今年のシルバーウイークは5連休(9月19日~23日)で、運良く静岡のビジネスホテルが取れたので、21日(月)は静岡の久能山東照宮に行ってみました。
<登呂遺跡>
ビジネスホテルがら登呂遺跡へは、バスに乗らないで石田街道を歩いて行ってみました。
石田街道を30分位歩くと登呂入口バス停があって、左折して400m位歩くとご覧のような案内が出ていました。
案内に従って暫く歩くと、公園の中に住居と高床倉庫の遺跡があったので早速撮ってみました。
近くに案内図もないところみると、脇から登呂遺跡に入ってしまったようです。
遺跡の中を通り正式な入口に行って案内図を確認しました。
目の前に見えるのが東側居住域で脇から入った所は西側居住域でした。
東側居住域の住居跡の近くに行ってみました。
近くにあった立派な建物は倉庫跡ではなく祭殿跡でした。
東側居住域を後に水田の脇を通って登呂博物館に行くことにしました。
東側居住域をバックに案山子を撮ってみました。
登呂博物館の1Fは無料で奥に弥生体験展示室がありました。
弥生体験展示室には、住居、高床倉庫などの建物や水田があって弥生時代の登呂ムラの生活を再現していました。
田植えをしている人達の後ろに富士山が見えたので撮ってみました。
博物館のショップで、を売っていたので買ってしまいました。
⇒ 食べれるのかと聞いてみると、発掘したばかりのだと言っていました(冗談が好きですね!)。
登呂博物館の後ろは駐車場になっていて、ご覧のような標識も出ていました。
登呂遺跡に再入場しても仕方がないので、石田街道をに出てバス停に向かうことにしました。
バス停に着いて休日の時刻表を見ると、「久能山下」行きのバスがあったのでそれに乗って久能山東照宮に行くことにしました。
<久能山下>
終点の久能山下バス停に着きましたが、久能山東照宮の案内は何処にもありませんでした。
向かい側の山を見上げると左の上の方に参道石段が見えたので少しホッとしました。
<鳥居>
バスで来た道を少し戻ると、右側にご覧のような久能山東照宮の参道がありました。
取り合えず久能山東照宮の大きな鳥居を撮ってみました。
「久能山東照宮周辺のご案内」に依ると、参拝するには鳥居をくぐって1159段の石段を登らなければなりません。
尚、日本平山頂からロープウエイを使えば110段の石段で参拝できます。
又、「久能山東照宮全景」で現在地を確認しました。
<1159段の石段>
ご覧のような歩き易い石段から登り始めます。
歩き易い石段を登り切ると、参道はご覧のようなジグザグの石段になっていました。
石段の途中に、五穀豊穣、商売繁盛の駿河稲荷社があったので、無事に上まで登れるようにお祈りします。
駿河稲荷社にお参りしてから上の方に見えたジグザグの石段を撮ってみました。
ご覧のような石段を登るので少ししんどいです。
石段の途中に見晴らしポイントがあったので小休止をしながら撮ってみました。
遠くに、伊豆半島が見えるのですが霞んでいて上手く撮れていませんでした。
石段の脇にご覧のようなグロテスクな巨木があったので撮ってみました。
ついでに、下の方に見える登って来た石段を撮ってみました。
石段を暫く登ると別の見晴らしポイントがあったので伊豆半島を再び撮ってみましたが・・・
石段から上を見上げると、ご覧のような奇妙な木があったので撮ってみました。
視野が大分開けてきたのでここでも伊豆半島を撮ってみました。
ここまで登って来ると、伊豆半島がハッキリ見えるようになりますね?!
先程の奇妙な木の所まで登って来ましたが、この木はご覧のような太い竹で支えられていました。
今度は南西方面が開けてきたので撮ってみましたが、焼津方面ですかね?!
