「等々力渓谷をぶらり」から続く。
<愛染桜>
等々力渓谷遊歩道出口の「矢川橋」から谷沢川沿いを暫く歩く「愛染桜」の案内がありました。
案内には、『この大島桜は溝呂木家の庭先に実生(みしょう)で発見され、30年で幹廻り1.7m、枝は10m四方に成長し最終的に世田谷区に寄付、そしてこの地に移植することになった。』とありました。
⇒ 戦前、田中絹代と上原謙主演のメロドラマ「愛染かつら」があったのですがこれと関係あるのですかね!?
そんなに大きくない桜の木が近くにあったので撮ってみましたが、違っていたらすいません。
ご覧のように整備された谷沢川を見ながら多摩川に向かいました。
<多摩川河川敷>
「矢川橋」から10分位歩き、「多摩堤通り(都道11号線)」を越えると多摩川の河川敷に出ました。
左側の土手の上が「多摩堤通り」、右側が多摩川ですが川に出れそうな道はありませんでした。
当初の予定では多摩川を見ながら河川敷を散策しようと思っていたのですが、ご覧のような状態で、しかも河川敷ではバーベキューや花火が禁止になっていたので人っ子一人いませんでした。
ここまで来て戻る訳にもいかないので、この道を東急東横線の多摩川駅まで歩くしかありません。
途中、多摩川越しに頂上が平らな山が見えたので撮ってみました。方向的には富士山らしいのですが・・・
雲で富士山の上の方が綺麗に隠れてしまったのか(?)取り敢えずアップで撮ってみました。
⇒ 富士山でなかったらすいません。でもこんな山があったら登ってみたいですね!
暫く歩くと多摩川に出れそうな道があったので行ってみました。
多摩川には出れたのですがロープが張ってあって川に降りることは出来ませんでした。
仕方なく、元の道に戻って10分位歩くと、遠くに多摩川に架かる丸子橋が見えてきました。
⇒ 目標物が見えたので少しホッとします。
ホッとしたついでに丸子橋をアップで撮ってみました。尚、雲の中にある白い点はゴミではなく飛行船です。
更に10分位歩くと、河川敷はサッカー場や野球場になっていて丸子橋もはっきり見えるようになってきました。
尚、奥に見えるこんもりした丘は「亀甲山(かめのこうやま)古墳」ですかね?
こんな場所から丸子橋を撮る機会もないのでアップで撮ってみました。
河川敷の道を更に進むと道は世田谷区から大田区に入りました。 ⇒ 境の目印を見たのは初めです。
グラウンドを過ぎると川沿いに丸子橋に行けそうな道があったので行ってみることにしました。
<多摩川橋梁>
暫く歩くと多摩川沿いの道に出て、丸子橋や多摩川橋梁が目の前に見えました。
尚、一番手前が東急東横線の多摩川橋梁、丸子橋を挟んで、東海道新幹線とその奥に横須賀線の多摩川橋梁があります。
東急東横線の多摩川橋梁を通る上りの電車が来たのでアップで撮ってみました。
ついでに、東急東横線の多摩川橋梁の手前に堰堤(?)があったので撮ってみました。
運良く、東海道新幹線の多摩川橋梁を通る下りの新幹線が通過したのでアップで撮ってみました。
多摩川沿いの道を暫く歩いて堰堤まで来ると、堰堤の横に+6.0m以上の過去の洪水位が書いてありました。
一番高いのは、昭和13.9.1洪水位+8.85mで、次は平成19.9.7と昭和22.9.15の洪水位+8.60mでした。
洪水位のことは良く判りませんが、水位が標準よりこれだけ上がったと云うことですかね?
堰堤を後に、東急東横線を超えて暫く歩いてから土手の上に登ると「多摩堤通り」に出ました。
目の前の横断歩道の先には「多摩川治水記念碑」が建っていました。
<多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)>
「多摩川治水記念碑」の後が「浅間神社」になっていたので行ってみました。
急な階段を上りますが鳥居が四つもある神社も珍しいですね!
鳥居の立て看板には『鎌倉時代創建の由緒ある神社』と書いてありました。
境内に入って真正面から拝殿を撮ってみました。
境内の右側にあった境内社でお参りをします。
末社として『阿夫利神社、三峯神社、稲荷神社、小御岳神社』とあったのですが、稲荷神社は固有の神社ではない感じがするのですが・・・
左側の社務所の屋上が展望台になっていて多摩川や丸子橋が一望できました。
取り敢えず東急東横線の多摩川橋梁と丸子橋を撮ってみました。
境内社の先に御神木の夫婦銀杏があったので撮ってみましたが、夫婦にしては離れ過ぎていませんか?
⇒ これは喝!ですかね? それとも付かず離れずが良いのですかね?
