昨日24時をもって、崩れ落ちる事が決定した山の「最後の大仕事」、令和元年産米の年間契約の数量報告の締め切りとなった。
契約数の多い産地品種については、来年の8月までは管理をしてもらえる。
しかし、そこまでの契約数でない産地品種は3月末まで。
もっと契約数量の少ない産地品種は12月末までの引き取りとなっている。
倉庫が大きければ、何も問題はないのだが、自分たちみたいに、売り場と倉庫が一緒の店舗では、大量の在庫を保管することが出来ない。
したがって、契約数量の少ない産地品種については、年間販売をする事が出来なくなってしまったのだ。
契約数量が少ない産地品種は、売れていない産地品種でもある。
巨大な山が継続できるのであれば、ゆっくりと販路を広げていくことも可能。
だが、崩れ落ちる事が決定してしまった今、「ゆっくり」とが出来なくなり、販売を伸ばしていくのではなく、売り切り御免の切り捨て産地品種とするしかなくなってしまった。
そうなると、令和元年産米の契約で、売れない産地品種は販売を止めて、売れる可能性がある産地品種のみに絞り込むという考え方にもなる。
だが、それであっても、各産地の年間契約数も前年並みとは出来ず、1割以上を減らしての契約にせざる終えない現実となった。
まだ、何も今後の対応を考えていない産地は、この現実を、どう思っているのだろうか?
どんなに良いお米を作ったところで、安定流通させることが出来なければ、これからはどうにもならない時代となるのだ。
米屋も同じである。
ブランド作りは他人に任せ、入荷したお米だけを、ちょっとこだわった程度で販売していた店は、もう、どうにもならないのではないだろうか?
この2日間、昨日24時まで。
自分はこの事を、何も言わず、何も語らず。
ただ黙って見ていた。