3連休の中日(7月20日)は、「小田急沿線自然ふれあい歩道」に載っていた海老名駅コースを歩いてみました。
メインルートは以下の通りですが、道に迷わなければ合計で約6.6kmあります。
海老名駅-790m-大ケヤキ-1000m-ひさご塚公園-710m-八坂神社と鳳勝寺-1720m-目久尻川(小園橋付近)-810m-伊勢山自然公園-650m-相模国分寺跡-900m-海老名駅
尚、海老名駅は小田急線と相鉄線にあって、東口には大型ショッピングモールのビナウォークがあります。
<ビナウォーク>
相鉄線東口で降りてビナウォークの中央公園を撮ってみました。
中央公園に建っている「七重の塔(しちじゅうのとう)」です。
説明板には、『七重塔は、741(天平13)年 聖武天皇の「国分寺建立の詔」をうけて建立された相模国分寺の伽藍の一つです。』とありました。
又、海老名市観光シンボルのモニュメントにもなっています。
<大ケヤキ>
根回り15.3m、目通り7.5m、樹高20mの神奈川県指定天然記念物の大ケヤキです。
このケヤキは、かつて船つなぎ用の杭として打ったものが発芽して大きくなったものみたいです。
<東光山国分寺>
大ケヤキから東光山国分寺の階段が見えたので行ってみました。
階段の登り口右には「高野山 真言宗 国分寺」と記銘されていたので名称変更でもしたのですかね?
取り敢えず、海老名駅コースが無事に全て周れますようにお祈りしました。
境内に国指定重要文化財の梵鐘があったので撮ってみました。
この梵鐘は1292(正應5)年に土地の豪族国分季頼が寄進したものみたいです。
又、境内には「尼の泣き水」として石造の如意輪観音が祀られていました。
<国分八景公園>
国分寺にお参りしてから県道40号線に架かる陸橋を渡って急坂を上ります。
右下に海老名小学校を見ながら暫く歩き、道が緩やかになってくると右側に国分八景公園がありました。
この公園は八景に因んで石庭になっていて各々の石には詩と解説文が添えられていました。
中には月が刻んである石(菅社の秋月)もありました。
詩が「鴨沢の瞑煙」の石には鳥(鴨?)が二羽飛んでいました。 ⇒ わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~
<ひさご塚公園>
国分八景公園を後に「ひさご塚公園」に向かいました。大した距離はなかったのですが道に迷ってしまい着いたのは国分南原児童遊園でした(アチャ!)。
少し戻って石垣に囲まれた小高い丘に行ってみると「ひさご塚公園」でした(ホッ!)。
階段を登ると案内版は瓢箪塚古墳となっていて、●現在地は古墳の右下に印されていました。
尚、瓢箪塚古墳は市内最大の前方後円墳で、瓢箪は”ひょうたん”ではなく”ひさご”と読むみたいですよ!
「ひさご塚公園」は古墳を公園にしていて小高い丘はちょっと散策が出来そうな公園でした。
散策路には、海老名市の郷土かるたの『松風に豪族ねむる瓢塚(ひさごづか)』が立っていました。
小高い丘の頂上からの見晴は良く(右の写っている高層ビルは海老名プライムタワーです)、足元には基準点もありました。
<三塚公園>
「ひさご塚公園」から三塚公園へ行くには住宅地を通るので少し不安だったのですが、着いたのは帰り道に通る国分寺台第1児童公園でした(またアチャ!)。
この公園で小休止してから気を取り直して、案内パンフを慎重に見ながら三塚公園に向かいました。
ロス時間は30分程度でしたが、どうにか三塚公園の階段下に着きました。
この公園の名前は、浜田三塚公園となっていましたが、公園内はベンチがあるだけで遊具は置いてありませんでした。
この公園にはビューポイントがあると案内パンフには出ていたので高台に上ってみました。
