
(渡地物語のチルー小:吉田妙子70代の色艶がいい!)
方言と言語について検索していると、なかなかいいエッセイに出あいました。それを紹介します!比嘉清氏のご提案です。うちなぐちと日本語両方が、読めます。
*********************************************
■「地域語発展のために」沖縄シンポジウム
(2002年12月2日/於沖縄青年会館)における比嘉清氏の発表内容(全文)
主催:科学研究費「多言語社会をめざす言語活動・言語政策に関する総合的研究」プロジェクト
協賛:沖縄タイムス社/南海日日新聞社/沖縄文化協会/多言語社会研究会
後援:三元社/南謡出版
うちなあぐち 日本語
●復興しみゆる為(たみ)ぬ三(みい)ちぬ考え
はいさい、ぐすうよう。我(わん)ねえ比嘉やいびいん。
今日(ちゅう)ぬテーマあ、「地域語発展」でぃち成とおいびいしが、上勝(ゐいまさ)い(発展)しいゆうするむぬがる、むてい栄(ざけ)えんするむぬやんでぃ我ねえ、思(うむ)いとおいびいくとぅ、くれえ、でえじな良いテーマやんでぃ思とおいびいん。
あんしねえ、ちゃあしねえ、沖縄語、上勝いしみてぃ行ちゅる事(くとぅ)んかいないがんでぃ云(ゆ)る事にちいてぃ、我考(わあかんげ)えうんうきやびら。
今(なま)、昔(んかし)ぬ、らんでぃゆる考えぬ強(つう)くなてぃ、沖縄語勉強(びんちょう)すぬ揃(すり)いん、あまくまんじ、はねえちょおいびいしが、あんそおる揃いんかい、めんせえる人達(ちゅんちゃあ)や、なあだ、いきら人数なてぃ、ぐまぐまあとぅそおる活動なかい、ちゃあん成いるむんやがやあんでぃ思やびいんようさい。沖縄語ぬ後々(あとぅあとぅ)ぬ事、考えいねえ、なあふぃん、ちゃんがら成らに思やびいようさい。じゅんに沖縄語、興(うく)ち、上勝いしみてぃ行ちゅる為ねえ、沖縄語がいちゃっさ、大切(てえしち)な言葉(くとぅば)やがんでぃ云る事悟(さとぅ)てぃ、目標んまぎく立てぃやあい、くり、しいなし(首尾)する為ぬ活動、頑丈(がんじゅう)らち行ちゅる事やんでぃ思いとおいびいん。くぬ目標んでぃ云せえ、沖縄語え一(てぃい)ちぬ独立(どぅう)ちい言語やんでぃ考えやびやあい、くり、しい成ち行ちゅる為ねえ何(ぬう)、ちゃあせえ、済(し)むがんでぃ云る事やいびいんようさい。
あんしいねえ、しえやあんでぃ思いねえ、じ、成いる三(みい)ちぬ考えうんぬきやびらんでぃ思とおいびいん。
第一に、沖縄語え一ちぬ独立っちい言語やんでぃぬ考えしいびちいあらにんでぃぬ事にちいてぃやいびいん。
ある言語(くとぅば)が方言どぅやみ一言語どぅやみんでぃぬ事にちいてえ、明(あ)ちらかな型あえんでぃさっとおいびいしが、学問が学問名付(なじ)きゆしえ、自由やいびいしが、自(どぅう)なあ達(たあ)言語ぬ名付きする事、決(ちわ)みゆしえ、民族ぬ肝持(ちむむ)ちどぅやるんでぃ思やびいんよおさい。やしが、くまうとおてえから考えてぃん、え本土方言ぬ内んかい入らんちぬ言語やんでぃとおる事とぅ、うぬくさてぃにちいてぃ、うんぬきやびら。
一ちえ、いいくる大和口(やまとぅぐち)とぅ言ちゃいはんちゃいぬ成らん事やいびいん。沖縄語とぅ大和口ぬ、似ちょる所(とぅくる)ぬ調びらったいすせえ、却(けえ)てえ、ちゃぬあたい、違と居るがんでぃ言る事ぬ表われえ、あいびらんがあさい。
二ちえ、昔から琉球(るうちゅう)くる、おもろさうし・組踊・琉歌・民謡・芝居(しばや)んでえぬ言語活動しゃる歴史ぬ有てぃ、今んむとぅうちょ居る事やいびいん。
三ちえ、まる、ゆんたくひんたくするばすお、別(びち)やいびいしが、実(じゅん)にぬんでぃないねえ、標準語んでえ漢語んでえぬんちゅる事くしする沖縄人(うちなあんちゅ)ぬまんどおる事やいびいん。日本語ぬ方言やんでぃ考えがちいん、沖縄人んかいや、沖縄語え大和口とぅ一ちやんでぃる考えぬいきらさいびいん。外間守善先生(しんしい)や方言ニュースにちいてぃ、ぬんじ「ヤマトゥグチ(標準語)がまじって、ほんとうのウチナーグチでないという批判もあるが、ウチナーグチとヤマトゥグチをまぜなければ表現できない現実があるわけで」んでぃみそうちょ居いびいん。くまんじぬヤマトゥグチんでえやえ漢語ぬ事どぅやいびいるようさい。
