7月13日(日)に開催された第一回ニセコクラシックの70kmコースにS4カテゴリーで参加させていただいた。
結果はS4カテゴリーで5位、総合で17位と微妙な順位だったが、目標としていたS4で一桁順位に入れたので満足。
しかし、課題の「登り」は今回も克服できず、2つ目の農道の登りで両脚が攣って大幅にスローダウン・・・ここからはレースというよりサイクリングのようなスピードだった。
当日は4:00に起床、5:00に自宅を出発、蘭越のスタート地点に7:00頃に到着。
既に、多くの選手たちが到着し、自転車を組み立てたり、ウオームアップを始めていたり、レースらしい雰囲気に気持もたかぶった。
車を停めた隣が手稲山で知り合ったSさん。
当時はクロモリのロードバイクで手稲山をゴリゴリと登っていた方だが、今はSPECIALIZEDに乗り、美しい奥様もロードバイクに乗られており、ご夫婦でニセコヒルクライムにも参加されているうらやましい環境の方だ。
今回も奥様がご一緒で、ゴール地点の比羅夫で待っていてくれるという・・・家族の理解って大切。
受付時に予想外の事実を知ることになった。
最初の登り、およそ2kmは「パレードスタート」とのこと。
最初の登りは体重68kgの自分が300W近くで頑張って登って6:30くらいを要するので、それなりに集団がバラけてしまうであろうと予想して、ここが勝負どころではないかと心の準備をしていたのだけど、残念ながら、ほぼ坂の頂上まで先導バイクに蓋をされた状態で集団は一体となって平坦区間に突入することになる。
参加者にレースを楽しんでもらおうという主催者側の配慮なのであろう。最初の坂でちぎれてしまい、残りの70kmを単独もしくは脚の揃わない少人数で走ることの辛さは、次年度以降の参加意欲にも影響するだろう。賢明な措置だと思うとともに、残念でもあった。なぜなら、ここ3週間の週末は、5分程度の登りを300W以上で登り切るトレーニングを続けて来たから。
もう一つ、予想だにしていなかったことは、手負いのSさんから教えてもらった「車載カメラ禁止」ということ。
レース会場で議論してもしょうがないのでスタッフに理由を尋ねることはしなかったが、カメラが脱落して走行に影響を与える危険性が理由なのであれば、それはサイクルコンピュータもボトルも同じ理屈で禁止になるのではないだろうか?車載カメラの方が、よっぽど強固に取り付けられていると思う。
多少は重くなるのだからディスアドバンテージにはなってもアドバンテージにはならないだろうから、有利不利の話ではなさそうだ。
そもそも自転車走行に関係ない物は装備禁止というルールがロードレースの基本的な競技規則に書いてあるのなら、しょうがないかなと思う。
しかし、ツールドフランスでも車載カメラを搭載した映像が公開されている。
この映像はたいへん魅力的で、これまで外側からしか見ていなかったレースを集団内の視点で見ることができる。
ニセコクラシックの魅力を発信する意味でも、参加を検討している選手たちへの参考情報としても、車載カメラの映像が公開されることは、メリットはあってもデメリットはないように感じる。
第一回ということもあり、慎重にこれまでの事例を踏襲して運営することは間違っていないと思うが、第一回だからこそ、チャレンジができたかもしれないし、このレースの魅力を発信するためにも選手による車載カメラの映像が公開されることは大きな宣伝になったと思うのだ。
ロードレースの会場としては、S1~S3の選手たちのスタート地点が別なので、少しさびしい感じもしたが、開会式が行われ、カメラ禁止も明言された。
ここで、「オープン」というカテゴリーが存在することに気が付いた。どうやら北海道車連の登録選手以外の参加者の総称らしい。でも車連のS3以上の選手もいたような気が・・・。
スタートは登り坂からのゼロスタート・・・クリートが嵌まらずにこけてしまうかもと思いながらも、全員無事にスタートできた模様。
速度不安定なバイクに先導され、ときどき集団がブレーキで揺さぶられながら登り坂に突入し、サイクリング以下のペースでジワジワと登った。
頂上が近付いてきたところでリアルスタート!
