goo blog サービス終了のお知らせ 

志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

琉球王朝時代の高貴な「うとぅいむち(おもてなし)」は、殿内の名家だけでしょうか?遊里の座敷は?

2019-07-04 21:15:50 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
      (琉球新報7月3日2019年)

沖縄芸能史の中に見られる隠蔽のような上澄み体質は、ちょっとFair is Foul, and Foul is Fairを意識させます。

おもてなしの上席に薩摩の在番でしょうか?宮廷芸能を、遊里のお座敷でも「うとぅいむち(おもてなし)」したはずですね。在番の横には当時の琉球の最高の美女(官選ジュリ)が座していたのですね。
廃藩置県の頃の史書を読み解くと、それがよくわかりますね。
奈良原繁知事の妾の妓楼(ぎろう)には多くの日本中央からやってきた著名人が「うとぅいむち」されていますね。そこでゲストは宮廷芸能を堪能したはずですね。
 殿内の名家で士族の女性芸能者が登場したでしょうか?否ですね。登場したとすると、遊里の芸妓でしょうか?
 現在料亭那覇の小さな畳間で供される古典音楽や踊り、雑踊り、民謡は王朝時代の遊里のおもてなしの芸の原型に近いのかもしれませんね。すべて古典音楽だけだったでしょうか?

それから、もっと金武流の芸能を研究すべきですね❗️

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。