![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4e/e720bb91318bb9cf8fca247a732ddc15.jpg)
(薄いピンクの光が見える朝)
中古本として取り寄せた「女ぎらい」ーニッポンのミソジニーはとても読み応えがあった。ホモソーシャル、ホモフォビア、ミソジニー、その核は父権制度である。男同士の脱性的な絆(ホモソーシャル)、同性愛の駆除(ホモフォビア)、男性の連帯からの女性の排除(ミソジニー)の3つの構図もなるほどで、男は女との対関係で男になるのではなく、男は男たちの集団に同一化することによって男になる。
結婚とは2つの男女の絆ではなく、女の交換を通じて二人の男(ふたつの男集団)同士の絆を打ち立てることであり、女はその絆の媒介にすぎないとみなしたゲイル・ルービンである。
女は関係を求め。男は所有を求める。(小倉千加子)
アメリカでは自分を最も殺す確率の高い他人は夫であるとのジョークは人気がある。
殺人は究極の所有!女殺しは身近にいる。夫や恋人たち!
暴力、権力、金力、男性ホモソーシャルな男性社会の序列を決定する資源
人は他者が欲望するものしか欲望しない。外見のよさも他者が承認するからこそ価値がある。
権力のエロス化=男にとっての愛が、所有や支配の形式しかとりえないことを、この概念は如実に示す。
エロスとは文化的発情装置、なるほどでした。
守 如子の『女はポルノを読む』も面白かったが、上野千鶴子のポルノに関して想像力は取り締まれないは創造想像、つまり表現そのものを規制できないということになる。ある面、同感する。加害者と被害者両者を第三者(享受スル者たち)は受けとめざるを得ない。
対幻想に対する甘い考えは幻想だったのだろうか。それも男の幻想の産物でしかなかったのかもしれない。
オリエントとは女なのだ!東洋とは何かについての西洋の知=オリエンタリズム
(つまり蝶々さんは、今も溢れている!)
性別二元性のジェンダー秩序に深く埋め込まれた核がミソジニーだと上野。ミソジニーは男にとっては女性蔑視、女にとっては自己嫌悪である。一方男性も自己嫌悪に陥る。父権制度が大きな根っこにあると納得させられる。
***
脱線!
シングルマダーたちは頑張っている、児童扶養手当の削減は反対!DVで妻子を虐待する核家族制度の罠があるようだ。家父長制の弊害が4000年‥2000年?その新しい可能性はアメリカモデルではないEU、特にフランス辺りだろうか?日本の仕組みは女性にやさしいわけではなく家父長制度の増長であり、少子化対策のネックになっている家族制度の法体系があるようだ!
「女ぎらい」はすでに八刷でモテモテの本のようだ。歯切れよく、何度か読み返したい。図書の紹介にもなっているね。
そういえば宮城晴美さんはご自分の出身地の座間味‥渡嘉敷の地場(歴史‥文化‥戦争)から論を繰り出しているのだと納得、彼女の論理の中に沖縄独自の論理の可能性は立ちあらわれてくる可能性は大きいのかもしれない。お話していて興味深いと感じている。出自の島の根からの論理化をしてきた女性だとー。なるほど!
知識人の陥穽は場を持つか持たないか、なのかもしれない。その点XXさんなどは弱いのかもしれない。ことばを論理化する闘い、其々の闘い、がそこにある。表現の可能性、想像・創造の可能性はそこに、身近にあるのだと、納得。