ビューポイントからの素晴らしい眺めを撮ってみました。右に写っているのが高層ビルの海老名プライムタワーです。
<鳳勝寺>
案内パンフには三塚公園から次の「八坂神社と鳳勝寺」に行くには、南西に下って西側から入るルートになっていましたが、ロス時間を挽回するのと目の前が墓地になっていたのでここから鳳勝寺に入ってみることにしました。
鳳勝寺の墓地入口が高台にあったのでビューポイントとして撮ってみました。
尚、この坂道を下ると右側には六地蔵と梵鐘、左側には本堂があります。
坂道を下ったところにあった、六地蔵と階段上の梵鐘(由緒?)を撮ってみました。
向かい側の境内には、立派な石造りの「五重の塔」があって本堂は左奥にありました。
本堂ではショートカットして鳳勝寺に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
本堂に向かう階段の左側(降りる時は右側)に、可愛らしいお地蔵さんがあったので撮ってみました。
鳳勝寺の山門を出て、八坂神社に向かうことにしました。
<八坂神社>
鳳勝寺山門を出ると左側に鳳勝寺の隣りに八坂神社の石柱が建っていました。
八坂神社の本殿へ行くには、移住記念碑を挟んで、左側の急な階段か右側の緩やかな階段を上ります。
八坂神社本殿の説明板には、『勝浦地区は、相模川上流域のダム建設(現在の相模湖)により移住を余儀なくされた旧津久井郡日連村勝瀬(現在の相模原市緑区日連)の住民50余戸が、昭和17年~19年にかけて当地に移住し、村の社であった八坂神社本殿と鳳勝寺も昭和20年にこの地へ移築された。』とあって、移住記念碑もその際に建てられたものみたいです。
八坂神社の石の鳥居を撮ってみました。
本殿は、一間社流造り杮葺き(いっけんしゃながれづくりこけらぶき)、総檜・木地仕上げの建物で市指定重要文化財になっています。
失礼して本殿内部も撮らせて頂きました。
これで「八坂神社と鳳勝寺」を訪れたので後は正規のルートで長泉寺に立ち寄ってから目久尻川に向かいます。
<浜田歴史公園>
帰りがけに、歴史公園と仰々しい名前の付いた公園があったので立ち寄ってみました。
この公園にも遊具はなく、井戸や棚列の跡があるだけでした(もしかしたら珍しいものを見落としてたかも知れません)。
浜田歴史公園を後に、道に迷って着いてしまった国分寺台第1児童公園の脇を通って県道406号線に出ました。
<道路脇の百合>
県道406号線から細い道に入って、ケアハウス長寿の脇を通って長泉寺に向かいました。
道路脇に、ご覧のような素晴らしい百合の花が咲いていたので撮ってみました(少し、余裕が出てきました)。
<長泉寺(ちょうせんじ)>
ケアハウス長寿の前の坂道を下って十字路を左折して暫く歩くと、ご覧のような大きな長泉寺の看板が出ていました(ホッ!)。
大きな看板がある所がら人気のない道を暫く歩くと長泉寺の山門がありました。
石段の下は薄暗くジメジメしていて心霊スポットのような感じがしました。
石段下の左に六地蔵と如意輪観音坐像(?)が祀ってあったので撮ってみました。
如意輪観音坐像のお顔が柔和だったのでアップで撮ってみました。
石段を上ってもご覧のように境内は草木で鬱蒼としていました。奥に見えるのが本堂です。
長泉寺の大看板の脇にあった説明板には、『山号を宗福山(そうふくざん)といい曹洞宗(禅宗)のお寺です。本尊は釈迦如来で1634(寛永11)年亡の僧、格雲守存により開山されました。』と書いてありました。
境内にはご覧のような建物もありましたが?です。
<目久尻川(めくじりがわ)>
長泉寺にお参りした後、もと来た道を戻ると、一級河川の目久尻川に出ました。
目久尻川を上流に向かって暫く歩くと、対岸に何か柱のような物が建っていました。
近くに橋がないので対岸に渡れませんが、この柱は何なんでしょうね?
