今回短期間で複数の産地に行って思ったことが、「世間が狭い」ということ。
どういうことなのかというと、高知県に行った時には、茨城のブランド化の資料を持っているというし、千葉県へ行った時には、もと匝瑳でブランド化を始めた人が移動で行っていたし、兵庫県に行った時にも、茨城で一緒にやっている人の名前が出てきて、会ったこともあるというし、福井県では、佐賀のブランド化を一緒にやっている人の名前が出てきて、一緒に研修もしたというのだ。
実は、こういうことは今まで、他の産地でも何度もあったのだが、あまりにもその範囲の狭さに、今回改めて驚かされてしまった。
そして、それを実感したとき、正直言って、嬉しいというより、「これでは駄目だ」という思いが出てきてしまった。
なぜなら、あまりにも動いている人たちが限定しすぎているのだ。
日本中の、全ての品種のブランド化が不可能なことは判っているし、いまさら全ての産地が生き残れるとは思はないし、現実として不可能であろう。
でも、だからと言って、動いている産地の数が、あまりにも少なすぎると思う。
まだまだ、諦めなくていい品種も産地もあるのだから、黙ってしまうのではなく、引き下がってしまうのではなく、最後のひと踏ん張りで、もう一回暴れてみたらどうなのだろうか。
そして、どうか、自分たちとコンタクトを取ってほしいと思う。
米屋の中では、一番産地のことを知っているだろう自分ですら、まだまだ全てを知っているわけではないのだ。
だから教えてほしい、知らせてほしい。
まだ諦めてくはないんだということを、まだ戦いたいんだということを、そして、生き残りたいんだということを。
そう願う産地が沢山でてくるのなら、自分は、自分と同レベルの仲間を、たくさん育てようと思う。
現実として、産地を1つブランド化するより、自分と同レベルの米屋を10件作るほうが簡単だと思うし、お米マイスターや米屋のグループの中には、直ぐにでも自分と肩を並べられる人材が既に沢山いるし、自分を超えている人材もいるのだ。
その人材と知識と経験を、改めて1つにまとめて、新しい方向性を作ったとしたら、産地の復活なんてわけないことだろうと、自分は思うのである。
でもみんな、自分と同じか、自分以上に頑固者か変人であるので、一筋縄では動くはずがない。
だから、産地として、本音を教えてほしいと思う。
どういうことなのかというと、高知県に行った時には、茨城のブランド化の資料を持っているというし、千葉県へ行った時には、もと匝瑳でブランド化を始めた人が移動で行っていたし、兵庫県に行った時にも、茨城で一緒にやっている人の名前が出てきて、会ったこともあるというし、福井県では、佐賀のブランド化を一緒にやっている人の名前が出てきて、一緒に研修もしたというのだ。
実は、こういうことは今まで、他の産地でも何度もあったのだが、あまりにもその範囲の狭さに、今回改めて驚かされてしまった。
そして、それを実感したとき、正直言って、嬉しいというより、「これでは駄目だ」という思いが出てきてしまった。
なぜなら、あまりにも動いている人たちが限定しすぎているのだ。
日本中の、全ての品種のブランド化が不可能なことは判っているし、いまさら全ての産地が生き残れるとは思はないし、現実として不可能であろう。
でも、だからと言って、動いている産地の数が、あまりにも少なすぎると思う。
まだまだ、諦めなくていい品種も産地もあるのだから、黙ってしまうのではなく、引き下がってしまうのではなく、最後のひと踏ん張りで、もう一回暴れてみたらどうなのだろうか。
そして、どうか、自分たちとコンタクトを取ってほしいと思う。
米屋の中では、一番産地のことを知っているだろう自分ですら、まだまだ全てを知っているわけではないのだ。
だから教えてほしい、知らせてほしい。
まだ諦めてくはないんだということを、まだ戦いたいんだということを、そして、生き残りたいんだということを。
そう願う産地が沢山でてくるのなら、自分は、自分と同レベルの仲間を、たくさん育てようと思う。
現実として、産地を1つブランド化するより、自分と同レベルの米屋を10件作るほうが簡単だと思うし、お米マイスターや米屋のグループの中には、直ぐにでも自分と肩を並べられる人材が既に沢山いるし、自分を超えている人材もいるのだ。
その人材と知識と経験を、改めて1つにまとめて、新しい方向性を作ったとしたら、産地の復活なんてわけないことだろうと、自分は思うのである。
でもみんな、自分と同じか、自分以上に頑固者か変人であるので、一筋縄では動くはずがない。
だから、産地として、本音を教えてほしいと思う。