今うんぬきたるくぬ三ちが、沖縄語ぬでえじな変と居る所やんでぃ思ありやびいん。沖縄人お、日本語ぬとぅしちぬ方言でぃ言(ゆ)しとお、当たらな、胸内(んにうち)於(う)とおてえ、沖縄語r、大和口とお別ぬっちいそおる言語やんでぃち考えとおんでぃ思ありやびいん。歴史ちん、おもろさうしぬ書ち留み、組踊ぬ上演でえが、国ぬ仕事(しくち)とぅ成た程(あたい)、沖縄語ぬ活動や独立っちい言葉とぅさあい、歩(あ)っちょ居たんでぃ思ありやびいん。
又日本語学とおてえ日本祖語から本土方言とぅ琉球方言んかい分かりたんでぃさってぃ、沖縄語え本土方言とお、たんかあなあや、やてぃん、大和口ぬ下(しちゃ)んかい有るむんとおさってえ無(ね)えやびらんたん。実に沖縄語え独立ちいぬレールぬ上辺(わあび)と居おるばすどぅやいびいたしが、大和口とぅ同腹(いぬばら)(チュチョーデー)やんでぃぬ考えにてぃ、強い迄(までぃ)ん、日本語ぬ方言んでぃゆるレールんかい、けえ乗(ぬ)しらってぃ来(ち)ゃるむぬどぅやるんでぃ思まありやびいん。琉球や大和なかい取らってぃ、あんし今あ日本んかい、たっ加(くゎあ)とおくとぅ、なあ済みええさにんでぃ言る胆ん有ら筈(はじ)やいびいしが世界(しけ)ぬなあ各々(めえめえ)ぬ民族ぬ言語関係とぅ、うぬ言語名見(ん)じいどぅんせえ、同腹=方言んでぃゆる考えや大概小(ていげいぐゎあ)やあらに、んでぃ思やびいん。沖縄語え沖縄が、まあぬ国やがんでぃゆる事とお別とぅし、方言やあいびらな、一ちぬ言語やんでぃ考えゆしがる歴史ぬ行成(いちない)からん自然(しじん)やい沖縄人ぬ生胆(いちじむ)とぅん、ゆちゃあてぃ無理や無(ね)えやびらん。
第三に、沖縄語んかい漢語混んきてぃ表現力増(うわあ)さびらんでぃぬ事にちいていやいびいん。
沖縄語が、実ねえ、漢語ちゃっさきいなあん使てぃ来ゃる事お、今先(なまさち)ぬ方言ニュースんじん、又まる平生(ふぃいじい)ぬ言ちゃいはんちゃいんじん、あんやいびいしが、組踊、『沖縄対話』んでえんじん使あらっと居いびいん。他所(ゆす)ぬ言葉足れえたいすしえ、うぬ言語ぬ骨組(ふにぐ)みらんでぃする自然なむんどぅやいびいる。大和物漢語や西欧ぬぬ翻訳さい、創作活動するうちなかい、ちゃっさきいなあらってぃ、大概や中国はじみ、韓国でえんじん使あらっと居いびいん。漢語使ゆる事にゆてぃ、和語ん韓国語ん、新(みい)くに上勝いしみゆる事ぬ成たるばすやいびいん。
漢語混んちゃあ沖縄語にちいてぃ、今先ぬ外間先生や「新しいウチナーグチなのだという言語感覚を持つべきであろう」んでぃみそうちょ居いびいしが、我にん今ぬ日本語んでえ、韓国語とぅいぬむん、今参風儀(いまめえふうじ)に上勝いそ居る沖縄語んでぃ考えゃいびいん。沖縄ぬ大概ぬ人達が漢語=日本語んでぃ考えと居る為なかい、文章語、発表語でえんぬ正式とぅないねえ、混んちぇえならんでぃち考えやびやあい→漢語混んきゆる事くしさあい→あんし、言葉ぬ足らんでぃ思い病みいすん→やてぃ、創作ねえそおる実にぬ書ち言葉ぬないびらん→言葉ぬ活動がりあるむんとぅないびいん→やくとぅ独立ちいそおる言語とぅし風儀作(ちく)ゆる事ぬないびらん。あんそ居るい思病(うみや)みいから逃(ぬが)ありてぃ、沖縄語、しかっとぅ無理無えん、上勝いしみゆる為ねえ、話言葉とぅかぬ漢語使ゆる言語とぅいぬ如(ぐとぅ)、安んじてぃ文章沖縄語うとおてぃん漢語使ゆる事やんでぃ思と居いびいん。和語んかい漢語混んきてぃ今ぬ日本語が成とおる事にうたあち、沖縄語ん漢語混きらんしえ琉語、混んきゆしえ沖縄語んでぃ扱(あちけ)えてぃんしまんがやあんでぃ思やびいん。文学そうなむんやいいくる琉語、論文そうなむんやいいくる沖縄語んでぃち、使(ちけ)え分きれえ済むんでぃ思やびいん。
第三に、創作活動がる新たに発展(上勝い)しみゆるんでぃゆる事にちいてぃやいびいん。