石段にある最後の見晴らしポイントに着きました。
下の方に参道入口の鳥居が見えたので駿河湾と一緒に撮ってみました。
<一ノ門>
見晴らしポイントから石段を登ると右側に一ノ門がありますが、左奥に焼津方面が見えます。
一ノ門は久能山下より909段登った所にある門で、門の先には門衛所が見えました。
<門衛所>
門衛所は、江戸時代、久能山を警護する与力が詰めていた番所みたいです。
門衛所の先はご覧のような石段がまだ続いていました。
<旧宝物殿>
石段を登り切ると、右側に今は使われていない旧宝物殿(?)がありました。
海側は視野が開けているので見晴台になっていましたが、同じような景色を撮っても仕方がないので止めました。
旧宝物殿の正面に、十丈八尺(約33m)と彫られた勘介井戸があったので撮ってみましたが、武田信玄に仕えていた山本勘助が掘った井戸ですかね?
旧宝物殿を後に、社務所に向かいます。
社務所の手前に見晴らしの良い場所があったので焼津方面を撮ってみました。
社務所で拝観料500円を払って、「国宝 久能山東照宮」のパンフレットを貰って境内に入ります。
尚、日本平ロープウェイを使うと社務所前に着きますが、ロープウェイ乗り場には日本平に行く人の長い列が出来ていました。
<楼門(ろうもん)>
「楼門」に行く石段は幅が広くかなり急ななので杖が備えてありました。
石段の手前のご覧のようば手水処があって、虹が出て出ていたので撮ってみました。
又、この手水処はおしっこのようだと言っている女の人がいましたが、これは大喝!ものですね!
重要文化財の楼門を撮ってみましたが、東照大権現額の扁額が掲げてありました。
楼門の左右の随身(平安以後、勅宣によって貴族の外出時に護衛として随従した近衛府の官人)が珍しかったのでアップで撮ってみました。
<厳島神社 稲荷神社>
楼門を超えると右側に小さな赤い鳥居があって拝んでいる人がいたので行ってみました。
傍に行ってみると、右に厳島神社(芸能の神様)、左に 稲荷神社(財運の神様)の境内社がありました。
<神厩(しんきゅう)>
参道の左にご覧のような神厩(厩舎)があったので行ってみました。
神厩の中には、家康公の愛馬そっくりに左甚五郎が彫刻した馬が納められていました。
唐門の手前にある鳥居が見えたのでアップで撮ってみました。
参道の右側に鼓楼(ころう)があったので唐灯篭と一緒に撮ってみました。
尚、鼓楼は、創建以来、鐘楼として扱われていましたが、明治時代の神仏分離で鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」になったみたいです。
鳥居をくぐると唐門があってご覧のように参拝客の行列が出来ていました。
<社殿>
参拝客の後ろに並ぶしかありませんが、時間があったので鴨居に彫られた素晴らしい彫刻を撮ってみました。
ところで、この社殿(拝殿・石ノ間・本殿)は二代将軍秀忠公が久能山に家康公を祀るために造営した神社で、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型となっています。
参拝してから失礼して拝殿の内部を正面から撮ってみました。
ついでに、脇からも拝殿の内部を撮ってみました。
参拝客の列から外れたので、柱の飾り物(?)をアップと度アップで撮ってみました。
<神廟(しんびょう)>
社殿の横に、廟所(びょうしょ)参道の案内が出ていたので行ってみることにしました。
神廟は、家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟で、当初は小さな祠が建てられていましたが、三代将軍家光公によって石塔が建てられ現在に至っています。
神廟の前の家康公が描かれている「東照宮遺訓」があったので撮ってみました。
神廟の裏に回ってみると、「家康公愛馬之霊所」があったので撮ってみました。
神廟を一回りすると大きな杉の大木があって、触っている人が大勢いました。
近づいてみると「金の成る木」で、ご利益があるようなので私も触ってみました。
これで久能山東照宮の外れまで来たので後は引き返すだけになりました。
社殿の奥に、重要文化財の日枝神社があったのを思い出したので帰りがけに寄ってみることにしました。
廟所参道を降って再び社殿まで降りて来ました。
参拝客の間を通って拝殿を横切ると左側の壁(?)にご覧のような絵が描かれていました。
素晴らしい絵だったのでアップで撮ってみました。
<日枝神社>
重要文化財の日枝神社の説明板には、『旧御本地堂で、薬師如来を安置してあったが、明治3年神仏分離の際に仏像を廃し後に今の名称に改めた。元和3年の建造である。(西暦1617年)』と書いてありました。
取り敢えず、ここまで無事に降りてこられたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから内部を撮ってみましたが、徳川将軍家の当主の名が彫られた家紋(三つ葉葵)が並んでいたのですが、何のためですかね!?
