「日向薬師の彼岸花(前編)」から続く。
日向薬師の門柱からバス道路に出ましたが、未だ14時前だったので彼岸花を探しながらバス道路を南下することにしました。
⇒ バス道路は道に迷わないし、歩き疲れたらバスに乗れますからね!?
<彼岸花を求めて南下>
歩き始めると直ぐに大門橋があって、橋の先には「伊勢原マス釣り場」がありました。
ここはレストハウスを兼ねていて食事も出来そうでした。
⇒ 事前に分かっていればここで昼食が取れましたね!
橋の近くに、素晴らしい萩の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
大門橋から5分程歩くと、ご覧のような十二神橋がありました。
散策路(?)に彼岸花の群生地がありそうなので、日向川沿いを歩いてみることにしました。
散策路に咲いている彼岸花を撮ってみました。
素晴らしい彼岸花だったのでアップで撮ってみました。
又、緑色の葉っぱに映える彼岸花もあったのでこちらも撮ってみました。
日向川にご覧のような堰があったので撮ってみました。
散策路の先に行ってみましたが、お墓で行き止りになっていたので戻ることにしました。
十二神橋を下から撮って、元のバス道路に戻りました。
道路を南下していると、ご覧のような看板ゲートがあったので撮ってみました。
道路を暫く進むと、「関東ふれいあいの道」の道標<よろい塚へ 日向薬師へ>、彼岸花散策路入口<日陰道>の案内が出ていました。
日陰道に行くと元のスタート地点に戻ってしまうので、道路をそのまま南下しました。
道路を歩いていると、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
道路の左側奥に、ご覧のような彼岸花の群生地がありました。
手前に見える白い畑は蕎麦の花畑ですね!
道路から大分離れていて行き方も分からなかったので、行くのは諦めてアップで撮ってみました。
バス停「藤野入口」の近くは、彼岸花ではなく蕎麦の花が見頃を迎えていました。
バス停を過ぎると、道路の反対側に神社があったので行ってみました。
道路を渡ると、ご覧のような石塔群がありました(三浦先生頌徳碑は誰でしょうね?)。
社殿に着いたので扁額を確認すると諏訪神社になっていました。
取り敢えず、お参りしてから神社の内部を撮らせていただきました。
道路を歩いていると、石材店に可愛らしい大黒様と布袋様がいたので撮ってみました。
バス停「洗水(あろうず)」の近くに遣って来ると、ご覧のようなサルビアが咲いていました。
赤色の素晴らしいサルビアだったのでアップで撮ってみました。
交通誘導員が何故いるのか分かりませんが、電柱に盛徳寺の矢印が出ていたので行ってみることにしました。
<盛徳寺に向かう>
ご覧のような道路から盛徳寺に向いますが、道に迷わないことを願うだけです。
道なりに5分程歩くと、民家の傍らに彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
道路は舗装されていますが、道幅はだんだん狭くなってきました。
土手に、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
真っ赤な素晴らしい彼岸花をアップで撮ってみました。
白色の彼岸花も咲いていたのでアップで撮ってみました。
舗装された狭い道路を更に5分程上ると、紅葉が始まりかけたモミジがあったので撮ってみました。
モミジの後ろに、トタン屋根の大きな納屋(?)があったので撮らせていただきました。
ご覧のような待避所のある坂道を更に上りますが、盛徳寺は未だ見えません。
<盛徳寺>
盛徳寺の矢印案内から15分程で、盛徳寺の霊園の入口に着きました。
ここにも交通誘導員が立っていたので、急勾配の狭い道路なので出入口で車を規制しているようでした。
