春画ってご存知ですか?
しゅんがって読むのですが、江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画。浮世絵の一種。
有名な、喜多川歌麿や葛飾北斎も書いてますぞ
そんな春画についての考察が先週の週刊ポストに載ってました。
面白かったので転載するのだ。
「江戸時代の性交は長さや質よりも一晩での「回数」が重視された」
美人画で知られる喜多川歌麿も、ゴッホに賞賛された「富嶽三十六景」を描いた葛飾北斎も、
美術の教科書に載るような作品だけでなく、多くの春画を描いていた。
それら一流の絵師たちによる春画を分析しながら、江戸の「性の七不思議」を解き明かしていく。
江戸のセックスにおいては、交合の「長さ」よりも「回数」がことのほか重視された。
現代では1回の性交をじっくり楽しむ、いわば「セックスの質」が重視されるが、江戸時代には「質より数」といわんばかりに、一晩での射精数の多寡が最優先されたのだ。
だから春画には、行為の後で使ったいくつもの桜紙が、くしゃくしゃに丸められ、夜具のまわりに捨て置かれている構図が多い。
巨匠・葛飾北斎の『富久寿楚宇』では、恋人たちがのたまう。
「3回、4回は口よごし。天下晴れて夫婦になったら、何回するだろう」
若さというのは恐ろしい。あるいはこのカップル、よほどの好き者同士なのか――だが、
同じ作品に登場する夫婦者の会話はもっと凄い。
夫「3回したら、ちょっとくたびれた」
妻「お前さん、今夜に限ってくたびれたの、もうイヤだのと、(陰茎を)仕舞ってはなりません。
どうぞ、少なくともあと5回はやらせてくださいませ」
歌麿の『ねがひの糸ぐち』でも、女郎の情夫がこんなことをいっている。
「四つ(午後9時半過ぎ)にまた来て5回、6回とセックスするから、いまはちょっと控えて3回にしておこう」
一晩で合計9回……だが、この程度でげんなりしてはいけない。
歌川国虎の『祝言色女男思』には、82歳の絶倫老人が登場して、妾にたいして「今夜は10回はやろうと思っていたが8回で萎えてしまった」と嘆いているのだ。
もっとも、春画の世界においては、回数の誇張は性器の極端なデフォルメ同様に
“作法”であり“常識”だった。
浮世絵研究家で、春画にも造詣が深い白倉敬彦氏は苦笑交じりで語る。
「江戸のセックスは、同性愛、不倫、アナルから男女それぞれの売買春、果ては獣姦まで、
タブーなしの、あっけらかんとしたものでした。それを反映して、
春画も性器のサイズや回数といった、幼稚ともいえる“わかりやすさ”にこだわったのでしょう」
江戸のセックスは、ゲーム感覚で行なわれていたわけだ。
だからこそ、回数はそのまま得点としてカウントされる。
「逆の面から考察すれば、江戸の性は開放的すぎて、内面的な苦悩なんて存在しなかったわけです」
※週刊ポスト2013年4月26日号
こんな感じで、ちんこもまんこもデフォルメして書くのが
トレンディーだったんでしょうねw
しかし、回数も異常ですねw
わしなんか、1日1回がせいぜいです
うそ
この期に及んで嘘ついてました。
1週間に1回です。(それも自家発電で・・・)
そんなことどうでもいいんです
新婚当時、一番のりにのってたときでも、週2回がせいぜいでしたな
そんなことはどうでもいい。
わしって淡白ね!
この記事には続きがあって
当時の春画には、おっぱいが重要視されていなかったそうです
大きさも画一的で、乳首に彩色された画はなかったそうですな。
江戸の男は、どうも女の乳房を“子育ての道具”と認識していたようで、
性的関心の対象外でした。江戸初期の春画にいたっては、男女の胸をほとんど同じように描いているくらいだって。
『おっぱいなんか、どうでもいい』ことなんだと
江戸中期になってようやく、おっぱいにも興味を持ち始めたらしいです
記事では
春信一派といわれる磯田湖龍斎の『色道取組十二番』では、
情夫が遊女を後背位で攻め立てながら、しっかり乳首に刺激を加えています。
女郎は『あれさ、そんなのよしなよ』とつぶやく。プロの女性にとっても、
男からの乳房への愛撫は意外性があったうえ、予期せぬ快楽をもたらしているようです」
どうやら、乳房を攻めて興奮へ導く術を習得している男は、
プロの女の虚をつくほどのテクニシャンということのようだ。
ですと
わしおっぱい大好きだもんな
わしも一子相伝の秘術
「高速ローリング乳首ソバット」を極めたいぞ!
って今適当に作ったんですけど
そんなことどうでもいいんです。
春画ってけっこう面白いぞ
興味がある人はググってごらんなさいませ
いろいろ面白いぞ!!