安保支持の翁長知事のスタンスへの鋭い批判のエッセイですね。ダグラス・スミスさんのエッセイも、政府、国家、行政内部の人間のもつ限界を書いていました。市民運動の力が大きいことがわかります。組織の内部の体制に取り込まれた者たちの限界ですね。体制内部の変革が可能であることもその通りですがー。
「辺野古新基地阻止」と「戦争法案阻止」は「車の両輪」。「安保と基地では平和は守れない」。これをたたかいの根底に据えることが、今ほど求められている時はないでしょう。 と、この方の視点は安保廃棄→平和条約へでしょうか?それはいいと思います。どの国とも平和友好条約を結んだらいいですよね。
ただ安保支持にしても、「このままの状況だと安保そのものの体制もうまくいきませんよ」を、翁長さんのメッセージとしてとることもできます。戦後70年間の沖縄の状況は異常です。ハワイの軍事基地のように、住民に配慮した政策がなされず、普天間基地は世界で一番危険な基地と言われ続けてきました。それでも撤去できません。無条件に撤去しない日米首脳の沖縄の住民への差別的視点そのものです。米国や日本本土の人間と同じ扱いを受けていないという紛れもない実証になるからです。いつオスプレイが市民の頭上に落ちてもかまわない、のスタンスですね。
日米の沖縄への人権蹂躙の差別的政治スタンスだと、翁長さんが記者クラブで話したことは間違っていません。米国は広大ですから基地と市民生活の場は隔離されています。しかし沖縄は島々丸ごとが陸、空、海と演習地そのものです。それを地位協定を改善することもなく素通りしている状況が構造的差別になりますね。新聞が論理的に展開しているので、沖縄の紙面を読む方々の認識は深まっています。「おかしい」「不合理」の状況を生かされていることへの怒りはやむことはありません。
戦争しないと憲法9条は高らかに世界に宣言しているのですよね。それを戦争できる国へと転換することになります。アメリカの世界戦略に加担していくことは《この間もずっと戦後はそうだったのですが》、安保条約が憲法の上に君臨する限り危険が伴うということになるのでしょうか?軍事力と経済力のバランスの上に成り立つ地球の均衡、人類史のまさに過去・現在・未来を生きている私たちです。核基地沖縄(米軍戦闘機や米艦船や潜水艦はいつでも核を搭載して沖縄にやってくる)に住み、常に脅威にさらされている亜熱帯の島に生きているのだと、考えてみれば、穏やかに見える空も海も『危険』の中にあるのだと、パラノイアにならざるをえませんね。現代人はすべからく、さまざまなパラノイアの当事者かもしれませんね。←オスプレイも飛び、F15,F22,F28と飛び回っている沖縄上空ですよね。やれやれ!自衛隊ヘリも騒音をあげていつでも飛んでいる空です。平安は朝夕の小鳥たちの鳴き声、草花の涼やかさの中にあるのでしょうか?日常のささやかな喜びがかき消される環境の中にいるのだと、静けさの中でため息をつきます。
翁長雄志沖縄県知事が訪米する前日26日の琉球新報、沖縄タイムスが、「検証委員会が提言すれば、埋立承認を取り消す」という翁長氏の共同通信インタビュー(5月25日)を、いずれも1面トップで大きく扱っていること、およびその問題点については、同じ26日のブログで批判しました。
今日30日の琉球新報にそのインタビューの全文が載りました(沖縄タイムスは上下2回に分けて掲載)。
全文を見て驚きました。きわめて重要な個所が26日の両紙の報道からすっぽり抜け落ちているからです。26日の両紙には「発言要旨」も付いていましたが、その中にもまったくありませんでした。
重要な個所とは、目下最大の問題であり、もちろん沖縄にも大きな影響を及ぼす、安倍政権の「戦争法案」(安保法制)に対して、翁長氏は反対を明言しないどころか、事実上容認している個所です。
琉球新報掲載のインタビュー全文から、該当個所を引用します。
―安保法制の整備をどう見ていますか。
「中国に対するコンプレックスではないか。軍事力だけでなく経済大国として台頭したことで、国民も、政治をやっている人も、いたくプライドを傷つけられた。安保法制の背景にはそんな感情があるのではないか」
「尖閣問題の発端をつくったのは石原慎太郎(元東京都知事)さんが『都が買う』と言って、野田佳彦(前首相)さんが買ってしまったこと。それがなければ曖昧なまま多少はしのげた。安保法制には、それがしのげなくなってしまった結果の恐怖心もある」