<社務所前の休憩所>
これで久能山東照宮の全てを見て回ったので社務所に戻って、前の休憩所で一休みしてからロープウェイで日本平に行ってみることにしました。
休憩所で一休みしていると、あっと言う間にロープウェイ乗り場に長い行列ができ、最後尾の案内も出るようになりました。
この感じではロープウェイに乗るまで大分時間が掛かりそうだったので、発掘したを食べて行列が捌けるのを待つことにしました。
休憩所で暫く待ちましたが、行列は長くなるだけで短くなる気配はありませんでした(待ち時間は1時間以上かかりそうです)。
このままここに居ても仕方がないので、久能山下バス停の戻って、バスで静岡駅に戻るか「三保の松原」まで歩いて行くか判断することにしました。
<久能山下>
結局、参道石段を降り始めて15分位で鳥居に着いてしまいました。
久能山下バス停に着くと運良くバスが2台止まっていて、1台は静岡駅行でもう1台は清水駅行でした。
「三保の松原」は途中で乗り換えないと行けないので、「三保の松原」に行くのは諦めて清水港の清水魚市場に行ってみることにしました。
<清水>
清水駅に着いたので東西自由通路を通って、東口から徒歩5分位のところにある清水魚市場の「河岸の市(かしのいち)」に行ってみました。
時間は2時前だったのですが、かなりの人出で落ち着いて食べれそうなお店はありませんでした(ガックリ!)。
仕方がないので清水駅の西口に戻り、清水駅前銀座商店街に行って地魚が食べられそうな食事処を探すことにしました。
商店街の入口近くにあったお店は閉まっていたのですが、商店街を暫く歩くと右側に食事処があったので入ってみました。
「河岸の市」でお刺身が食べられなかったので、飲みながら地魚を堪能することが出来て良かったです。
帰りは清水駅からは静岡駅に戻って新幹線で帰れたので楽でした。
今回の「久能山東照宮をぶらり」は、準備はあまりしていなかったのですが、所々で運良くバスに乗れたのと、美味しい地魚が食べられたので満足しています。
尚、万歩計は20,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
<登呂遺跡>
ビジネスホテルがら登呂遺跡へは、バスに乗らないで石田街道を歩いて行ってみました。
石田街道を30分位歩くと登呂入口バス停があって、左折して400m位歩くとご覧のような案内が出ていました。
案内に従って暫く歩くと、公園の中に住居と高床倉庫の遺跡があったので早速撮ってみました。
近くに案内図もないところみると、脇から登呂遺跡に入ってしまったようです。
遺跡の中を通り正式な入口に行って案内図を確認しました。
目の前に見えるのが東側居住域で脇から入った所は西側居住域でした。
東側居住域の住居跡の近くに行ってみました。
近くにあった立派な建物は倉庫跡ではなく祭殿跡でした。
東側居住域を後に水田の脇を通って登呂博物館に行くことにしました。
東側居住域をバックに案山子を撮ってみました。
登呂博物館の1Fは無料で奥に弥生体験展示室がありました。
弥生体験展示室には、住居、高床倉庫などの建物や水田があって弥生時代の登呂ムラの生活を再現していました。
田植えをしている人達の後ろに富士山が見えたので撮ってみました。
博物館のショップで、を売っていたので買ってしまいました。
⇒ 食べれるのかと聞いてみると、発掘したばかりのだと言っていました(冗談が好きですね!)。
登呂博物館の後ろは駐車場になっていて、ご覧のような標識も出ていました。
登呂遺跡に再入場しても仕方がないので、石田街道をに出てバス停に向かうことにしました。
