな~?というより十分念には念をいれてことに当たる必要があることを、肝に銘じなければである。しかし朝ゴーヤー棚でこの間で最も大きかったゴーヤーをシークワーサーの樹の上に見つけながら、スマホで鈴木大拙の禅についての動画を聴いていた。頑張らないこと、すべて自然のままにと話していた。不完全でいいとも~。
若い40代の彼らは素で美しいと感じた。彼らの心意気は汲まなければならないと感じていた。ゆえにや無得ないことながら、負からの転換を考えればいいかと思っていた。無から有を生み出すこともありえる。痛い思いをどこかに転換していく発想も面白いと思ってはいた。無言の圧力があった気はした。しかしKさんはやはりスマートで頼もしい。Kさんが自腹を切るという覚悟に、なぜか心が緩んだ。彼らは沖縄の伝統美を再創造していく大きな力を秘めた実存そのものである。才気闊達な40代の顔はいい!
さてチルダイしていた心根を引き締めてやるべきことに本気で向き合わねば~。
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