「コンプレックス」や「恐怖心」の当否はともかく、重要なのは、翁長氏が「安保法制」(戦争法案)の背景に中国との関係があると言いながら、法案への批判・反対をまったく口にしていないことです。むしろ、「背景」を“説明”することで、法案が必要な情勢になっていると示唆しているといえるでしょう。←沖縄の知事に期待する前に日本のマジョリティーの皆さんの問題だといいたいのですよね。
翁長氏は知事選でも集団的自衛権行使容認については「拙速だ」と閣議決定の手順については言及しましたが、「反対」は明言しませんでした。今回、戦争法案に反対せず事実上容認したことは、それと軌を一にするものです。
その根源は、「自民党出身者として日米安保体制をよく理解している」(同インタビュー)という翁長氏の基本的政治信条にあります。そしてそれは、翁長氏の「辺野古新基地反対」が、「辺野古に新基地を造ることは日米同盟、安保体制に相当の傷をつけますよ、と(米国に)伝える」(同)という、日米安保擁護の立場からのものであることと一体不可分です。
日米安保を繰り返し擁護し、戦争法案に反対しない知事の下で、辺野古新基地阻止の本当のたたかいを進めることができるでしょうか。沖縄から軍事基地をなくすることができるでしょうか。
「九条の会」の事務局でもある渡辺治・一橋大名誉教授は、「戦争法案を阻むたたかいは沖縄の辺野古新基地建設を許さないたたかいと、車の両輪でたたかう必要があります」とし、こう指摘しています。
「アメリカの戦争に加担する『海外で戦争する国』づくりは、辺野古の新基地建設、沖縄のアメリカの戦争拠点化と一体だからです。
この二つのたたかいは、『安保は日本の平和に役に立っているのか』という問いを改めて提起していることに注目する必要があります。戦争法案は日米安保条約の範囲を拡大し、世界中どこでもアメリカの戦争に日本が加担する体制をつくろうとしています。辺野古新基地建設は、安保のグローバル化に伴う米軍再編の一環として強行されようとしています。安保と基地では平和は守れないという声をあげていく必要があります」(「しんぶん赤旗」5月17日付、写真右)
「辺野古新基地阻止」と「戦争法案阻止」は「車の両輪」。「安保と基地では平和は守れない」。これをたたかいの根底に据えることが、今ほど求められている時はないでしょう。
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ただ翁長さんを弁護したくなる気持ちが起こります。戦争法案阻止、日本のみなさんは真剣に取り組んでほしいですね。沖縄は日本の麗しい憲法の美醜の醜の部分をこの間背負わされてきたのです。翁長さんは精一杯、沖縄の戦後を代弁しています。このブログを書いている方は日本人として、沖縄の立場を踏みにじってきた側の人間でもありますね、翁長さんの立場を安保容認だから、欺瞞だとばかりもいえないかと思います。沖縄は沖縄の立場からの不合理を訴えるスタンスを主張し続けるほかないですね。安保を容認してきた圧倒的多数の日本人の意志によってなりったってきた戦後ですよね。沖縄は蚊帳の外にいたのですね。
美しい日本国憲法によって基本的人権を保障してほしいと闘ってきたのです。そして変わらない現実です。物質的には豊かになったのは事実ですね、しかし構造的な危機状況は変わっていないということですね。ある面、翁長さんは斜めに日本そのものを見ていることにもなります。中国の台頭でびくついている日本への冷ややかな視点が沖縄にあるのかもしれません。そうした日本(人)のびくつく状況に対して、独自の交流、外交を展開しています。ブログの主の視点はある面なるほどですが、日本の責任問題をそのまま沖縄に過剰に期待しても困るような気もします。日本の中の沖縄だが、それも鎖(基地、戦闘機、核搭載原潜)の中にあって、アップアップですよ。翁長さんの沖縄ナショナリズムの喚起は悪くないですね。それが未来の道しるべかもしれません。日本がびくつく中国との交流の歴史が長い沖縄です。ハワイには多くの沖縄の移民が住んでいます。
市民レベルでの交流を押し広げていきたいものです。んんん、そこにパラノアにならない秘訣があるのかもしれませんね。ハワイー沖縄平和協定が結ばれてもいいかもですね。中国ー沖縄平和条約とか結べないのかしら?基地は米軍、自衛隊も含めすべて撤去が理想です。