バス停に着いて休日の時刻表を見ると、「久能山下」行きのバスがあったのでそれに乗って久能山東照宮に行くことにしました。
<久能山下>
終点の久能山下バス停に着きましたが、久能山東照宮の案内は何処にもありませんでした。
向かい側の山を見上げると左の上の方に参道石段が見えたので少しホッとしました。
<鳥居>
バスで来た道を少し戻ると、右側にご覧のような久能山東照宮の参道がありました。
取り合えず久能山東照宮の大きな鳥居を撮ってみました。
「久能山東照宮周辺のご案内」に依ると、参拝するには鳥居をくぐって1159段の石段を登らなければなりません。
尚、日本平山頂からロープウエイを使えば110段の石段で参拝できます。
又、「久能山東照宮全景」で現在地を確認しました。
<1159段の石段>
ご覧のような歩き易い石段から登り始めます。
歩き易い石段を登り切ると、参道はご覧のようなジグザグの石段になっていました。
石段の途中に、五穀豊穣、商売繁盛の駿河稲荷社があったので、無事に上まで登れるようにお祈りします。
駿河稲荷社にお参りしてから上の方に見えたジグザグの石段を撮ってみました。
ご覧のような石段を登るので少ししんどいです。
石段の途中に見晴らしポイントがあったので小休止をしながら撮ってみました。
遠くに、伊豆半島が見えるのですが霞んでいて上手く撮れていませんでした。
石段の脇にご覧のようなグロテスクな巨木があったので撮ってみました。
ついでに、下の方に見える登って来た石段を撮ってみました。
石段を暫く登ると別の見晴らしポイントがあったので伊豆半島を再び撮ってみましたが・・・
石段から上を見上げると、ご覧のような奇妙な木があったので撮ってみました。
視野が大分開けてきたのでここでも伊豆半島を撮ってみました。
ここまで登って来ると、伊豆半島がハッキリ見えるようになりますね?!
先程の奇妙な木の所まで登って来ましたが、この木はご覧のような太い竹で支えられていました。
今度は南西方面が開けてきたので撮ってみましたが、焼津方面ですかね?!
石段にある最後の見晴らしポイントに着きました。
下の方に参道入口の鳥居が見えたので駿河湾と一緒に撮ってみました。
<一ノ門>
見晴らしポイントから石段を登ると右側に一ノ門がありますが、左奥に焼津方面が見えます。
一ノ門は久能山下より909段登った所にある門で、門の先には門衛所が見えました。
<門衛所>
門衛所は、江戸時代、久能山を警護する与力が詰めていた番所みたいです。
門衛所の先はご覧のような石段がまだ続いていました。
<旧宝物殿>
石段を登り切ると、右側に今は使われていない旧宝物殿(?)がありました。
海側は視野が開けているので見晴台になっていましたが、同じような景色を撮っても仕方がないので止めました。
旧宝物殿の正面に、十丈八尺(約33m)と彫られた勘介井戸があったので撮ってみましたが、武田信玄に仕えていた山本勘助が掘った井戸ですかね?
旧宝物殿を後に、社務所に向かいます。
社務所の手前に見晴らしの良い場所があったので焼津方面を撮ってみました。
社務所で拝観料500円を払って、「国宝 久能山東照宮」のパンフレットを貰って境内に入ります。
尚、日本平ロープウェイを使うと社務所前に着きますが、ロープウェイ乗り場には日本平に行く人の長い列が出来ていました。
<楼門(ろうもん)>
「楼門」に行く石段は幅が広くかなり急ななので杖が備えてありました。
石段の手前のご覧のようば手水処があって、虹が出て出ていたので撮ってみました。
又、この手水処はおしっこのようだと言っている女の人がいましたが、これは大喝!ものですね!