戦ぬ終(う)わてぃ直(ちゃあき)、沖縄語なかいぬ教科書作え、米軍から言いちきらったる諮問委員会ぬ一人(ちゅい)が、仲宗根政善先生んかいさびたれえ、先生や「君、哲学書の一頁、琉球方言で翻訳できるか」んでぃ言い返さびたんでぃぬ事やいびいん。ちゃっさ米軍かいぬゲエやらわん、先生ぬ言ちゃる其ぬ言葉あ、沖縄人ぬ沖縄語んかい対(てえ)するち表わちょ居るむのお、あいびらんがやあさい。うにいから、なあ60年近く成とおいびいしが、「沖縄語し哲学書ぬ書かかりいみ」んでぃゆる事ぬ、ちゃぬあたいや、まし成とおいびいがやあさい。ある言語が文章語化成ゆみ成らにんでぃんでぃ言る事お其ぬ民族ぬ、はまい様にどぅかかと居いびいる、あたまから文章化成ゆる言語とぅ成らん形ち言語んかい分かりと居るむのおあいびらん。日本語し哲学書ぬ書ちゆうすしえ、漢語く造てぃてぃ、国語育(すだ)てぃ来ゃくとぅどぅやいびいる。いが祖先(うやうじ)達や大概や沖縄語抑圧んかい、ゲエする事ん成いびらな、文章語多く書ち残する事ん首尾する事ん成いびらんたん。漢語使ゆる沖縄語え「混んちゃあ」んでぃ言る考えてぃてぃ、却てえ漢語使ゆしがる自然やるでぃぬ考えすしがる哲学始み、あるっさぬ専門書ん沖縄語し書かちゆうすい、上勝いする事ん成いびいん。「沖縄語え沖縄語らあしく今ぬまま」んでぃぬ考えん、あらやいびいしが、あんしいねえ、活動ん殻篭(からぐま)いんかいどぅ成いびいる。上勝いするむんがるむてい栄えんさびいる。保存んでぃ言いねえ、かじみゆしとお、いぬむんけえ成てぃ、なあうっさ迄どぅやいびいんどおさい。生言葉(いちくとぅば)とぅさあにどぅ、子孫(くぁんまが)んかいしかっとぅ残する事ん、成いびいんどおさい。うっさやいびいん。

(「渡地物語」のリハの光景)
●沖縄語を復興させる為の三つの考え
本日は、「地域語発展」というのがテーマとなっているわけでございますが、発展するものにこそ未来があると思います。その意味でこのテーマは大変素晴しいと思います。
では、沖縄語についてどのように発展させていけばいいのかについて私の考えを述べさせていただきます。
今、復興気運が高まり、公民館などを拠点として、沖縄語の勉強会などが盛んであります。しかしながら、これらに参加する人は沖縄の人口から考えれば、まだまだ少数であり、沖縄の行く末は安閑としておられないというのが実情です。やはり、本格的な復興発展を目指すには、沖縄語が如何にかけがえのない言語であるかを認識し、これの完成に向かって活動を強化していくことだと思います。目標というのは、沖縄語は一独立言語であることを確認し、これを完成するにはなにをすべきかということであります。
そのための、やろうと思えばできる三つのご提案を致したいと思います。
その一は沖縄語は一言語であるという根本意識を持つことについてであります。
ある言語が方言であるか、一言語であるかについては明確な基準はないとされています。学問的に分類・区分する場合の呼称は別として(学問の自由)、言語の呼称を決めるのは民族意識であると私は思います。しかしながら、ここでは理屈の上からも沖縄語が本土方言に従属しない一独立言語であるということについて、述べてみたいと思います。
一つに、日本語との会話が成立しないことです。沖縄語と大和口の類似性が探究され関心が持たれること自体、その違いが大きいことの表われだと思います。
二つに、古くよりよりおもろさうし・組踊・琉歌・民謡・芝居といった独自の言語活動がなされてきた歴史があり、今も続いていることです。
三つに、多くの沖縄人に共通する言語感覚として、日常会話等現実的対応は別として、公のに標準語(漢語等)が混ざることに違和感を抱くということです。日本語の方言と呼びながら、その言語感覚は日本語との連続意識が薄く、対立意識の方が強いということです。外間守善先生は『沖縄の歴史と文化』(1997年)という著書の中で方言ニュースについて、「ヤマトゥグチ(標準語)がまじって、ほんとうのウチナーグチでないという批判もあるが、ウチナーグチとヤマトゥグチをまぜなければ表現できない現実があるわけで」と評しています。ここでいうヤマトゥグチとは実は漢語のことでございます。
以上の三つがの特徴として考えることができると思います。沖縄人は日本語の方言と呼称しながら、心の底では、大和語とは別の一独立言語であると意識しているとのだと思う訳であります。歴史的にも、おもろさうしの編纂や組踊が国家事業となりえた程、その言語活動は独立言語としての道を歩んでいた訳でございます。
