ブラタモリ、東海道57次 第3日
東海道が大津で分岐して大坂へ向かう街道があるという話
大津-伏見―淀ときて、次は枚方の宿
枚方といえばひらパーですね
ひらかたパーク。
いまでは大阪で唯一残された遊園地といっても過言ではないでしょう
昔は、エキスポランド、みさき公園、ポートピアランド(兵庫か)とか
遊園地もかずかずありましたが
いつのまにかひらパーと生駒山上遊園くらいしか残っていない
昭和世代の私には、枚方パークといえば菊人形で有名でした
毎年今時分、大河ドラマや歌舞伎なんかをテーマにした
菊人形が飾られて、みんなが見に行ったもんです
枚方パーク=菊人形でしたね
それが、遊園地の衰退をうけてひらパー兄さんというキャラを作って
生き残りをかけてます。
初代は小杉さんでしたっけ、今では岡田准一さんが受け持ってます
そんなことはどうでもええんです
枚方宿の話
枚方宿は、淀川のほとりにあり
淀川には、大坂へ向かう船がいきかっていたそうです
タモリさん曰く、歩くより船のほうが楽だよねって
そのとおり、枚方宿には大坂から京へ向かう旅人は泊まるものの
大坂へ向かう旅人は、とまらずにみんな船で下って行ったそうです
ということで、不景気におちいった枚方宿の人は
いろんなことで金を稼いでいたそうです
例えば、船から見える宿屋で宴会を開いて客寄せをしたり
船で下っている旅人に、「くらわんか船」という船で
いろんな食材を提供したりしていたそうです
「くらわんか」とは、大阪弁で標準語でいうと「食べろよ!」という感じでしょうか
ゴボウを使ったくらわんか鍋というのが有名だったそうです
東海道中膝栗毛でも、くらわんか鍋が出てきて
こんなんにまずいものはないと書かれているそうですね
枚方を後にして、最後の宿は、守口宿だそうです
守口は、坂が多い土地で高低差が激しい。
それはなぜかというと、豊臣秀吉の命令で
淀川の氾濫を防ぐために、長い堤防を築いたそうです
その堤防の上に作られたのが守口宿だったそうです
興味のある方は、調べてみてください
そして大坂
出発は、江戸の日本橋、53次の京都のゴールは三条大橋とくれば
大坂のゴールも橋です
ゴールは、北浜の高麗橋でした
テレビで見てびっくりしました
北浜で働いていた時に毎日のように見ていた橋が映ってました
高麗橋にタモリが来てたのかと思うと
感慨深いです
いつも高麗橋の横の中華でちゃんぽんと半チャーハンを食ってたもんです
もうあの中華もなくなっちゃった
ということで、なかなか興味深いブラタモリ三日間でした。