集団はさほどスピードアップすることもなく淡々と進んだ。
後ろの方から少しずつ前方に上がり、前の選手たちが20名ほどになったところで前方に小さな登りを見つけ、「ここだ!」と800Wで加速し一人逃げ開始。
100mほど先行したところで振り返ったが、集団は落ち着いたまま誰も追ってこない。何度振り返ってアピールしても誰も飛び出してこない。逃げた選手が強い選手だったらどうしよう?という不安はなかったのだろうか?逃げてゆく走りを見て、たいしたことない選手だからそのうち落ちてくると判断されたのだろう。ちくしょー!
向かい風の中、15秒差くらいを維持し続けた。
この間の出力は、平均250W。FTPよりもちょっと下なので、このまま1時間は続けられるはずなのだけど、軽い登りが入ると速度維持するために出力は上昇し、だんだんとタレ始めてくる。
バイクから「後続と15秒差です!」と何度か言われたが、T字路を右折してしばらく走った頃に「10秒差です!」と言われたところで気持ちが切れてしまい、集団に戻ることを決めた。
平坦区間だけでも逃げ切ろうと、少し考えていたところもあったが、向かい風を受けながら逃げてみて一人逃げのキツさがよくわかった。
ロードレースには、やってみなければわからない事がたくさんある。めったに経験できないが、一人逃げもその一つだ。今回で感触はつかめたので、今度逃げられる機会があったら、もう少し長く逃げてみたい。もし、協調して一緒に逃げてくれる人がいれば、精一杯協力していけるところまでいってみたい。
集団内で走行して終盤や登り区間まで脚を溜めておくというのは、ロードレースでは基本的な戦略なので、そこを非難するつもりはまったくない。
個人的には、S4(初心者)レベルでは脚を溜めるとか考えずにどんどん前に行って積極的に走ることが次のステップにつながるような気がしているので、できるだけレースを動かすように積極的に走っているつもりだ。傍から見ると、ただ右往左往しているだけなのかもしれないけれど。
その後も集団が落ち着いたと感じたら小さくアタックをしかけ、集団を活性化させようと動いてみたが、振り返ると、集団はスタート時の大きさのままのような気がして凹んだ。
それにしても、集団内での走行のなんと楽なことか。思わず安住してしまいそうになった。
自分は登りが苦手だ。
ロードレースのコースには必ず登り区間がある。
登りが得意な選手であれば、平坦区間は集団内で脚を溜めておき、登りで差をつけるという走りができるだろう。
登りが苦手な選手はどうすればいいのか?登りを鍛えることはもちろんなのだけど、そう簡単に登りの能力が向上するわけではない。やはり、同じ脚質の選手たちと平坦区間のうちに逃げて差をつけておくこと、あるいはスピードアップして集団を疲弊させることが考えられる。
しかし、今回は単独での作戦だったので、集団に影響を与えることはできなかった。もっと同じ脚質の仲間を増やさなければ協調体制は築けなさそうだ。
というわけで、結局のところ蘭越からの登りを前に、無駄脚に終わった感のある自分の動きだったが、もう一つ大事なミッションが残されていた。
これまで、何度も表彰台に上がったものの、優勝がない一人の選手がいた。
十分に強いのだが、自分の脚に満足せず、自分よりも強い選手が自分より練習していることに恐怖し、自らを鞭打ってトレーニングを続ける尊敬すべき選手だ。
この選手に是非とも勝ってもらいたく、メッセージを伝えたかった。
「勝って!」とか「頑張って!」と言葉で伝えることは簡単だが、それでは軽すぎるし、チームメイトでもない自分からそんなことを言われても違和感があるだろう。
中学生に先頭牽きを引き継がされ、戸惑いながら先頭を走る彼に声をかけた。そして彼の前に出た。
彼は、きっとわかってくれたはずだ。
蘭越に先頭で戻ってきた。
ロードレースやクリテリウムで先頭を走った事がない選手はわからないかもしれないが、先頭を走ることは、風を受けて辛いのはあるが、気持ちが良いものなのだ。
是非とも一度は先頭を牽いてみてほしい。
先頭を牽くことで、自分に足りないものに気づくだろうし、他の選手達への敬意が生まれるはずだから。
自分達の車が川の向こう岸に駐車しているのを右手に見ながら左折してすぐに右折して登りが始まった。
僕の仕事はここまでで終わった。
あとはベストを尽くしてゴールを目指すだけだ。
最初の長い登りは、試走のときよりは楽に走れた。
補給が十分だったためだろう。
斜度がゆるくなったところで手負いのSさんに追いつき、後ろについてもらうよう促した。
やはり脚質なのだろう、斜度がゆるくなると自分の速度は周りよりも速いようで、先行していた選手を次々とパスした。
2回目の登りで脚を攣ることはわかっていたので、下りではペダルをほとんど回さずに惰性で下った。複数で下れば80km/hもあたりまえの区間だが、最高速度は70km/hに達していなかったはずだ。
長い下りから左折して下り切ったところにあるT字路の左折箇所で、後続の選手がまっすぐ突っ込んでいったような気がしたが、無事だったのだろうか?
