今日というより、さっきまで茶業界の人たちと一緒にいて、茶業界の問題や将来、ブランド化について、講演会と親睦会をしていた。
で、その後、自分はと言うと、飲みなれていないワインを飲んで、まっすぐ歩けず、ヘベェレケの千鳥足で帰ってきた。
飲みなれていないワインを飲んだと言う事もあるし、寝不足と言う事もあるし、全力投球で講演をしたと言う事もあるのだが、ヘベェレケになった理由は他にあるのだ。
それは、自分の願い・思いを、短時間で理解してくれた人たちがいたという、嬉しさなのだ。
一人ぼっちの王様というのが、スズノブさらには西島としての、米業界の感想であろう。
実際に、スズノブとしても西島としても、それでかまわないと思っていた。
しかし、自分も歳をとり、一人ぽっちになっている事で、「このままでは駄目だ」という思いが強くなってきたのだが、では、どうすれば良いかが判らずにいた。
米業界を再編させるほどの力は、自分には無いだろうし、実行したとしても、ついてくる米屋は少ないだろう。
でも、再編しないと米業界の未来は無い。
若い頃であれば、エイリアンと呼ばれようが、裸の王様であろうが、一人ぼっちであろうが、強引に業界を動かす事が出来ただろう。
しかし、自分も歳をとったし、そこまでの力が無い事は、重々に理解している。
スズノブには未来が無いし将来が無い。
これは誰もが知っている事実であり、現実である。
だからこそ、スズノブさらには西島としても、たかが1万分の1でも、自分の思いが伝わればと、産地でけでなく、米業界だけでなく、異業種に対しても、ブランド化の話をし続けているのである。
誰もが判るだろう。こんなに辛い現実は無い。こんな一人ぼっちも無い。
あまりに厳しすぎるし、悲しすぎるるし、なにより寂しすぎる。
それを、西島という男は、20年間、たった一人でやり続けていたのだ。
講演をして、話をして、やっと判って貰えてと思っていた相手が、実際には一歩も動かなかったという、物凄い挫折感や敗北感というものを、みんなは想像できるだろうか。
空しさとか諦めとか、そんな簡単な言葉では言い表せない、粉々に心が壊れていく無念さ、悔しさ、そして残念さ。
それを感じながらも、認めながらも、諦めながらも、顔だけは笑い続け、提案し続け、語り続けている自分と言うのは、まるで泣いているピエロのようだ。
それでもスズノブは、西島は言い続けている。語り続けている。話し続けている。
全ては自分のためではなく、産地のため、米業界の明日のため。
自分なんて、所詮は捨石。トップに立つ器ではない。
そんなことは、自分が痛い程に判っている。
でも自分には、誰も気付かなかった、盲点を、確信を、将来を、見つけ出したり、探し出したりする力があることは、足りない頭でも理解している。
自分に出来る事、それは・・・・、厳しい現実。
で、その後、自分はと言うと、飲みなれていないワインを飲んで、まっすぐ歩けず、ヘベェレケの千鳥足で帰ってきた。
飲みなれていないワインを飲んだと言う事もあるし、寝不足と言う事もあるし、全力投球で講演をしたと言う事もあるのだが、ヘベェレケになった理由は他にあるのだ。
それは、自分の願い・思いを、短時間で理解してくれた人たちがいたという、嬉しさなのだ。
一人ぼっちの王様というのが、スズノブさらには西島としての、米業界の感想であろう。
実際に、スズノブとしても西島としても、それでかまわないと思っていた。
しかし、自分も歳をとり、一人ぽっちになっている事で、「このままでは駄目だ」という思いが強くなってきたのだが、では、どうすれば良いかが判らずにいた。
米業界を再編させるほどの力は、自分には無いだろうし、実行したとしても、ついてくる米屋は少ないだろう。
でも、再編しないと米業界の未来は無い。
若い頃であれば、エイリアンと呼ばれようが、裸の王様であろうが、一人ぼっちであろうが、強引に業界を動かす事が出来ただろう。
しかし、自分も歳をとったし、そこまでの力が無い事は、重々に理解している。
スズノブには未来が無いし将来が無い。
これは誰もが知っている事実であり、現実である。
だからこそ、スズノブさらには西島としても、たかが1万分の1でも、自分の思いが伝わればと、産地でけでなく、米業界だけでなく、異業種に対しても、ブランド化の話をし続けているのである。
誰もが判るだろう。こんなに辛い現実は無い。こんな一人ぼっちも無い。
あまりに厳しすぎるし、悲しすぎるるし、なにより寂しすぎる。
それを、西島という男は、20年間、たった一人でやり続けていたのだ。
講演をして、話をして、やっと判って貰えてと思っていた相手が、実際には一歩も動かなかったという、物凄い挫折感や敗北感というものを、みんなは想像できるだろうか。
空しさとか諦めとか、そんな簡単な言葉では言い表せない、粉々に心が壊れていく無念さ、悔しさ、そして残念さ。
それを感じながらも、認めながらも、諦めながらも、顔だけは笑い続け、提案し続け、語り続けている自分と言うのは、まるで泣いているピエロのようだ。
それでもスズノブは、西島は言い続けている。語り続けている。話し続けている。
全ては自分のためではなく、産地のため、米業界の明日のため。
自分なんて、所詮は捨石。トップに立つ器ではない。
そんなことは、自分が痛い程に判っている。
でも自分には、誰も気付かなかった、盲点を、確信を、将来を、見つけ出したり、探し出したりする力があることは、足りない頭でも理解している。
自分に出来る事、それは・・・・、厳しい現実。