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志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

大城立裕さんがメールで送ってきた琉球歌劇の寄稿文ー「ちょっと辛口になったが」と電話で話されていた。「それでいいですよ」と返答した!

2020-11-06 07:36:59 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
【復帰後の名優真喜志康忠と作家大城立裕の対談‼️お二人とも若い!対談の中身.......】
  沖縄ぐちの中にある深い意味を表現したい
大城:芝居についてはよく話しているけど、今日は言葉の問題からはいってみましょうか。
真喜志:その言葉では、いつも悩まされていますよ。なにか本を読んでても、これ沖縄ぐちにできないか、すぐ考えてしまいますね。脚本を書くときも、もっといい沖縄ぐちにできないかどうか考え考え書くので、表現が苦しくなりますね。
大城:そうして考えだした言葉を、素直に役者が表現してくれますか。
真喜志:それがねぇ。(苦しい表情だ)
大城:深みをだして欲しいと思っても.........。
真喜志:ええ、なかなか。(深く頷く)たとえばアンマーという言葉ひとつにしても、意味するところは深くて広いのに......。
大城:うんうん、わかるわかる。そういったところからもそうだが、文学性、芸術性という面からいえばもう少しのところにあるように思うんだ が、沖縄芝居は。どうだろうか。
真喜志:たしかに、もう一歩かもしれないね。どうかすると、ついいままでの経験でやってしまいがちで。
大城:しかし「流れ雲」とか「落城」というのは、あれはなかなかの傑作ですよ。どうでした、大当たりだったでしょう。
真喜志:「流れ雲」はうけましたよ。ウフフフ...。(いかにも嬉しそうだ。声が弾んでいる。)
大城:ほらあんたも少し飲みなさいよ。(とグラスを指差す)
真喜志............。(ウンウンというように頷く)
 沖縄芝居発展のために、現代ものの上演を。
大城:「復員者の土産」というものを除けば、芝居の時代は大正どまりだけど、もっと現代のものをやらんといけないな。それをやらないのは芝居人の怠慢だ。
真喜志:まったくそうだな。役者の体質も改善しなくてはならんし。
大城:シナリオの中に不用意なこともあるな。あれは気をつけんといかん。(なかなか鋭い批判が続く。が、たのしそうだ。)
大城:日常語で芝居ができるんだというオドロキから、沖縄芝居が発生したと思うんだ。ま、いろいろほかにも理由があるだろうが。
真喜志:(声を少し落とし)実は、いま組踊を研究中なんだ。あれは原点だからねぇ。
大城:やはりそう感じますか。ところで芝居言葉は、どこのものに近いかな。
真喜志:首里と泊の間のように思うけど.......。乱暴な言葉がないから。
大城:中間の言葉ですか、なるほど。
真喜志:あんたの書いた琉球処分ね、あれもう4,5回読んだけど、いいなあと思ったね。芝居人としては私ひとりかもしれんよ。そう思ったのは、。
大城:あんたとつきあって芝居の上じゃ損しているかもしれんが、長い目でみてもらえば、ご迷惑はおかけしていないつもりですよ。アハハハハ...。
真喜志:そうでしょうか、ハハハ.......。
大城:いづれにしても、芝居というのは瞬間瞬間のもので、型としてハッキリ残し難いがそれだけに尊いともいえるんですな。文学とはそこが違いますな。
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見出しは原稿依頼をしていた時のやり取りです。復帰の時はたしかNHKで「奥山の牡丹」の放送で、演劇評論家の扇田昭彦さんと対談していたのでした。テレビで放映される日本語の字幕の確認作業までやられた経験を話されていて、即興のうちなーぐちと字幕の日本語が噛み合わないことなども含め、示唆に富んでいます。