目久尻川サイクリングロード距離表示板には、余り見たことがないウォーキングの歩数と時間(歩幅約70cm)が書いてありました。
目久尻川サイクリングロードを上流に向かって暫く歩くと小園橋に出ました。
先程の柱が気になっていたので、小園橋を渡るとご覧のような「河童の像」がありました。
滑稽な形をしていたのでアップで撮ってみました。
何故、小園橋に「河童の像」が造られたのかは判りませが、地元に残る河童伝説に基づいて造られたみたいです。
「河童の像」を撮ってから気になっていた柱のところまで戻ってみました。
この柱は「目久尻川の日時計」の主柱で、日時計主柱の影で時刻が判るみたいです。
残念ながら今日は曇っていて時刻が判る影は出ていませんでした。
「目久尻川の日時計」を後に、今度は、目久尻川を左側に見ながら散策路を通学橋まで歩きますが、振り返るとご覧のような田園風景が広がっていました。
散策路の道端にご覧のような花が咲いていたので撮ってみました。
橋に着きましたが、仮称だと思っていた通学橋は正式な名称でした。
通学橋の上から上流の目久尻橋方面を撮ってみました。
橋を渡って目久尻川沿いを目久尻橋まで歩き、県道40号線沿いにある伊勢山自然公園を目指します。
<伊勢山自然公園>
伊勢山自然公園はこんもりとした森になっているので直ぐに判りました。
案内図に依ると、伊勢山自然公園の入口は東口1(現在地)、東口2、南口、西口の4ヶ所ありました。
取り敢えず周回園路コースを回ってみることにしました。
周回園路コースには、ご覧のような東屋や野外卓があり休憩も出来ます。
周回園路コースを半周すると、今日の最後に行く予定の西口:相模国分寺跡の標識が出ていたので行ってみることにしました。
伊勢山自然公園の西口への道は、ご覧のように草が生い茂っていて通れるかどうか不安だったのですが突き進んでみました。
西口の市道に降りると大きな伊勢山大神宮の看板が出ていました。
こんなところに伊勢山大神宮があるとは思っていなかったのでビックリしました(偶然とは恐ろしいものですね!)。
急な鉄階段を登ってお参りをしました。
伊勢山大神宮にお参りした後、相模国分寺跡に行きますが何処にあるのか見当が付かず不安でした。
案内パンフに依ると芝生広場の近くにありそうなので取り敢えず芝生広場を探すことにしました。
<相模国分寺跡>
県道407号線を超えるとご覧のような大きな芝生広場が目の前に飛び込んで来ました。
こんなに大きな芝生広場があるとは思っていなかったので想定外でした。 ⇒ 東京ドームの1.5個分?
芝生広場の中央に石柱が建っていたので近くに行ってみました。
石柱には『相模国分寺遺蹟』と記銘されていました。
どうやら芝生広場は、相模国分寺跡を発掘調査した後に整備した歴史公園で、相模国分寺跡は国の史跡にも指定されていました。
史跡相模国分寺跡環境整備事業には、『相模国分寺は、741(天平13)年、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」によって全国に建てられて寺院の一つで、その後、被災の記録や発掘調査の結果等から平安時代中期までは修理や再建が行われていたようです。しかし、平安時代後期には荒れ果て、やがて現在の国分寺の場所に移転したといわれています。』と書いてありました。
相模国分寺跡の説明板に、当時の復元図があったのでアップで撮ってみました。
七重の塔や金堂が回廊で囲まれていて、回廊の外に講堂があるのが判ります。
芝生広場にご覧のような基壇(建物の基礎となる壇)があったので行ってみました。
階段脇の説明板には、「国分寺建立の詔」をうけて建てられた「七重の塔」の跡とありました。
ビナウォークの中央公園にあった「七重の塔」はここに建てられていたのですね!
