日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

第10回世界遺産講座「ドイツ」に参加してきました@㈱クラブツーリズム旅の文化カレッジ

2021年04月07日 | ドイツ語・独検

第10回世界遺産講座「ドイツ」に参加してきました@㈱クラブツーリズム旅の文化カレッジ


2018年の世界遺産シリーズで 「次はドイツです」と聞いた瞬間の私の嬉しそうな顔ときたら!! とうとうドイツ好きの夫まで参加してしまいました(笑) というわけでラストはドイツ!! ← 5回行ってます 夫はもっと多いです

まずはドイツの世界遺産ベスト10!! (ドイツには文化遺産39 自然遺産342の世界遺産があります) 中でも私が一番心打たれたのはケルン大聖堂(Kölner Dom)が危機遺産を脱したお話でした

1996年に世界遺産に登録され 周辺の高層建築計画による景観破壊で2004年に危機遺産となりますが 高さ規制等のケルン市当局の懸命な努力でもって2006年には解除されたのですね~ 今回も2017年にウィーン歴史地区(Historisches Zentrum von Wien)が同様の理由(景観破壊)で危機遺産リスト(Die Rote Liste des gefährdeten Welterbes)入りとなってしまいましたが こんな風にして解除とならないだろうか...とまずは思ってしまいました

他には ヴィ―スの巡礼教会(Wieskirche) ここはロココ調の美しい「天から降ってきた宝石」とも言われる天井画があり必見です♡ 「ヴィ―スの奇跡」と言われる伝説もあるのです 農夫が放置されたキリストの木像に祈りを捧げるとキリスト像が涙を流したため 建てられたとのこと

アーヘン大聖堂(Aachener Dom) 実はカール大帝(Charlemagne/Karl der Große)は温泉好きで「カルロステルメ(Carolus Thermen)」と呼ばれる温泉があります アーヘンはドイツのルーツともいえる カロリング・ルネサンス カトリック ゲルマンの要素を加えた独自のヨーロッパ世界を築き上げたのです


ヴュルツブルク司教館
(Würzburger Residenz) ここは「階段の間」という吹き抜けの柱のない空間が見事で 軽い凝灰岩を使っているため砲弾を撃たれても崩れなかったそうです

ライン渓谷中流上部(Reine Gorge) 「ローレライ伝説」は ほんとは男のエゴは悲しい結末を迎えるという意味とのこと ライン川懐かしい~ ← ボッパルト(Boppard)のゲーテ・インスティテュートで若い頃勉強したので(*´▽`*)

ポツダムとベルリンの宮廷群と公園群(Schlösser und Parks von Potsdam und Berlin) ここのバーべルスベルク城(Schloss Babelsberg) はウィンザー城のような宮殿とのこと

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂(Welterbe Römische Baudenkmäler, Dom und Liebfrauenkirche in Trier) ポルタ・ニグラ(黒い門)はローマ時代の遺跡です 他の遺跡のように石が略奪されなかったのは聖者ジーメオンが住んでいたからですって 私も昔行きましたよ♪


ブレーメンの市庁舎とローラント像
(Rathaus und Roland in Bremen) このローラント像はバルト三国のリガ(ラトヴィアの首都)や他のハンザ都市にもありますね!

宗教改革を行ったルターにまつわる世界遺産「アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群/Luthergedenkstätten in Eisleben und Wittenberg (1996)」そして 「ワルトブルク城(Wartburg/1999)」も忘れてはならないですね♡ これについては日独協会でドイツ語セミナー「ドイツ語圏文化セミナー「私は東ドイツに生まれた: 旧東ドイツの世界遺産/Weltkulturerbe」+「ドイツってどんな国?」を受けてきました(2017.3.24)@(財)日独協会」に詳しく書きました

     *      *      *

次にドイツの歴史のおさらいをしました:

まずはドイツという国について 同じ言葉(ドイツ語)を話す同胞がDeutschlandという国の概念をつくり それはナポレオン戦争がきっかけだったとのこと 

ローマの前はケルト文化(Kelten) ハルシュタット((Hallstatt/オーストリア)のあたりがケルト文化が栄えたところ

カエサルの時代はゲルマニア(Germania)と呼ばれており ゲルマン人の傭兵がローマに合流していった (ヨーロッパのラテンとゲルマン民族の融合のはじまり) 

4世紀後半のゲルマン民族大移動で ローマ支配からゲルマンのフランク族支配となった (キリスト教が融合のきっかけとなる) ピピン三世(Pippin III)の子 カール大帝(Charlemagne/Karl der Große)が800年に西ローマ帝国の初代皇帝となった 

そのカール大帝の死後フランク王国(Fränkisches Reich)からは ヴェルダン条約(843年)とメルセン条約(870年)により 東フランク王国(のちのドイツ王国)・西フランク王国(のちのフランス王国)・中フランク王国(のちのイタリア王国)が成立した ちなみにバイエルンはこの東フランク王国には入っていない

