イタリア語文化講座「イタリア都市 誕生と発展 エトルリアから現在のボローニャ~」リポート(2016.9.14)@日伊学院
イタリア都市 誕生と発展 ~エトルリアから現在のボローニャ~
“La nascita e lo sviluppo della città italiana: dalla Bologna etrusca alla Bologna di oggi“
イタリア エミリア=ロマーニャ州 州都ボローニャ
エトルリア期に生まれたこの街は、現在に至るまで、多くの歴史を重ねてきた都市です。
この文化講座では、ボローニャを例に、イタリアの都市がどのように誕生し発展してきたのかを、豊富な図像資料とともに、同市のイタリア語学校Cultura Italiana di Bologna で学校長を務めるマッシモ・マラッチ(Massimo Maracci)氏に解説していただきます。
講演の後には、パルミジャーノとワインをお供に、イタリア語でお喋りを楽しみましょう!
このセミナーに イタリア語仲間のMuccini氏が参加され 早速リポートを送ってきてくださいました
* * *
エトルリア人は 独自のエトルリア語を使っていた エトルリア語はアルファベットで記述されているので文字を読むことはできるが 意味はすべては解読されていない
紀元前7世紀頃 古代ローマ人以前に エトルリア人社会が ラテン、ギリシャ文字がその源となる(例:A・B等でいえば)アルファベット文字を使い 狩りや農業という原史時代に 領地を守り 柵を設け 境界を作り 町や村を構成していたという
それがボローニャ郊外の山地マルツァボット(Marzabotto)で そのエトルリア社会の住居跡が発掘されたのだ
そこには街路 水の供給ルート 広場 死者をまつる寺の跡等 其処にはエトルリア社会が根を下ろし 独自の文化を形成していた事が伺える
更にポー川流域から アルノ川 テベレ川流域にかけて その周辺地域に進出し やがて古代ローマに滅ぼされる
今日の イタリアの村や町の原形は エトルリアがもとになっている
* Marzabotto にある Museo Nazionale Etrusco di Marzabotto は こちら
エトルリアは イタリアの歴史のお話を聞きに行くとよく出てきます エトルリア語も死語となっていますね ミステリアス...
このようなお話をいだいたあと direttoreのご家族も含めて 皆さんでバルミジャーノとワインで楽しく歓談いたしました♪
そしてこのあとは9月16日(金)開催のセミナー「ボローニャ、その食と教育の歴史」へと続きます~♪
素晴らしい文化講座を開催してくださいました日伊学院様 そして的確なリポートを書いてくださいましたMuccini様に 心よりお礼申し上げます
文化講座のおしらせは こちら
イタリア語 ブログランキングへ
![にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ](//foreign.blogmura.com/italian/img/italian88_31.gif)
にほんブログ村
イタリア都市 誕生と発展 ~エトルリアから現在のボローニャ~
“La nascita e lo sviluppo della città italiana: dalla Bologna etrusca alla Bologna di oggi“
イタリア エミリア=ロマーニャ州 州都ボローニャ
エトルリア期に生まれたこの街は、現在に至るまで、多くの歴史を重ねてきた都市です。
この文化講座では、ボローニャを例に、イタリアの都市がどのように誕生し発展してきたのかを、豊富な図像資料とともに、同市のイタリア語学校Cultura Italiana di Bologna で学校長を務めるマッシモ・マラッチ(Massimo Maracci)氏に解説していただきます。
講演の後には、パルミジャーノとワインをお供に、イタリア語でお喋りを楽しみましょう!
このセミナーに イタリア語仲間のMuccini氏が参加され 早速リポートを送ってきてくださいました
* * *
エトルリア人は 独自のエトルリア語を使っていた エトルリア語はアルファベットで記述されているので文字を読むことはできるが 意味はすべては解読されていない
紀元前7世紀頃 古代ローマ人以前に エトルリア人社会が ラテン、ギリシャ文字がその源となる(例:A・B等でいえば)アルファベット文字を使い 狩りや農業という原史時代に 領地を守り 柵を設け 境界を作り 町や村を構成していたという
それがボローニャ郊外の山地マルツァボット(Marzabotto)で そのエトルリア社会の住居跡が発掘されたのだ
そこには街路 水の供給ルート 広場 死者をまつる寺の跡等 其処にはエトルリア社会が根を下ろし 独自の文化を形成していた事が伺える
更にポー川流域から アルノ川 テベレ川流域にかけて その周辺地域に進出し やがて古代ローマに滅ぼされる
今日の イタリアの村や町の原形は エトルリアがもとになっている
* Marzabotto にある Museo Nazionale Etrusco di Marzabotto は こちら
エトルリアは イタリアの歴史のお話を聞きに行くとよく出てきます エトルリア語も死語となっていますね ミステリアス...
このようなお話をいだいたあと direttoreのご家族も含めて 皆さんでバルミジャーノとワインで楽しく歓談いたしました♪
そしてこのあとは9月16日(金)開催のセミナー「ボローニャ、その食と教育の歴史」へと続きます~♪
素晴らしい文化講座を開催してくださいました日伊学院様 そして的確なリポートを書いてくださいましたMuccini様に 心よりお礼申し上げます
文化講座のおしらせは こちら
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1933_1.gif)
![にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へ](http://foreign.blogmura.com/italian/img/italian88_31.gif)
にほんブログ村