霊園の右側にあった「迦葉山盛徳寺 伊勢原霊園の由緒」には、『当霊園は、西暦1598年(慶長2年)現東京都港区赤坂の地に開山された曹洞宗迦葉山盛徳寺の移転(昭和47年)に伴い誕生した超宗派霊園であります。・・・西暦1655年(承応3年)には初代藩主伊豆守真田信之公(真田幸村公の兄)により中興開基が行われ、以来同藩の江戸での菩提所となりました。・・・』と書いてありました。
霊園入口の左側には「信州 松代藩 真田家之墓」がありました。
盛徳寺の本堂は、霊園の横の坂道を上ったところにありました。
坂道の途中に、素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
本堂前の広場に着いたので、盛徳寺の石柱を撮ってみました。
石段の右側に、不動明三尊堂があったので行ってみました。
失礼して、堂内の不動明王(?)を撮らせていただきました。
石段を上って本堂に向かいますが、中央に山門、左には鐘楼堂、右には庫裡があります。
石段を上って山門を撮ってみました。
山門に立っている金剛力士像を撮ってみました。
山門の扉に、真田家の六文銭がありました。
山門をくぐると、左側に山門より立派な鐘楼堂があったので撮ってみました。
鐘楼堂にもご覧のような六文銭が付いていました。
ご覧のような階段を上って本堂に向かいますが、階段の下に小さな盛徳寺と迦葉山の石柱がありました。
立派な本堂を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
本堂でお参りしてから坂道を上ると、右側に立派な寺務所(?)があったので撮ってみました。
坂道を更に上ると、麗盛観世音菩薩の幟のあるご覧のような階段がありました。
階段を上ると左側に、眞田家御霊屋があったので撮ってみました。
更に上の方に行くと、ご覧のような麗盛観音堂がありました。
失礼して、堂内の観音様をアップで撮らせていただきました。
下に眞田家御霊屋が見えたので撮ってみました。
手前に、小さなお地蔵さんが置いてあるご覧のような石があったので撮ってみました。
本堂前の広場に戻って来たので、坂道を下って霊園入口に向かいました。
霊園入口に戻って来たので、霊園側から霊園門を撮ってみました。
霊園の下に、ご覧のような庚申堂があったので撮ってみました。
盛徳寺を後に、来た道を戻りますが、帰りは下りなので楽です。
彼岸花が咲いていた土手に戻って来ると、アゲハ蝶が飛んでいました。
アゲハ蝶がじっとしていた(気持ちが通じた?)ので、アップで撮ることができました。
サルビアのプランターが置いてあるバス停「洗水」に着きました。
⇒ このサルビアは、盛徳寺入口の目印かも知れませんね!?
折角なので、素晴らしいサルビアをアップで撮ってみました。
伊勢原駅北口行きバスの時刻表を見るとバスが行った後でした。
仕方がないので、更にバス道路を南下することにしました。
<道路を南下>
道路を南下していると、ご覧のような金剛力士像の置いてある石材店がありました。
⇒ この道路には、石材店が多いような感じがするのですが・・・
バス停「洗水」から道路を10分程南下すると、道標<よろい塚へ>がありました。
「よろい塚」の高台に行ってみると、いろんな碑が建っていました。
取り敢えず、忠魂碑を撮ってみました。
忠魂碑の後ろに、鎧塚神社と彫られた石碑があったので撮ってみました。
石碑の後ろには、ご覧のような石の観音様(?)がありました。
尚、台石に何か彫られていましたが判読(長運霊?)できませんでした。
忠魂碑の右に、記念碑らしきものが建っていたので撮ってみました。
斜めになっていますが、馬頭観世音もあったので撮ってみました。
又、三浦英蔵先生頌徳碑も建っていましたが、諏訪神社近くにあった碑と同一人物ですかね!?