東フランクのカロリング朝が断絶してザクセン朝が成立 初代ハインリヒ一世(Heinrich I.)は分割相続を排して北方・東方に領土を拡張 
東フランクの2代目オットー一世(Otto I.)は962年にローマ皇帝の戴冠を受けて 神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich)が生まれた (東フランク王国がローマンカトリックの教えを忠実に守る帝国というとらえ方 殆どがゲルマン人でドイツ語) カール大帝はカエサルの再来 オットー一世はアウグストゥスの再来(代理)と言われる 

当時は世襲ではなく 7人選帝侯(Kurfürst)による選挙で皇帝が選ばれた 大空位時代を経て その叙任権闘争から 1777年にカノッサの屈辱(Gang nach Canossa)事件が起きた (グレゴリウス7世vs皇帝ハインリヒ4世 ヨーロッパでは今でも「強制されて謝罪する」慣用句として用いられる) その後教皇との対立により皇帝権が弱体化してゆき 各地の領邦君主(諸侯)らが自らの所領支配を固めて 領邦国家へと移ってゆきます

エルベ川の東のスラブ人居住地に植民をし(バルト三国の始まり) 12世紀にはブランデンブルク辺境伯国(Mark/Markgrafschaft Brandenburg)が置かれ 13世紀にはドイツ騎士団(Deutscher Orden)がバルト海沿岸を征服し バルト・ドイツ人(Deutsch-Balten)の東方植民地と結びつき 1618年にブランデンブルク辺境伯国と合併してブランデンブルク・プロイセン公国(Brandenburg-Preußen)が生まれ これが今のドイツのルーツとなる
 
大空位時代を経て帝国都市(自由都市(Freie Reichsstadt)とハンザ同盟(Hansestadt)が生まれてゆく

司教区と教区について そして神聖ローマ帝国の首都について等の話 カール五世等の歴代皇帝はイタリア遠征(戦争)ばかりだった等の話...

1517年に 免罪符に反対するマルティン・ルター(Martin Luther)の『95ヶ条の論題』(95 Thesen)による宗教改革(Reformation)が起こり 彼の新約聖書のドイツ語訳と グーテンベルク(Johannes Gutenberg)の活版印刷により 一般の人びとも聖書が読めるようになった

さらに カトリックとプロテスタントによる三十年戦争(Dreißigjähriger Krieg/1618~1648)を経て 皇帝の地位は地に落ち 伝統的な封建階級が没落し 自由都市や小国が独立国として権威を獲得してゆき ハプスブルク家(Haus Habsburg)に代わって 新興のホーエンツォレルン家(Haus Hohenzollern)が台頭し 中心が北に移り 1701年にプロイセン王国(Königreich Preußen)が生まれます


フリードリヒ2世
(Friedrich II./フリードリヒ大王(Friedrich der Große))は七年戦争で勝って領土を拡大し プロイセン王国の基礎を作る そしていよいよ19世紀にナポレオン戦争(Napoleonische Kriege/ヨーロッパの明治維新のようなもの) 1806年には神聖ローマ帝国が消滅します 
35の君主国と4つの自由都市でドイツ連邦(Deutscher Bund)が形成されます 

ビスマルク(Otto von Bismarck)宰相はヴィルヘルム一世(Wilhelm I.)のもとで普墺戦争と普仏戦争に勝って 1871年ドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich)が誕生 ドイツが統一します (1番目が神聖ローマ帝国 2番目がこのドイツ帝国 3番目がヒトラーの第三帝国)

しかし第一次世界大戦で敗北し 皇帝は退位して君主制は廃止 1919年に 議会制民主主義のヴァイマール共和国(Weimarer Republik)が誕生 巨額の賠償金やインフレに苦しみつつ ベルリンが「黄金の20年代」(Goldene Zwanziger)と呼ばれる繁栄を迎えるが 1929年の世界恐慌によりヒトラー率いるナチスが台頭 1933年に政権に就くや第二次世界大戦へと向かい そして敗戦処理 ベルリンの壁(Berliner Mauer)...と 現代史につながってゆくのですね

他にも 司教と司教国について ケルン大司教とボン ハンザ同盟と盟主リューベック トリーアの歴史 市参事と市庁舎(ラートハウス)等についてもご説明いただきました 充実した90分講座でした! 

これで連続10回の世界遺産講座も無事終わりました
素晴らしい連続講座を開催してくださいました㈱クラブツーリズム様に 心よりお礼申し上げます 

毎回密な歴史と世界遺産のお話を聞き おかげさまでスピーチコンテストにも出場できて 一生の思い出ができました♡


* 写真は トリ―アのポルタ・ニグラ ローマ時代の遺跡です




ドイツ語ランキング

にほんブログ村 外国語ブログ ドイツ語へにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西検が2021年よりリニューア... | トップ | 5G基地局のアンテナつき中古... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ドイツ語・独検」カテゴリの最新記事