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「国立劇場おきなわ」はやっと首里方言から琉球語に転換なんですね!

2016-11-28 02:18:42 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

 (琉球新報、2016年11月23日の芸能欄に小さく紹介されていました。今日気がつきました。)

以前からこのブログで「国立劇場おきなわ」の言語認識の問題を、危機言語国際学会が開催された2014年の研究発表でも指摘したのだが、ようやく、認識の改善に向かったのでしょうか?指導的立場にある方々が、言語認識のお粗末さを、意識することのなかった10年ですね。改善が見られるのはいいことです。

波照間先生が県立芸大で教えていた[組踊」の詞章についての講義要項には首里方言と書かれています。方言から自立した琉球語へと認識が変わったのでしょうか?また「国立劇場おきなわ」の組踊の案内文のパンフは「方言」表記が多いですね。1929年に『琉球戯曲集』を上梓した伊波普猷でさえ、琉球語と書いているのです。戦後の後退した沖縄のインテリ層の認識だと分ります。ユネスコが2009年に琉球諸語は独立危機言語だと認定しました。その翌年に組踊は世界無形文化遺産として登録されたのでした。琉球王国独自の宮廷芸能して存在したわけですよね。ですから首里那覇沖縄中央語は独立言語として捉えられていいと考えていました。組踊の台詞の原型はほとんどが琉歌で首里語ですよね。

調査養成課の認識が改まったと考えていいでしょうか?指導するリーダーの方々の[方言]認識と[言語]認識とは大きな差異があると考えます。沖縄は先住民族ではなく、琉球王国の民だったのですよね。ATLウィールスから見ても、縄文人の血液の形態を持っていて、縄文人としては沖縄だけではなく日本列島に分布する人々と同系です。先住民族ではありませんね。琉球王国の民(住人)であったことは事実です。先住民族としては日本列島の人々と同系の縄文人であり弥生人ではなさそうです。後から朝鮮半島からやってきた弥生人が日本を制していくのですが、血の融合もなされたのですね。しかし、アイヌが先住民族ならば沖縄の縄文人も日本の先住民族ということになるでしょうか?アメリカの先住民族は多くのアメリカインディアンの部族ですよね。かれらはATLVを持っているようです。国家の形態ということで考えると、先住民族の概念は異なってきますね。

言語は文化の核です。アメリカインディオも全く言語を絶滅させられていたのですが、昨今継承された話者がいてある部族の言語の復活、修復がなされていますね。このブログでも紹介した世界的に著名な言語学者・チョムスキーの講演の中で言及されています。チョムスキーは言語多様性の重要さを指摘しています。言語がなくなれば文化が消えてしまいます。言語多様性は文化の豊かさを意味するとー。琉球語、琉球諸語を継承・保存・発展させるために何がなされなければならないのでしょうか?沖縄県は深く、世界を見つめながら、自らの足元を掘る必要があるのでしょう。世界を見据える眼差しの弱さは比較研究の弱さですね。

*****************以下は備忘録の転載:アイヌのHTLVは沖縄と同じように多いのですね。その話をした方はアイヌと異なると話していたので、うのみにしていました。似ているのですね。以下のウィキピディアを見るとー。

ATLのウイルスキャリアが日本人に多数存在することは知られていたが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されていない。いっぽうアメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などでキャリアが多い。日本国内の分布に目を転じると、南九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方太平洋側隠岐五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。東京、大阪など大都市で観察される患者の90%以上は九州などに分布するATL好発地帯からの移動者で占められていた。

以上より、日沼頼夫はこのウイルスのキャリア好発地域は、縄文系の人々が高密度で残存していることを示していると結論付けた[10]。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅し、弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9

〈先住民族〉の定義に近代以降の沖縄はあてはまりますね。1609年以降1879年までの近世琉球は「植民地王国」でもあったのですね。これらの定義では、非支配的地位、エスニック・アイデンティティの共有、先住性などがキーポイントとなっている[1]

政治的に劣勢な地位にある集団で、その国の支配的な地位にある集団のものとは異なった、同じエスニック・アイデンティティを共有し、現在統治している国家が支配を及ぼす以前から、その地域において、エスニックな実体をなしていたもの」(Greller, 1997) この集団の定義に国家も含まれるのだろうか?小さな王国だったわけですからー。←それも当てはまりますね。←しかし、皮肉なことに沖縄の母語は日本語になり、ウチナーグチは日常的に話されなくなりました。自らの言語に依拠しなくなってもエスニックな実体と言えるだろうか?基軸になる言語さえも自らの教育機関で教えて大事にすることもこの間、日本に併合され一つの県になっていらい、ないのです。それでいてエスニックの実体ということのアイロニーもありますね。日本人として日本語で沖縄芸能も翻訳されて表現されていくことになるのでしょう。国立おきなわの舞台表出はそのほとんどが[日本語字幕」に頼っている現実です。本来字幕がなくてもわかるはずであろう古典芸能や沖縄芝居が分らなくなっているのです。それでエスニックアイデンティティーが保たれるのでしょうか?

高嶺 剛監督の映画がすべてウチナーグチで日本語字幕がつくという事実に「ウチアタイ」しますね。全編ウチナーグチで描かれる自分探しのユリシーズです。まずことばを、修復・復活させましょう。琉球諸語の復活ですね。古典芸能や近代以降の芸能にしてもウチナーグチで成り立っていますね。戦前の沖縄では伊波は[琉球語」=国語と使いました。現在は「沖縄語」=ウチナーグチ=中央沖縄言語〈首里・那覇言語)と理解していいのでしょうか?

高嶺監督は八重山出身ですが、彼の映画の主人公達はウチナー芝居の役者でウチナーグチを話していますね。最近劇団創造が現代ウチナーグチ芝居を上演し始めています。戦後のテーマでもそのほとんどがウチナーグチでの上演です。それにも良さと問題がありますね。戦後沖縄の日常を照らす時、言語はマルチです。最近「おとな団」が上演した「九人の迷える沖縄人」は1972年の復帰の問題を論じているが、ことばはほとんど綺麗な日本語と一部沖縄芝居役者の登場によるウチナーグチです。それが現代リアリズム演劇の実相を示しています。言語のポリフォニーが拡散している現況ですよね。市内では、アメリカ人も闊歩しています。ラテン系アメリカ人、アフリカンアメリカ人、本土の日本人(も多様なエスニシティを持っている)もフィリピン系沖縄人もいる社会ですね。

多面的な顔が溢れている沖縄の素顔もありますね。そこでエスニックアイデンティティはどのように認定できるのでしょうか。中国系の子孫で強烈な沖縄ナショナリストである方々もいます。大和の血が混じった沖縄人もいます。多様性の中の沖縄エスニシティーなんですね。

とりとめもなく続いていくようです。しばらく雑でもー思いついたことを書き続けますね。

 


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