    【琉球歌劇について】

 琉球歌劇保存会が三十周年を迎えることを、まずお祝い申しあげたい。琉球歌劇の創始が明治二十年代とすると伝統の継承が百年以上にもなるわけで、役者たちのご努力に敬意を表したい。
 いつ観てもよいものである。その生命は歌にあるが、歌詞と音曲のいずれにも魅力がある。その魅力ゆえに、役者たちと観客を惹きつけて、長い伝統を築きあげたのであろう。
 ただ、その伝統をつなぐ上で、問題がないわけではない。
 私に思い出がある。「復帰」前のことであったか後のことであったか、記憶が確かでないが、「奥山の牡丹」を東京でテレビに流すことになり。私に注文があったのが、添えものとして、劇評家の扇田昭彦さんとの対談を求められたのである。私はよろこんで引き受けたが、しばらくして、東京の映像プロダクションから、次のような依頼を受けた。
「映像には歌と台詞のためにテロップを流すのだが、観ていると、耳で聞く歌とテロップとの間に食い違いがあるのではないかと思う。もし食い違いがあるのならば、テロップを修正したいので、観てほしい」というのであった。
 それで、テレビ出演を前に、相当の時間をとって観ることにし、東京・神楽坂にあったプロダクションへ行った。
 仕事は単純なことで、映像を見ながら、役者の唱えと、同時に流れているテロップの文が一致しているかどうかを見る、ということであった。
 お安い御用だと思いながら、ゆっくり映像を見せてもらった。お馴染みの歌を聴きながら、流れるテロップを見ていると、たしかにしばしば食い違っている。
 役者は宮城能造と親泊興昭で、沖縄の人なら誰もが認める名優同士だから、まことに自然に流れている。ところが、要所要所で私はストップをかけ、巻き戻しを求めた。歌劇はリズムで歌詞を覚えるので、役者は無意識に勝手に台詞をつくってリズムだけを合わせている。それで、歌の歌詞とテロップの文が食い違っているのである。歌っている音を改めることはできないので、テロップを歌に合わせて書き換えることになる。プロダクションの人はヤマトの人であるから、的確にどこがどう違うとは指摘し得ないのだが、勘でどうも違うような気がすると言うのであった。
その違いを私は的確に認めることができた。
で、テロップのいちいちの修正になんと五時間を要した。「奥山の牡丹」の尋常な上演の所要時間と比べて、あきれたことであった。
ここで私が認識したのが、琉球歌劇の秘密というか、その落とし穴のことである。歌のリズムに合わせて、いろいろと自分勝手な台詞(歌詞)を唱えることができる。これが落とし穴である。知らず知らず、原作の歌詞が変わっていく可能性がある。原作が書かれた時点からの年数を考え合わせれば、何百人かの役者の怠慢が積み重なって、右のようなことが起きたのである。
沖縄芝居は口立て芝居だと言われるが、それが、食い違いのもとになった。

いま一つの例。
「泊阿嘉」に私は不満を持ったことがあり、それの改訂版を書いたことがある(『うらそえ文藝』一九九八年)。どこをどう改めたかについては、煩わしいので省くが、これにたいして次のようなコメントをもらった。
「大変なお仕事量で驚いております。今度は歌劇『泊阿嘉』で、良く整理され、また面白くなっております。長い時間の間に役者の仕勝手に改変されたり、分からなくなっているところが沢山あります。歌舞伎でも同様です。時代による本の見直しと加筆は、今後とも必要だと思います」(織田紘二氏書簡)
「ながい間に役者の勝手に改変され」というところは、「奥山の牡丹」について、具体例があったことを、さきに書いたが、これらをあらためて整理し、まっとうな伝統として受け継いでいくことを、考えてはどうだろうか。
いまのままでは、どこまでわがままに変えられていくか、分からない。
 「あらためて整理し」と書いたけれども、この保存会の仕事として、地道に研究体制をつくって挑戦してはどうだろうか。(作家)


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大城先生は、この『うらそえ文藝』一九九八年 に掲載された作品が見つからないという事で、コピーを二部送ったのでした。この脚本を歌劇保存会の保持者お二人に上演を推薦し、脚本も渡したのですが、あまり乗り気にはならなかったようです。従来の作品と二本立てでの実験的試みにさえ躊躇するのはなぜか、気になったままです。大城先生の提言は「歌劇保存会」では難しい課題です。それは皮相な関係者ではなく、研究者の使命になっていくのでしょう。実演家と研究者の連携が必要です。それがよくわからない実演家が意外と多いのですね。文化協会の方々もまだまだ皮相に見えます。しかし真喜志康忠さんのような役者はもう再現しないのでしょうか。
『沖縄演劇の魅力』の著書にも沖縄芝居について含蓄のあるエッセイが集約されていますね。名優真喜志康忠と作家大城立裕の思いはその後「沖縄芝居実験劇場」で大きな花を開くのですね。

 

 

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