基壇にはご覧のような礎石が17個埋めてありました。10個は当時のままで残りは復元・補充したみたいです。
これで海老名駅コースを全て周ったので、相模国分寺跡を後に海老名駅に戻ることにしました。
<ビナウォーク>
ビナウォークに着いたので海老名駅東口方面と下に植えてあったEBINAの花文字を撮って、海老名駅から相鉄線に乗って大和駅に向かいました。
帰りは大和駅ビルのPROSSに入って乾いた喉を潤してから家路に就きました。
今日の「海老名をぶらり」は、途中で道に迷ったこともあったのですが、「小田急沿線自然ふれあい歩道」の海老名駅コースを全て周ることがことが出来たので大変満足しています。
尚、所要時間は4時間15分で、万歩計は21,000歩を超えていました。
メインルートは以下の通りですが、道に迷わなければ合計で約6.6kmあります。
海老名駅-790m-大ケヤキ-1000m-ひさご塚公園-710m-八坂神社と鳳勝寺-1720m-目久尻川(小園橋付近)-810m-伊勢山自然公園-650m-相模国分寺跡-900m-海老名駅
尚、海老名駅は小田急線と相鉄線にあって、東口には大型ショッピングモールのビナウォークがあります。
<ビナウォーク>
相鉄線東口で降りてビナウォークの中央公園を撮ってみました。
中央公園に建っている「七重の塔(しちじゅうのとう)」です。
説明板には、『七重塔は、741(天平13)年 聖武天皇の「国分寺建立の詔」をうけて建立された相模国分寺の伽藍の一つです。』とありました。
又、海老名市観光シンボルのモニュメントにもなっています。
<大ケヤキ>
根回り15.3m、目通り7.5m、樹高20mの神奈川県指定天然記念物の大ケヤキです。
このケヤキは、かつて船つなぎ用の杭として打ったものが発芽して大きくなったものみたいです。
<東光山国分寺>
大ケヤキから東光山国分寺の階段が見えたので行ってみました。
階段の登り口右には「高野山 真言宗 国分寺」と記銘されていたので名称変更でもしたのですかね?
取り敢えず、海老名駅コースが無事に全て周れますようにお祈りしました。
境内に国指定重要文化財の梵鐘があったので撮ってみました。
この梵鐘は1292(正應5)年に土地の豪族国分季頼が寄進したものみたいです。
又、境内には「尼の泣き水」として石造の如意輪観音が祀られていました。
<国分八景公園>
国分寺にお参りしてから県道40号線に架かる陸橋を渡って急坂を上ります。
右下に海老名小学校を見ながら暫く歩き、道が緩やかになってくると右側に国分八景公園がありました。
この公園は八景に因んで石庭になっていて各々の石には詩と解説文が添えられていました。
中には月が刻んである石(菅社の秋月)もありました。
詩が「鴨沢の瞑煙」の石には鳥(鴨?)が二羽飛んでいました。 ⇒ わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~
<ひさご塚公園>
国分八景公園を後に「ひさご塚公園」に向かいました。大した距離はなかったのですが道に迷ってしまい着いたのは国分南原児童遊園でした(アチャ!)。
少し戻って石垣に囲まれた小高い丘に行ってみると「ひさご塚公園」でした(ホッ!)。
階段を登ると案内版は瓢箪塚古墳となっていて、●現在地は古墳の右下に印されていました。
尚、瓢箪塚古墳は市内最大の前方後円墳で、瓢箪は”ひょうたん”ではなく”ひさご”と読むみたいですよ!
「ひさご塚公園」は古墳を公園にしていて小高い丘はちょっと散策が出来そうな公園でした。
散策路には、海老名市の郷土かるたの『松風に豪族ねむる瓢塚(ひさごづか)』が立っていました。
小高い丘の頂上からの見晴は良く(右の写っている高層ビルは海老名プライムタワーです)、足元には基準点もありました。
<三塚公園>
「ひさご塚公園」から三塚公園へ行くには住宅地を通るので少し不安だったのですが、着いたのは帰り道に通る国分寺台第1児童公園でした(またアチャ!)。
この公園で小休止してから気を取り直して、案内パンフを慎重に見ながら三塚公園に向かいました。