又、日本語学上も日本祖語から本土方言と琉球方言に分かれたとされ、本土方言と対等に位置付けられ、従属するものとしてはされてなかったはずです。沖縄語は日本語同様独立言語としてのレールを走りつつあったにも拘わらず、日本語と同系だという見解によって、強引に日本語の方言というレールに乗換えさせられてきた訳でございます。琉球が日本に併合され、今は日本に帰属している現実の心情もあるでしょうが、世界各民族の言語関係とその呼称をみれば同系=方言という括り方は安直なものではないでしょうか。沖縄語は沖縄の帰属を抜きに考え、一言語と考えるのが歴史的にも自然であり、感覚的(民族意識)にも無理がないわけであります。
その二に、沖縄語に漢語を取り入れ表現力の増を図るべきです。
沖縄語が現実的には漢語を多く使用してきたことは、先程の方言ニュースや日常会話だけでなく、組踊、沖縄県学務課が明治13年に日本語教育の為に発行した教科書『縄對語』等でも見られる通りでございます。語彙の借用はその言語の骨格を守ろうとする自然現象なのです。和製漢語は近年、西欧の文物の翻訳或いは創作活動する過程で多く造られ、その多くは本場中国はじめ、韓国等でも使われていることは周知の通りでございます。漢語を使用することにより、和語も韓国語も新しい発展を遂げることができた訳でございます。
漢語混じり沖縄語についての外間先生は「新しいウチナーグチなのだという言語感覚を持つべきであろう」と前向きの評価をしておられます。私も現代日本語や韓国語同様、「現代的に発展した」と評価したいと思います。
このように、沖縄人の多くが漢語=日本語という括りをしている為に、文章語・発表語といった「正式」というからには純粋でなければならないと考え→漢語を沖縄語に取り込むことに抵抗感がある→結果、語彙「不足」に悩む→そして創作活動が興りにくい→取組が限定的になり→独立言語としての体裁を整えることができないという図式に陥っているのではないでしょうか。このような苦悩から逃れ、沖縄語を自然に確実に発展させるには、話言葉や他の漢語使用圏の言語同様、文章沖縄語に漢語を素直に使用することだと私は信じています。次いでに和語に漢語を取り入れ現代日本語を形作っていることに倣い、沖縄語も漢語を混ぜないのを〃琉語〃、混ぜるを〃沖縄語〃等と呼称したら如何がでしょうか。文学系は主に琉語を、論文系は主に沖縄語をという風に使い分けれることもできます。
その三に、創作活動が新たな発展をさせるということについてであります。
終戦直後、米軍からによる教科書作りを打診された諮問委員会の一人が今は亡き仲宗根政善氏に相談した所、氏は「哲学書の一頁、琉球方言で翻訳できるか」と訊き返したということでございます。このエピソードは『琉球語の美しさ』(1995年)にございます。彼の米軍支配への反発をどんなに差っ引いても、この言葉は、時代を超えて沖縄人の沖縄語への感覚を代表するものではないでしょうか。あれから、60年近く経た今日、「沖縄語で哲学書が書けるか」という課題がどれだけ改善されてまいったでしょうか。ある言語が文章語化できるかできないかはその民族の努力と考え方次第であって、最初から、できる言語とできない障害を持った言語に分かれて誕生する筈はありません。日本語で哲学書が書けるようになったのも漢語を多く造るなど、国語を発展させてきたからでございます。我々の先人は多くは言語抑圧に逆えず、文章語作品を多くは残すことができませんでした。漢語使用のは「混じり物」だという否定的発想から脱却し、むしろ、自然とする発想の転換こそ文章を発展させ、哲学をはじめ、あらゆる分野の専門書を沖縄語で書くことも可能にし、沖縄語を進化させることができるのです。「沖縄語は沖縄語らしく今のままに」という考えもあるかも知れませんが、それでは殻に籠った活動しかできません。発展あるものこそ未来が保障されるのです。保存というようなものでなく、創作活動含む生きた言語活動こそ発展的であり、後世に確実に残すことができる道だと思います。以上でございます。