拝殿で無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
拝殿の手前に大正3年10月吉日に建てられた狛犬がいたのでアップで撮ってみました。
<多摩川台公園>
「浅間神社」の境内を散策してから東急東横線を超えて「亀甲山古墳」のある「多摩川台公園」に行ってみました。
「多摩川台公園」は、「四季の野草園」⇒「水生植物園」⇒「亀甲山古墳」の順に回ってみることにしました。
園内に入って暫く歩くとご覧のような階段があったので上ってみました。
階段の上は調布浄水場の跡地で、現在は整備されて「四季の野草園」と「水生植物園」になっていました。
尚、調布浄水場の「沈でん池」は「水生植物園」に、「ろ過弛」は「四季の野草園」になっていて、昔は多摩川の水を汲み上げて「沈でん池」から「ろ過弛」を通して浄水していたみたいです。
「四季の野草園」はご覧のようになっていて今の時期は草花は咲いていませんでしたが、周囲は浄水場の跡が残っていました。
「四季の野草園」から「水生植物園」に行けるレンガ造りの通路があったので行ってみました。
「水生植物園」はご覧のようになっていて、奥に見えるのが「四季の野草園」へのレンガ造りの通路です。
もう少しで花が開きそうな蓮があったのでアップで撮ってみました。
蓮は花開く瞬間に、「ポン」という音をたてる様なので少し待っていれば聞けたかも? ⇒ これってホント?ウソ?
「水生植物園」には魚はいないようで、大きななオタマジャクシとアメンボがいるだけでした。
「水生植物園」を後に「亀甲山古墳」に行ってみました。
「亀甲山古墳」に着いたのですが、ご覧のような広場になっていて案内板(左下隅)がなければ古墳だと気が付きませんでした。
案内板には『国指定 史跡亀甲山古墳 この古墳は大田区から世田谷区におよぶ荏原(台)古墳群中で最大の前方後円墳である。発掘調査は行われておらず詳細は不明であるが・・・』と書かれていました。
取り敢えず案内板に描かれていた平面図と側面図をアックで撮ってみました。
現在位置から左が古墳の前方部(長さ41m)で右が後円部(直径66m)のようです。
取り敢えず「亀甲山古墳」まで来たので下に見えた多摩川を撮って「多摩川台公園」を後にしました。
これで等々力渓谷遊歩道出口の「矢川橋」から「多摩川台公園」まで約1時間30分掛けて散策したことになります。
後は、東急東横線の多摩川駅近くの飲み屋で喉を潤してから帰ることにしました。
今回の「等々力渓谷をぶらり」は、等々力渓谷だけでなくいろんな所を見ることが出来て大変満足しています。
特に、「野毛大塚古墳」、「等々力不動尊」、「丸子橋と多摩川橋梁」、「多摩川浅間神社」は必見の価値はあります。
又、万歩計は19,000歩近くになっていたので運動不足の解消にもなりました。
<愛染桜>
等々力渓谷遊歩道出口の「矢川橋」から谷沢川沿いを暫く歩く「愛染桜」の案内がありました。
案内には、『この大島桜は溝呂木家の庭先に実生(みしょう)で発見され、30年で幹廻り1.7m、枝は10m四方に成長し最終的に世田谷区に寄付、そしてこの地に移植することになった。』とありました。
⇒ 戦前、田中絹代と上原謙主演のメロドラマ「愛染かつら」があったのですがこれと関係あるのですかね!?
そんなに大きくない桜の木が近くにあったので撮ってみましたが、違っていたらすいません。
ご覧のように整備された谷沢川を見ながら多摩川に向かいました。
<多摩川河川敷>
「矢川橋」から10分位歩き、「多摩堤通り(都道11号線)」を越えると多摩川の河川敷に出ました。
左側の土手の上が「多摩堤通り」、右側が多摩川ですが川に出れそうな道はありませんでした。
当初の予定では多摩川を見ながら河川敷を散策しようと思っていたのですが、ご覧のような状態で、しかも河川敷ではバーベキューや花火が禁止になっていたので人っ子一人いませんでした。
ここまで来て戻る訳にもいかないので、この道を東急東横線の多摩川駅まで歩くしかありません。
途中、多摩川越しに頂上が平らな山が見えたので撮ってみました。方向的には富士山らしいのですが・・・
雲で富士山の上の方が綺麗に隠れてしまったのか(?)取り敢えずアップで撮ってみました。
⇒ 富士山でなかったらすいません。でもこんな山があったら登ってみたいですね!
暫く歩くと多摩川に出れそうな道があったので行ってみました。
多摩川には出れたのですがロープが張ってあって川に降りることは出来ませんでした。
仕方なく、元の道に戻って10分位歩くと、遠くに多摩川に架かる丸子橋が見えてきました。
⇒ 目標物が見えたので少しホッとします。
ホッとしたついでに丸子橋をアップで撮ってみました。尚、雲の中にある白い点はゴミではなく飛行船です。
更に10分位歩くと、河川敷はサッカー場や野球場になっていて丸子橋もはっきり見えるようになってきました。
尚、奥に見えるこんもりした丘は「亀甲山(かめのこうやま)古墳」ですかね?