重要文化財の楼門を撮ってみましたが、東照大権現額の扁額が掲げてありました。
楼門の左右の随身(平安以後、勅宣によって貴族の外出時に護衛として随従した近衛府の官人)が珍しかったのでアップで撮ってみました。
<厳島神社 稲荷神社>
楼門を超えると右側に小さな赤い鳥居があって拝んでいる人がいたので行ってみました。
傍に行ってみると、右に厳島神社(芸能の神様)、左に 稲荷神社(財運の神様)の境内社がありました。
<神厩(しんきゅう)>
参道の左にご覧のような神厩(厩舎)があったので行ってみました。
神厩の中には、家康公の愛馬そっくりに左甚五郎が彫刻した馬が納められていました。
唐門の手前にある鳥居が見えたのでアップで撮ってみました。
参道の右側に鼓楼(ころう)があったので唐灯篭と一緒に撮ってみました。
尚、鼓楼は、創建以来、鐘楼として扱われていましたが、明治時代の神仏分離で鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」になったみたいです。
鳥居をくぐると唐門があってご覧のように参拝客の行列が出来ていました。
<社殿>
参拝客の後ろに並ぶしかありませんが、時間があったので鴨居に彫られた素晴らしい彫刻を撮ってみました。
ところで、この社殿(拝殿・石ノ間・本殿)は二代将軍秀忠公が久能山に家康公を祀るために造営した神社で、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型となっています。
参拝してから失礼して拝殿の内部を正面から撮ってみました。
ついでに、脇からも拝殿の内部を撮ってみました。
参拝客の列から外れたので、柱の飾り物(?)をアップと度アップで撮ってみました。
<神廟(しんびょう)>
社殿の横に、廟所(びょうしょ)参道の案内が出ていたので行ってみることにしました。
神廟は、家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟で、当初は小さな祠が建てられていましたが、三代将軍家光公によって石塔が建てられ現在に至っています。
神廟の前の家康公が描かれている「東照宮遺訓」があったので撮ってみました。
神廟の裏に回ってみると、「家康公愛馬之霊所」があったので撮ってみました。
神廟を一回りすると大きな杉の大木があって、触っている人が大勢いました。
近づいてみると「金の成る木」で、ご利益があるようなので私も触ってみました。
これで久能山東照宮の外れまで来たので後は引き返すだけになりました。
社殿の奥に、重要文化財の日枝神社があったのを思い出したので帰りがけに寄ってみることにしました。
廟所参道を降って再び社殿まで降りて来ました。
参拝客の間を通って拝殿を横切ると左側の壁(?)にご覧のような絵が描かれていました。
素晴らしい絵だったのでアップで撮ってみました。
<日枝神社>
重要文化財の日枝神社の説明板には、『旧御本地堂で、薬師如来を安置してあったが、明治3年神仏分離の際に仏像を廃し後に今の名称に改めた。元和3年の建造である。(西暦1617年)』と書いてありました。
取り敢えず、ここまで無事に降りてこられたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから内部を撮ってみましたが、徳川将軍家の当主の名が彫られた家紋(三つ葉葵)が並んでいたのですが、何のためですかね!?
<社務所前の休憩所>
これで久能山東照宮の全てを見て回ったので社務所に戻って、前の休憩所で一休みしてからロープウェイで日本平に行ってみることにしました。
休憩所で一休みしていると、あっと言う間にロープウェイ乗り場に長い行列ができ、最後尾の案内も出るようになりました。
この感じではロープウェイに乗るまで大分時間が掛かりそうだったので、発掘したを食べて行列が捌けるのを待つことにしました。
休憩所で暫く待ちましたが、行列は長くなるだけで短くなる気配はありませんでした(待ち時間は1時間以上かかりそうです)。
このままここに居ても仕方がないので、久能山下バス停の戻って、バスで静岡駅に戻るか「三保の松原」まで歩いて行くか判断することにしました。
<久能山下>
結局、参道石段を降り始めて15分位で鳥居に着いてしまいました。
久能山下バス停に着くと運良くバスが2台止まっていて、1台は静岡駅行でもう1台は清水駅行でした。
「三保の松原」は途中で乗り換えないと行けないので、「三保の松原」に行くのは諦めて清水港の清水魚市場に行ってみることにしました。
<清水>
清水駅に着いたので東西自由通路を通って、東口から徒歩5分位のところにある清水魚市場の「河岸の市(かしのいち)」に行ってみました。
時間は2時前だったのですが、かなりの人出で落ち着いて食べれそうなお店はありませんでした(ガックリ!)。
仕方がないので清水駅の西口に戻り、清水駅前銀座商店街に行って地魚が食べられそうな食事処を探すことにしました。
商店街の入口近くにあったお店は閉まっていたのですが、商店街を暫く歩くと右側に食事処があったので入ってみました。
「河岸の市」でお刺身が食べられなかったので、飲みながら地魚を堪能することが出来て良かったです。
帰りは清水駅からは静岡駅に戻って新幹線で帰れたので楽でした。
今回の「久能山東照宮をぶらり」は、準備はあまりしていなかったのですが、所々で運良くバスに乗れたのと、美味しい地魚が食べられたので満足しています。
尚、万歩計は20,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。