方言と言語について検索していると、なかなかいいエッセイに出あいました。それを紹介します!比嘉清氏のご提案です。うちなぐちと日本語両方が、読めます。
*********************************************
■「地域語発展のために」沖縄シンポジウム
(2002年12月2日/於沖縄青年会館)における比嘉清氏の発表内容(全文)
主催:科学研究費「多言語社会をめざす言語活動・言語政策に関する総合的研究」プロジェクト
協賛:沖縄タイムス社/南海日日新聞社/沖縄文化協会/多言語社会研究会
後援:三元社/南謡出版
うちなあぐち 日本語
●復興しみゆる為(たみ)ぬ三(みい)ちぬ考え
はいさい、ぐすうよう。我(わん)ねえ比嘉やいびいん。
今日(ちゅう)ぬテーマあ、「地域語発展」でぃち成とおいびいしが、上勝(ゐいまさ)い(発展)しいゆうするむぬがる、むてい栄(ざけ)えんするむぬやんでぃ我ねえ、思(うむ)いとおいびいくとぅ、くれえ、でえじな良いテーマやんでぃ思とおいびいん。
あんしねえ、ちゃあしねえ、沖縄語、上勝いしみてぃ行ちゅる事(くとぅ)んかいないがんでぃ云(ゆ)る事にちいてぃ、我考(わあかんげ)えうんうきやびら。
今(なま)、昔(んかし)ぬ、らんでぃゆる考えぬ強(つう)くなてぃ、沖縄語勉強(びんちょう)すぬ揃(すり)いん、あまくまんじ、はねえちょおいびいしが、あんそおる揃いんかい、めんせえる人達(ちゅんちゃあ)や、なあだ、いきら人数なてぃ、ぐまぐまあとぅそおる活動なかい、ちゃあん成いるむんやがやあんでぃ思やびいんようさい。沖縄語ぬ後々(あとぅあとぅ)ぬ事、考えいねえ、なあふぃん、ちゃんがら成らに思やびいようさい。じゅんに沖縄語、興(うく)ち、上勝いしみてぃ行ちゅる為ねえ、沖縄語がいちゃっさ、大切(てえしち)な言葉(くとぅば)やがんでぃ云る事悟(さとぅ)てぃ、目標んまぎく立てぃやあい、くり、しいなし(首尾)する為ぬ活動、頑丈(がんじゅう)らち行ちゅる事やんでぃ思いとおいびいん。くぬ目標んでぃ云せえ、沖縄語え一(てぃい)ちぬ独立(どぅう)ちい言語やんでぃ考えやびやあい、くり、しい成ち行ちゅる為ねえ何(ぬう)、ちゃあせえ、済(し)むがんでぃ云る事やいびいんようさい。
あんしいねえ、しえやあんでぃ思いねえ、じ、成いる三(みい)ちぬ考えうんぬきやびらんでぃ思とおいびいん。
第一に、沖縄語え一ちぬ独立っちい言語やんでぃぬ考えしいびちいあらにんでぃぬ事にちいてぃやいびいん。
ある言語(くとぅば)が方言どぅやみ一言語どぅやみんでぃぬ事にちいてえ、明(あ)ちらかな型あえんでぃさっとおいびいしが、学問が学問名付(なじ)きゆしえ、自由やいびいしが、自(どぅう)なあ達(たあ)言語ぬ名付きする事、決(ちわ)みゆしえ、民族ぬ肝持(ちむむ)ちどぅやるんでぃ思やびいんよおさい。やしが、くまうとおてえから考えてぃん、え本土方言ぬ内んかい入らんちぬ言語やんでぃとおる事とぅ、うぬくさてぃにちいてぃ、うんぬきやびら。
一ちえ、いいくる大和口(やまとぅぐち)とぅ言ちゃいはんちゃいぬ成らん事やいびいん。沖縄語とぅ大和口ぬ、似ちょる所(とぅくる)ぬ調びらったいすせえ、却(けえ)てえ、ちゃぬあたい、違と居るがんでぃ言る事ぬ表われえ、あいびらんがあさい。
二ちえ、昔から琉球(るうちゅう)くる、おもろさうし・組踊・琉歌・民謡・芝居(しばや)んでえぬ言語活動しゃる歴史ぬ有てぃ、今んむとぅうちょ居る事やいびいん。
三ちえ、まる、ゆんたくひんたくするばすお、別(びち)やいびいしが、実(じゅん)にぬんでぃないねえ、標準語んでえ漢語んでえぬんちゅる事くしする沖縄人(うちなあんちゅ)ぬまんどおる事やいびいん。日本語ぬ方言やんでぃ考えがちいん、沖縄人んかいや、沖縄語え大和口とぅ一ちやんでぃる考えぬいきらさいびいん。外間守善先生(しんしい)や方言ニュースにちいてぃ、ぬんじ「ヤマトゥグチ(標準語)がまじって、ほんとうのウチナーグチでないという批判もあるが、ウチナーグチとヤマトゥグチをまぜなければ表現できない現実があるわけで」んでぃみそうちょ居いびいん。くまんじぬヤマトゥグチんでえやえ漢語ぬ事どぅやいびいるようさい。