こんな場所から丸子橋を撮る機会もないのでアップで撮ってみました。
河川敷の道を更に進むと道は世田谷区から大田区に入りました。 ⇒ 境の目印を見たのは初めです。
グラウンドを過ぎると川沿いに丸子橋に行けそうな道があったので行ってみることにしました。
<多摩川橋梁>
暫く歩くと多摩川沿いの道に出て、丸子橋や多摩川橋梁が目の前に見えました。
尚、一番手前が東急東横線の多摩川橋梁、丸子橋を挟んで、東海道新幹線とその奥に横須賀線の多摩川橋梁があります。
東急東横線の多摩川橋梁を通る上りの電車が来たのでアップで撮ってみました。
ついでに、東急東横線の多摩川橋梁の手前に堰堤(?)があったので撮ってみました。
運良く、東海道新幹線の多摩川橋梁を通る下りの新幹線が通過したのでアップで撮ってみました。
多摩川沿いの道を暫く歩いて堰堤まで来ると、堰堤の横に+6.0m以上の過去の洪水位が書いてありました。
一番高いのは、昭和13.9.1洪水位+8.85mで、次は平成19.9.7と昭和22.9.15の洪水位+8.60mでした。
洪水位のことは良く判りませんが、水位が標準よりこれだけ上がったと云うことですかね?
堰堤を後に、東急東横線を超えて暫く歩いてから土手の上に登ると「多摩堤通り」に出ました。
目の前の横断歩道の先には「多摩川治水記念碑」が建っていました。
<多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)>
「多摩川治水記念碑」の後が「浅間神社」になっていたので行ってみました。
急な階段を上りますが鳥居が四つもある神社も珍しいですね!
鳥居の立て看板には『鎌倉時代創建の由緒ある神社』と書いてありました。
境内に入って真正面から拝殿を撮ってみました。
境内の右側にあった境内社でお参りをします。
末社として『阿夫利神社、三峯神社、稲荷神社、小御岳神社』とあったのですが、稲荷神社は固有の神社ではない感じがするのですが・・・
左側の社務所の屋上が展望台になっていて多摩川や丸子橋が一望できました。
取り敢えず東急東横線の多摩川橋梁と丸子橋を撮ってみました。
境内社の先に御神木の夫婦銀杏があったので撮ってみましたが、夫婦にしては離れ過ぎていませんか?
⇒ これは喝!ですかね? それとも付かず離れずが良いのですかね?
拝殿で無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
拝殿の手前に大正3年10月吉日に建てられた狛犬がいたのでアップで撮ってみました。
<多摩川台公園>
「浅間神社」の境内を散策してから東急東横線を超えて「亀甲山古墳」のある「多摩川台公園」に行ってみました。
「多摩川台公園」は、「四季の野草園」⇒「水生植物園」⇒「亀甲山古墳」の順に回ってみることにしました。
園内に入って暫く歩くとご覧のような階段があったので上ってみました。
階段の上は調布浄水場の跡地で、現在は整備されて「四季の野草園」と「水生植物園」になっていました。
尚、調布浄水場の「沈でん池」は「水生植物園」に、「ろ過弛」は「四季の野草園」になっていて、昔は多摩川の水を汲み上げて「沈でん池」から「ろ過弛」を通して浄水していたみたいです。
「四季の野草園」はご覧のようになっていて今の時期は草花は咲いていませんでしたが、周囲は浄水場の跡が残っていました。
「四季の野草園」から「水生植物園」に行けるレンガ造りの通路があったので行ってみました。
「水生植物園」はご覧のようになっていて、奥に見えるのが「四季の野草園」へのレンガ造りの通路です。
もう少しで花が開きそうな蓮があったのでアップで撮ってみました。
蓮は花開く瞬間に、「ポン」という音をたてる様なので少し待っていれば聞けたかも? ⇒ これってホント?ウソ?
「水生植物園」には魚はいないようで、大きななオタマジャクシとアメンボがいるだけでした。
「水生植物園」を後に「亀甲山古墳」に行ってみました。
「亀甲山古墳」に着いたのですが、ご覧のような広場になっていて案内板(左下隅)がなければ古墳だと気が付きませんでした。
案内板には『国指定 史跡亀甲山古墳 この古墳は大田区から世田谷区におよぶ荏原(台)古墳群中で最大の前方後円墳である。発掘調査は行われておらず詳細は不明であるが・・・』と書かれていました。
取り敢えず案内板に描かれていた平面図と側面図をアックで撮ってみました。
現在位置から左が古墳の前方部(長さ41m)で右が後円部(直径66m)のようです。
取り敢えず「亀甲山古墳」まで来たので下に見えた多摩川を撮って「多摩川台公園」を後にしました。
これで等々力渓谷遊歩道出口の「矢川橋」から「多摩川台公園」まで約1時間30分掛けて散策したことになります。
後は、東急東横線の多摩川駅近くの飲み屋で喉を潤してから帰ることにしました。
今回の「等々力渓谷をぶらり」は、等々力渓谷だけでなくいろんな所を見ることが出来て大変満足しています。
特に、「野毛大塚古墳」、「等々力不動尊」、「丸子橋と多摩川橋梁」、「多摩川浅間神社」は必見の価値はあります。
又、万歩計は19,000歩近くになっていたので運動不足の解消にもなりました。