温存したはずの脚も、やはり2回目の登りで攣り始め、とうとう4カ所(左右の太ももとふくらはぎ)が攣ってしまい、ペダルを上下させることすら難しくなった。
もう自転車を降りるしかないとクリートを外しかけたところで、左手首のミサンガが眼に入った。
娘がレース中の幸運を祈って作ってくれたミサンガだった。
その途端、ふっと脚攣りが軽くなって停車をまぬがれ、なんとか坂を登り切った。
登り切って右折してしばらく下りが続くが、ここでスピードアップすることもできず、なんとか前を走るチームニセコの選手に追いつくことだけを考えていた。
正直言って、このあたりの走行はあまり記憶に残っていない。
黄色い橋の下を通って最後の登りに突入した。もう脚を残す事なんて考える必要はない。歩いてでもゴールできるところまで戻ってきたのだから。
脚を動かせないので、心拍はどんどん下がって楽になってゆくのだけど、いかんせん脚が動かないので前に進まない。
攣って硬くなった脚を必死に上下させて、なんとか最後の登りをクリアして右折。
あとは比羅夫まで一直線だ。
シフトダウンの音に気づいて振り返ると、オープン参加の選手が一人ついていた。彼に「今、何ワットですか?」と聞かれてメーターを見ると、「200W出てないよ。」と答えると、彼は鼻でフンと笑って前に出て牽いてくれた。
ゴンドラ坂に入って「最後がんばろう!」と声をかけたが、彼にはもう脚は残っていなかった。
自分が何位なのかわからなかったが、手を挙げてゴール!
ゴール地点でダウン中の彼に声をかけられ、「たぶん勝ったと思う」と聞いて嬉しかった。
ゴール後、預けた荷物を回収しようとスタッフに声をかけたが、頭の上に「?」マークを出されて、こっちが戸惑ってしまった。
最初の大会なので、スタッフ間の情報共有は未完成だったのだろう。
預けた荷物を無事に回収して、回復のためのスムージーとプロテインバーを流し込んだ。
水分が足りず、500mlの缶コーラを2本と、ミネラルウオーター1本をさらに流し込んだ。
それでも、トイレで小を出すと、ほんのわずかしか出なかった。
脱水症状一歩手前までいっていたのかもしれない。
蘭越へのバスは閉会式が終了して15分後とのことだったので、あまり時間に余裕がない自分は、リザルトを確認してすぐに自走で蘭越へ向かった。30kmないくらいの距離だったとも思うが、向かい風と、それなりに厳しい登り坂に苦しめられ、何度も脚を攣らせてしまい、蘭越の駐車場に到着したのは14:00だった。
結局、レースと合わせると100kmくらい走った事になるのかな。
着替えて自転車を分解して積み込んで、家族へのお土産を買うためにミルク工房へ。
恒例のソフトクリームを食べて一息ついたところで札幌へ向かった。
途中、京極のローソンでアイスカフェラテを買って眠気を覚ましながら順調に自宅へ到着。
FACEBOOKやTwitterで他の選手たちの記事を読みながら、楽しかったな~、来年もまた出たいな、今度は140kmかな?と早くもワクワクし始めたのでした。