ロス時間は30分程度でしたが、どうにか三塚公園の階段下に着きました。
この公園の名前は、浜田三塚公園となっていましたが、公園内はベンチがあるだけで遊具は置いてありませんでした。
この公園にはビューポイントがあると案内パンフには出ていたので高台に上ってみました。
ビューポイントからの素晴らしい眺めを撮ってみました。右に写っているのが高層ビルの海老名プライムタワーです。
<鳳勝寺>
案内パンフには三塚公園から次の「八坂神社と鳳勝寺」に行くには、南西に下って西側から入るルートになっていましたが、ロス時間を挽回するのと目の前が墓地になっていたのでここから鳳勝寺に入ってみることにしました。
鳳勝寺の墓地入口が高台にあったのでビューポイントとして撮ってみました。
尚、この坂道を下ると右側には六地蔵と梵鐘、左側には本堂があります。
坂道を下ったところにあった、六地蔵と階段上の梵鐘(由緒?)を撮ってみました。
向かい側の境内には、立派な石造りの「五重の塔」があって本堂は左奥にありました。
本堂ではショートカットして鳳勝寺に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
本堂に向かう階段の左側(降りる時は右側)に、可愛らしいお地蔵さんがあったので撮ってみました。
鳳勝寺の山門を出て、八坂神社に向かうことにしました。
<八坂神社>
鳳勝寺山門を出ると左側に鳳勝寺の隣りに八坂神社の石柱が建っていました。
八坂神社の本殿へ行くには、移住記念碑を挟んで、左側の急な階段か右側の緩やかな階段を上ります。
八坂神社本殿の説明板には、『勝浦地区は、相模川上流域のダム建設(現在の相模湖)により移住を余儀なくされた旧津久井郡日連村勝瀬(現在の相模原市緑区日連)の住民50余戸が、昭和17年~19年にかけて当地に移住し、村の社であった八坂神社本殿と鳳勝寺も昭和20年にこの地へ移築された。』とあって、移住記念碑もその際に建てられたものみたいです。
八坂神社の石の鳥居を撮ってみました。
本殿は、一間社流造り杮葺き(いっけんしゃながれづくりこけらぶき)、総檜・木地仕上げの建物で市指定重要文化財になっています。
失礼して本殿内部も撮らせて頂きました。
これで「八坂神社と鳳勝寺」を訪れたので後は正規のルートで長泉寺に立ち寄ってから目久尻川に向かいます。
<浜田歴史公園>
帰りがけに、歴史公園と仰々しい名前の付いた公園があったので立ち寄ってみました。
この公園にも遊具はなく、井戸や棚列の跡があるだけでした(もしかしたら珍しいものを見落としてたかも知れません)。
浜田歴史公園を後に、道に迷って着いてしまった国分寺台第1児童公園の脇を通って県道406号線に出ました。
<道路脇の百合>
県道406号線から細い道に入って、ケアハウス長寿の脇を通って長泉寺に向かいました。
道路脇に、ご覧のような素晴らしい百合の花が咲いていたので撮ってみました(少し、余裕が出てきました)。
<長泉寺(ちょうせんじ)>
ケアハウス長寿の前の坂道を下って十字路を左折して暫く歩くと、ご覧のような大きな長泉寺の看板が出ていました(ホッ!)。
大きな看板がある所がら人気のない道を暫く歩くと長泉寺の山門がありました。
石段の下は薄暗くジメジメしていて心霊スポットのような感じがしました。
石段下の左に六地蔵と如意輪観音坐像(?)が祀ってあったので撮ってみました。
如意輪観音坐像のお顔が柔和だったのでアップで撮ってみました。
石段を上ってもご覧のように境内は草木で鬱蒼としていました。奥に見えるのが本堂です。
長泉寺の大看板の脇にあった説明板には、『山号を宗福山(そうふくざん)といい曹洞宗(禅宗)のお寺です。本尊は釈迦如来で1634(寛永11)年亡の僧、格雲守存により開山されました。』と書いてありました。
境内にはご覧のような建物もありましたが?です。
<目久尻川(めくじりがわ)>
長泉寺にお参りした後、もと来た道を戻ると、一級河川の目久尻川に出ました。
目久尻川を上流に向かって暫く歩くと、対岸に何か柱のような物が建っていました。
近くに橋がないので対岸に渡れませんが、この柱は何なんでしょうね?
