志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

同化と異化の対立ではないね!今朝の佐藤 優さんの土曜コラム!

2015-03-28 11:23:10 | 沖縄の過去・現在・未来

同化と異化は廃藩置県(廃琉置県のネーミングもあるね)1879年以来、今日まで沖縄を象徴する言葉だと云えようか。大城さんは同化と異化の狭間での題名でエッセイ集をまとめているかと思う。同化と異化の対立ではなく、確執、葛藤、激しい時代との格闘が続いている沖縄だが、それが対立なのか、ちょっと疑問だ。同化と異化は世界中で起こっていることでもあるゆえに、対立のことばはそぐわないと考える。弁証法のように、絶えず、人類は同化と異化を繰り返してきているのではないだろうか?以前同化assmilation と異化dissimilationについて論を書いている時、ネットで検索してみても、多様な論稿が英文でも並んでいることがわかった。interweavingの言葉もあり、多様化、中央と周辺、境界論など、様々な言語が時代を映すために使用されるが、極めつけはこの同化と異化に思える。絶えず、その間の力学関係がエネルギー(文化と覚醒)を生み出していると言えるのかもしれない。

昨日、日本人の公務員技術者とウチナームークと、日本本土出身で空港関係で働いている皆さんが話しているのを聞いていると、辺野古のデモがアルバイトで雇われているとかの話が聞こえてきて、むーっとした。鷹の目線が飛び交っているのだということにまず驚いた。このコラムで佐藤 優が書いている日本人官僚や政治家、インテリー層の視点のむごさがそのまま那覇のとあるコーヒー店でも飛び交っていたのだ。その技術者は基地が生み出すたかだか5%の利潤を報道ステーションがやっていたみたいね、ツイターで知ったのわたしの発言に対して、知的に実は、インフラ整備やもろもろ、それ以上の大金が動いているのだと、話した。大がかりな県のプロジェクトもプラニングなど、電通や博報堂、三菱XXだったか、大手が沖縄を材料にして大金を巻き上げ、沖縄に下ろされる資金から分取っていく仕組みになっているのでしょう、というと、地元にお金が降りるような取組はしているのだという。大手ゼネコンでないとできないインフ整備があり、どうしょうもないところがあるとも。それは理解できるが、最期にそれでも1879年から沖縄は日本一最貧県だというのを忘れた。≪すべての米軍基地、自衛隊基地は沖縄から姿を消してほしいが本音だ。しかし大学でたまに会う清掃担当の女性が自衛隊員のおくさんだったりする現実でもある≫

本土の視線の中にある高見から見下ろす視点は、それを逆に最近は戦後70年のアメリカ隷属の中で鍛えられた日本の知性の馴れの果てだと思う故に、かれらの繰り出す論理や知に「臆することはない」と思っている。それと同じで沖縄の芸能関係論者は折口信夫信憑者が多いので、話は飛躍するが、辻や仲島の女性たちの芸能を認めないスタンスが強固だと感じる。ホモセクシャルだった折口の美学が意外とこの沖縄では透徹しているのだろうか?それを突き崩す論理が必要なのだろうか?ギリシャのアテネでの哲学者たちの少年愛はよく知られているが、ソクラテスにしても、またプラトンにしても、ヘタイラと関係を持っていたことが知られている。芸妓たちは論じ合う対象でもあり、音楽や舞踊の美を協賛する対象でもあった。折口の愛弟子たちは沖縄でも目立っているね。三隅、田中、宜保、當間、大城、そして池宮?板谷は少し違うだろうか?去年から意識的に琉球舞踊の書物や論文を読み始めたが、近世、近代の身体性なり芸そのものが曖昧である。小橋川ひとみさんのお話しは若衆に関してだが、儀礼の強調と、江戸立では若衆踊りがなかった、の論点が主だった。女踊りの「じゃんめー」はユニークだね。昭和11年以降にすり足が登場してきたことは以前から言われてきたが、復帰後、女踊りの「うむい」が強調され、すり足とお能的身体へと変節してきたとの視点が見えた、なるほどー。近代の芸能に今関心がある。政治・経済・軍事・労働力・文化の「草刈り場」的沖縄の独自性とは何だろう?優位性とは?

南の思想に興味あると若いころ話していた研究者、彼は突き詰めたのだろうか?

背筋がピンとした上間郁子さんの踊りはやはり凄い。乙姫劇団から「うない」へ、「うないブランド」を県はもっと応援してほしい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。