今うんぬきたるくぬ三ちが、沖縄語ぬでえじな変と居る所やんでぃ思ありやびいん。沖縄人お、日本語ぬとぅしちぬ方言でぃ言(ゆ)しとお、当たらな、胸内(んにうち)於(う)とおてえ、沖縄語r、大和口とお別ぬっちいそおる言語やんでぃち考えとおんでぃ思ありやびいん。歴史ちん、おもろさうしぬ書ち留み、組踊ぬ上演でえが、国ぬ仕事(しくち)とぅ成た程(あたい)、沖縄語ぬ活動や独立っちい言葉とぅさあい、歩(あ)っちょ居たんでぃ思ありやびいん。
又日本語学とおてえ日本祖語から本土方言とぅ琉球方言んかい分かりたんでぃさってぃ、沖縄語え本土方言とお、たんかあなあや、やてぃん、大和口ぬ下(しちゃ)んかい有るむんとおさってえ無(ね)えやびらんたん。実に沖縄語え独立ちいぬレールぬ上辺(わあび)と居おるばすどぅやいびいたしが、大和口とぅ同腹(いぬばら)(チュチョーデー)やんでぃぬ考えにてぃ、強い迄(までぃ)ん、日本語ぬ方言んでぃゆるレールんかい、けえ乗(ぬ)しらってぃ来(ち)ゃるむぬどぅやるんでぃ思まありやびいん。琉球や大和なかい取らってぃ、あんし今あ日本んかい、たっ加(くゎあ)とおくとぅ、なあ済みええさにんでぃ言る胆ん有ら筈(はじ)やいびいしが世界(しけ)ぬなあ各々(めえめえ)ぬ民族ぬ言語関係とぅ、うぬ言語名見(ん)じいどぅんせえ、同腹=方言んでぃゆる考えや大概小(ていげいぐゎあ)やあらに、んでぃ思やびいん。沖縄語え沖縄が、まあぬ国やがんでぃゆる事とお別とぅし、方言やあいびらな、一ちぬ言語やんでぃ考えゆしがる歴史ぬ行成(いちない)からん自然(しじん)やい沖縄人ぬ生胆(いちじむ)とぅん、ゆちゃあてぃ無理や無(ね)えやびらん。
第三に、沖縄語んかい漢語混んきてぃ表現力増(うわあ)さびらんでぃぬ事にちいていやいびいん。
沖縄語が、実ねえ、漢語ちゃっさきいなあん使てぃ来ゃる事お、今先(なまさち)ぬ方言ニュースんじん、又まる平生(ふぃいじい)ぬ言ちゃいはんちゃいんじん、あんやいびいしが、組踊、『沖縄対話』んでえんじん使あらっと居いびいん。他所(ゆす)ぬ言葉足れえたいすしえ、うぬ言語ぬ骨組(ふにぐ)みらんでぃする自然なむんどぅやいびいる。大和物漢語や西欧ぬぬ翻訳さい、創作活動するうちなかい、ちゃっさきいなあらってぃ、大概や中国はじみ、韓国でえんじん使あらっと居いびいん。漢語使ゆる事にゆてぃ、和語ん韓国語ん、新(みい)くに上勝いしみゆる事ぬ成たるばすやいびいん。
漢語混んちゃあ沖縄語にちいてぃ、今先ぬ外間先生や「新しいウチナーグチなのだという言語感覚を持つべきであろう」んでぃみそうちょ居いびいしが、我にん今ぬ日本語んでえ、韓国語とぅいぬむん、今参風儀(いまめえふうじ)に上勝いそ居る沖縄語んでぃ考えゃいびいん。沖縄ぬ大概ぬ人達が漢語=日本語んでぃ考えと居る為なかい、文章語、発表語でえんぬ正式とぅないねえ、混んちぇえならんでぃち考えやびやあい→漢語混んきゆる事くしさあい→あんし、言葉ぬ足らんでぃ思い病みいすん→やてぃ、創作ねえそおる実にぬ書ち言葉ぬないびらん→言葉ぬ活動がりあるむんとぅないびいん→やくとぅ独立ちいそおる言語とぅし風儀作(ちく)ゆる事ぬないびらん。あんそ居るい思病(うみや)みいから逃(ぬが)ありてぃ、沖縄語、しかっとぅ無理無えん、上勝いしみゆる為ねえ、話言葉とぅかぬ漢語使ゆる言語とぅいぬ如(ぐとぅ)、安んじてぃ文章沖縄語うとおてぃん漢語使ゆる事やんでぃ思と居いびいん。和語んかい漢語混んきてぃ今ぬ日本語が成とおる事にうたあち、沖縄語ん漢語混きらんしえ琉語、混んきゆしえ沖縄語んでぃ扱(あちけ)えてぃんしまんがやあんでぃ思やびいん。文学そうなむんやいいくる琉語、論文そうなむんやいいくる沖縄語んでぃち、使(ちけ)え分きれえ済むんでぃ思やびいん。
第三に、創作活動がる新たに発展(上勝い)しみゆるんでぃゆる事にちいてぃやいびいん。