目久尻川サイクリングロード距離表示板には、余り見たことがないウォーキングの歩数と時間(歩幅約70cm)が書いてありました。
目久尻川サイクリングロードを上流に向かって暫く歩くと小園橋に出ました。
先程の柱が気になっていたので、小園橋を渡るとご覧のような「河童の像」がありました。
滑稽な形をしていたのでアップで撮ってみました。
何故、小園橋に「河童の像」が造られたのかは判りませが、地元に残る河童伝説に基づいて造られたみたいです。
「河童の像」を撮ってから気になっていた柱のところまで戻ってみました。
この柱は「目久尻川の日時計」の主柱で、日時計主柱の影で時刻が判るみたいです。
残念ながら今日は曇っていて時刻が判る影は出ていませんでした。
「目久尻川の日時計」を後に、今度は、目久尻川を左側に見ながら散策路を通学橋まで歩きますが、振り返るとご覧のような田園風景が広がっていました。
散策路の道端にご覧のような花が咲いていたので撮ってみました。
橋に着きましたが、仮称だと思っていた通学橋は正式な名称でした。
通学橋の上から上流の目久尻橋方面を撮ってみました。
橋を渡って目久尻川沿いを目久尻橋まで歩き、県道40号線沿いにある伊勢山自然公園を目指します。
<伊勢山自然公園>
伊勢山自然公園はこんもりとした森になっているので直ぐに判りました。
案内図に依ると、伊勢山自然公園の入口は東口1(現在地)、東口2、南口、西口の4ヶ所ありました。
取り敢えず周回園路コースを回ってみることにしました。
周回園路コースには、ご覧のような東屋や野外卓があり休憩も出来ます。
周回園路コースを半周すると、今日の最後に行く予定の西口:相模国分寺跡の標識が出ていたので行ってみることにしました。
伊勢山自然公園の西口への道は、ご覧のように草が生い茂っていて通れるかどうか不安だったのですが突き進んでみました。
西口の市道に降りると大きな伊勢山大神宮の看板が出ていました。
こんなところに伊勢山大神宮があるとは思っていなかったのでビックリしました(偶然とは恐ろしいものですね!)。
急な鉄階段を登ってお参りをしました。
伊勢山大神宮にお参りした後、相模国分寺跡に行きますが何処にあるのか見当が付かず不安でした。
案内パンフに依ると芝生広場の近くにありそうなので取り敢えず芝生広場を探すことにしました。
<相模国分寺跡>
県道407号線を超えるとご覧のような大きな芝生広場が目の前に飛び込んで来ました。
こんなに大きな芝生広場があるとは思っていなかったので想定外でした。 ⇒ 東京ドームの1.5個分?
芝生広場の中央に石柱が建っていたので近くに行ってみました。
石柱には『相模国分寺遺蹟』と記銘されていました。
どうやら芝生広場は、相模国分寺跡を発掘調査した後に整備した歴史公園で、相模国分寺跡は国の史跡にも指定されていました。
史跡相模国分寺跡環境整備事業には、『相模国分寺は、741(天平13)年、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」によって全国に建てられて寺院の一つで、その後、被災の記録や発掘調査の結果等から平安時代中期までは修理や再建が行われていたようです。しかし、平安時代後期には荒れ果て、やがて現在の国分寺の場所に移転したといわれています。』と書いてありました。
相模国分寺跡の説明板に、当時の復元図があったのでアップで撮ってみました。
七重の塔や金堂が回廊で囲まれていて、回廊の外に講堂があるのが判ります。
芝生広場にご覧のような基壇(建物の基礎となる壇)があったので行ってみました。
階段脇の説明板には、「国分寺建立の詔」をうけて建てられた「七重の塔」の跡とありました。
ビナウォークの中央公園にあった「七重の塔」はここに建てられていたのですね!
基壇にはご覧のような礎石が17個埋めてありました。10個は当時のままで残りは復元・補充したみたいです。
これで海老名駅コースを全て周ったので、相模国分寺跡を後に海老名駅に戻ることにしました。
<ビナウォーク>
ビナウォークに着いたので海老名駅東口方面と下に植えてあったEBINAの花文字を撮って、海老名駅から相鉄線に乗って大和駅に向かいました。
帰りは大和駅ビルのPROSSに入って乾いた喉を潤してから家路に就きました。
今日の「海老名をぶらり」は、途中で道に迷ったこともあったのですが、「小田急沿線自然ふれあい歩道」の海老名駅コースを全て周ることがことが出来たので大変満足しています。
尚、所要時間は4時間15分で、万歩計は21,000歩を超えていました。