
(船上から手を降る尚泰王)
《首里城明け渡し》沖縄俳優協会が新たに船出した。春洋一さんの亀川の役柄は渾身の力を出しきっていた。頑固党の党首で清《中国)派、息子たちは新しい時勢に生きようとしていた。黄色い軍艦の助太刀を念じていた思いはかなわなかった。池代や亀川の息子たちは時代の流れを敏感に察していた。宜湾親方もまた!玉木 伸さんはこの間松田処分官を演じてきた方だが、しみじみとした役で聞かせた。セットも舞台の全体の流れも安心して見ることができた。観衆は聞き漏らすまいとシーンと静まりかえっていた。若者たちの演技も真剣さが見えた。玉城敦子さんの役柄はビビッドに生きていた。時勢の波に飲み込まれる御殿のお嬢さんの姿は目を惹きつけた。その連ねも!間の者たちのひょうきんさも面白かった。ただ残念だったのは、御朱印などを城から取りだし薩摩の兵と向き合う場面がなかったこと、尚泰王の登場のさせ方が舞台の中央の麩が開いて入場ではなかったことである。筋書きに一部異動があったことかな?瀬名波孝子さんの役は親泊良子さんの流暢な首里言葉が今でも印象に残っているのだが、現代風の軽さが感じられた。親泊さんのあの首里言葉が聞きたい。
(最後に船を見送る王妃)
(尚泰王と臣下)
この舞台にはロゴスが、論理がある。意見の相違だが、それが亀川と宜湾の間で論じられるのは圧巻だった。大和党と中国党の闘いである。時勢のことばが何度も出ていくるセリフである。時勢の波間で首里城の開場がなされ、王は大和へ向かう。
《亀川親方のお嬢さん、玉城敦子さん)
命どぅ宝の有名なセリフが響いた。与座朝惟さんの尚泰王役は憔悴した王の扮装に見えた。船で琉球を後にする最後の場面まで見せた。久々に重厚な史劇を見た。1609年の尚寧王に続いて1879年3月、尚泰王が船で自国から引き離されることになった。華族として近代日本の中に位置づけられた琉球王である。
(亀川親方の家族、縫い物をしている)
目に焼き付けられる光景がいくつもあった。観衆の中では目に涙浮かべる方々もー。
(亀川親方と宜湾親方)
「新むんじゅるー」は最初の背景幕が赤瓦のある風景で首里かと思えた。しかし田舎のひなびた雰囲気を出せなかったのは全体の演出の課題に思える。