戦ぬ終(う)わてぃ直(ちゃあき)、沖縄語なかいぬ教科書作え、米軍から言いちきらったる諮問委員会ぬ一人(ちゅい)が、仲宗根政善先生んかいさびたれえ、先生や「君、哲学書の一頁、琉球方言で翻訳できるか」んでぃ言い返さびたんでぃぬ事やいびいん。ちゃっさ米軍かいぬゲエやらわん、先生ぬ言ちゃる其ぬ言葉あ、沖縄人ぬ沖縄語んかい対(てえ)するち表わちょ居るむのお、あいびらんがやあさい。うにいから、なあ60年近く成とおいびいしが、「沖縄語し哲学書ぬ書かかりいみ」んでぃゆる事ぬ、ちゃぬあたいや、まし成とおいびいがやあさい。ある言語が文章語化成ゆみ成らにんでぃんでぃ言る事お其ぬ民族ぬ、はまい様にどぅかかと居いびいる、あたまから文章化成ゆる言語とぅ成らん形ち言語んかい分かりと居るむのおあいびらん。日本語し哲学書ぬ書ちゆうすしえ、漢語く造てぃてぃ、国語育(すだ)てぃ来ゃくとぅどぅやいびいる。いが祖先(うやうじ)達や大概や沖縄語抑圧んかい、ゲエする事ん成いびらな、文章語多く書ち残する事ん首尾する事ん成いびらんたん。漢語使ゆる沖縄語え「混んちゃあ」んでぃ言る考えてぃてぃ、却てえ漢語使ゆしがる自然やるでぃぬ考えすしがる哲学始み、あるっさぬ専門書ん沖縄語し書かちゆうすい、上勝いする事ん成いびいん。「沖縄語え沖縄語らあしく今ぬまま」んでぃぬ考えん、あらやいびいしが、あんしいねえ、活動ん殻篭(からぐま)いんかいどぅ成いびいる。上勝いするむんがるむてい栄えんさびいる。保存んでぃ言いねえ、かじみゆしとお、いぬむんけえ成てぃ、なあうっさ迄どぅやいびいんどおさい。生言葉(いちくとぅば)とぅさあにどぅ、子孫(くぁんまが)んかいしかっとぅ残する事ん、成いびいんどおさい。うっさやいびいん。

(「渡地物語」のリハの光景)
●沖縄語を復興させる為の三つの考え
本日は、「地域語発展」というのがテーマとなっているわけでございますが、発展するものにこそ未来があると思います。その意味でこのテーマは大変素晴しいと思います。
では、沖縄語についてどのように発展させていけばいいのかについて私の考えを述べさせていただきます。
今、復興気運が高まり、公民館などを拠点として、沖縄語の勉強会などが盛んであります。しかしながら、これらに参加する人は沖縄の人口から考えれば、まだまだ少数であり、沖縄の行く末は安閑としておられないというのが実情です。やはり、本格的な復興発展を目指すには、沖縄語が如何にかけがえのない言語であるかを認識し、これの完成に向かって活動を強化していくことだと思います。目標というのは、沖縄語は一独立言語であることを確認し、これを完成するにはなにをすべきかということであります。
そのための、やろうと思えばできる三つのご提案を致したいと思います。
その一は沖縄語は一言語であるという根本意識を持つことについてであります。
ある言語が方言であるか、一言語であるかについては明確な基準はないとされています。学問的に分類・区分する場合の呼称は別として(学問の自由)、言語の呼称を決めるのは民族意識であると私は思います。しかしながら、ここでは理屈の上からも沖縄語が本土方言に従属しない一独立言語であるということについて、述べてみたいと思います。
一つに、日本語との会話が成立しないことです。沖縄語と大和口の類似性が探究され関心が持たれること自体、その違いが大きいことの表われだと思います。
二つに、古くよりよりおもろさうし・組踊・琉歌・民謡・芝居といった独自の言語活動がなされてきた歴史があり、今も続いていることです。
三つに、多くの沖縄人に共通する言語感覚として、日常会話等現実的対応は別として、公のに標準語(漢語等)が混ざることに違和感を抱くということです。日本語の方言と呼びながら、その言語感覚は日本語との連続意識が薄く、対立意識の方が強いということです。外間守善先生は『沖縄の歴史と文化』(1997年)という著書の中で方言ニュースについて、「ヤマトゥグチ(標準語)がまじって、ほんとうのウチナーグチでないという批判もあるが、ウチナーグチとヤマトゥグチをまぜなければ表現できない現実があるわけで」と評しています。ここでいうヤマトゥグチとは実は漢語のことでございます。
以上の三つがの特徴として考えることができると思います。沖縄人は日本語の方言と呼称しながら、心の底では、大和語とは別の一独立言語であると意識しているとのだと思う訳であります。歴史的にも、おもろさうしの編纂や組踊が国家事業となりえた程、その言語活動は独立言語としての道を歩んでいた訳でございます。
又、日本語学上も日本祖語から本土方言と琉球方言に分かれたとされ、本土方言と対等に位置付けられ、従属するものとしてはされてなかったはずです。沖縄語は日本語同様独立言語としてのレールを走りつつあったにも拘わらず、日本語と同系だという見解によって、強引に日本語の方言というレールに乗換えさせられてきた訳でございます。琉球が日本に併合され、今は日本に帰属している現実の心情もあるでしょうが、世界各民族の言語関係とその呼称をみれば同系=方言という括り方は安直なものではないでしょうか。沖縄語は沖縄の帰属を抜きに考え、一言語と考えるのが歴史的にも自然であり、感覚的(民族意識)にも無理がないわけであります。
その二に、沖縄語に漢語を取り入れ表現力の増を図るべきです。
沖縄語が現実的には漢語を多く使用してきたことは、先程の方言ニュースや日常会話だけでなく、組踊、沖縄県学務課が明治13年に日本語教育の為に発行した教科書『縄對語』等でも見られる通りでございます。語彙の借用はその言語の骨格を守ろうとする自然現象なのです。和製漢語は近年、西欧の文物の翻訳或いは創作活動する過程で多く造られ、その多くは本場中国はじめ、韓国等でも使われていることは周知の通りでございます。漢語を使用することにより、和語も韓国語も新しい発展を遂げることができた訳でございます。
漢語混じり沖縄語についての外間先生は「新しいウチナーグチなのだという言語感覚を持つべきであろう」と前向きの評価をしておられます。私も現代日本語や韓国語同様、「現代的に発展した」と評価したいと思います。
このように、沖縄人の多くが漢語=日本語という括りをしている為に、文章語・発表語といった「正式」というからには純粋でなければならないと考え→漢語を沖縄語に取り込むことに抵抗感がある→結果、語彙「不足」に悩む→そして創作活動が興りにくい→取組が限定的になり→独立言語としての体裁を整えることができないという図式に陥っているのではないでしょうか。このような苦悩から逃れ、沖縄語を自然に確実に発展させるには、話言葉や他の漢語使用圏の言語同様、文章沖縄語に漢語を素直に使用することだと私は信じています。次いでに和語に漢語を取り入れ現代日本語を形作っていることに倣い、沖縄語も漢語を混ぜないのを〃琉語〃、混ぜるを〃沖縄語〃等と呼称したら如何がでしょうか。文学系は主に琉語を、論文系は主に沖縄語をという風に使い分けれることもできます。
その三に、創作活動が新たな発展をさせるということについてであります。
終戦直後、米軍からによる教科書作りを打診された諮問委員会の一人が今は亡き仲宗根政善氏に相談した所、氏は「哲学書の一頁、琉球方言で翻訳できるか」と訊き返したということでございます。このエピソードは『琉球語の美しさ』(1995年)にございます。彼の米軍支配への反発をどんなに差っ引いても、この言葉は、時代を超えて沖縄人の沖縄語への感覚を代表するものではないでしょうか。あれから、60年近く経た今日、「沖縄語で哲学書が書けるか」という課題がどれだけ改善されてまいったでしょうか。ある言語が文章語化できるかできないかはその民族の努力と考え方次第であって、最初から、できる言語とできない障害を持った言語に分かれて誕生する筈はありません。日本語で哲学書が書けるようになったのも漢語を多く造るなど、国語を発展させてきたからでございます。我々の先人は多くは言語抑圧に逆えず、文章語作品を多くは残すことができませんでした。漢語使用のは「混じり物」だという否定的発想から脱却し、むしろ、自然とする発想の転換こそ文章を発展させ、哲学をはじめ、あらゆる分野の専門書を沖縄語で書くことも可能にし、沖縄語を進化させることができるのです。「沖縄語は沖縄語らしく今のままに」という考えもあるかも知れませんが、それでは殻に籠った活動しかできません。発展あるものこそ未来が保障されるのです。保存というようなものでなく、創作活動含む生きた言語活動こそ発展的であり、後世に確実に残すことができる道だと思います。以上でございます。