「よろい塚」にも彼岸花が咲いていたので撮ってました。
バス道路に戻って暫く歩くと、バス停「高部屋小学校前」がありました。
バスが遣って来たので乗ってしまいましたが、17時前なので伊勢原駅に着いても居酒屋は遣ってなさそうです。
<伊勢原大神宮>
バス停「大神宮前」で途中下車して、時間調整を兼ねて伊勢原大神宮に行ってみました。
手水舎に行ってみると、参拝の順序が<外宮⇒内宮>となっていたので、外宮から参拝することにしました。
未だ9月なのに、境内にはご覧のような「祝七五三詣」の看板がありました。
尚、右にあるのが外宮(げくう)で、左にあるのが内宮(ないくう)です。
又、「ひとりよりふたり」、「ひとつよりふたつ」をイメージしたご覧のようなものが置いてありました。
階段の下から外宮を撮ってみました。
取り敢えず、外宮の御祭神と御利益を撮ってみました。
外宮拝殿を撮ってお参りをしました。
拝殿の内部も撮ってみましたが、右にある白い卵のようなマークは何ですかね!?
外宮でお参りしてから内宮に行ってみました。
ご覧のような大きな干支のある内宮拝殿を撮ってみました。
内宮の御祭神と御利益も撮ってみました。
お参りしてから、拝殿の内部も撮ってみましたが、右には赤い卵のようなマークがありました。
内宮と外宮を撮って境内に戻りました。
参拝時間が過ぎているのか(?)巫女さんも後片付けをしていました。
伊勢原大神宮を後に、歩いて伊勢原駅北口に向かいました。駅前近くの居酒屋に入って一杯遣って帰りました。
今回の「日向薬師の彼岸花」は、素晴らしい彼岸花が見れたのといろんな所が散策できたので満足しています。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩を超えていました。
日向薬師の門柱からバス道路に出ましたが、未だ14時前だったので彼岸花を探しながらバス道路を南下することにしました。
⇒ バス道路は道に迷わないし、歩き疲れたらバスに乗れますからね!?
<彼岸花を求めて南下>
歩き始めると直ぐに大門橋があって、橋の先には「伊勢原マス釣り場」がありました。
ここはレストハウスを兼ねていて食事も出来そうでした。
⇒ 事前に分かっていればここで昼食が取れましたね!
橋の近くに、素晴らしい萩の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
大門橋から5分程歩くと、ご覧のような十二神橋がありました。
散策路(?)に彼岸花の群生地がありそうなので、日向川沿いを歩いてみることにしました。
散策路に咲いている彼岸花を撮ってみました。
素晴らしい彼岸花だったのでアップで撮ってみました。
又、緑色の葉っぱに映える彼岸花もあったのでこちらも撮ってみました。
日向川にご覧のような堰があったので撮ってみました。
散策路の先に行ってみましたが、お墓で行き止りになっていたので戻ることにしました。
十二神橋を下から撮って、元のバス道路に戻りました。
道路を南下していると、ご覧のような看板ゲートがあったので撮ってみました。
道路を暫く進むと、「関東ふれいあいの道」の道標<よろい塚へ 日向薬師へ>、彼岸花散策路入口<日陰道>の案内が出ていました。
日陰道に行くと元のスタート地点に戻ってしまうので、道路をそのまま南下しました。
道路を歩いていると、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
道路の左側奥に、ご覧のような彼岸花の群生地がありました。
手前に見える白い畑は蕎麦の花畑ですね!
道路から大分離れていて行き方も分からなかったので、行くのは諦めてアップで撮ってみました。
バス停「藤野入口」の近くは、彼岸花ではなく蕎麦の花が見頃を迎えていました。
バス停を過ぎると、道路の反対側に神社があったので行ってみました。
道路を渡ると、ご覧のような石塔群がありました(三浦先生頌徳碑は誰でしょうね?)。
社殿に着いたので扁額を確認すると諏訪神社になっていました。
取り敢えず、お参りしてから神社の内部を撮らせていただきました。
道路を歩いていると、石材店に可愛らしい大黒様と布袋様がいたので撮ってみました。
バス停「洗水(あろうず)」の近くに遣って来ると、ご覧のようなサルビアが咲いていました。
赤色の素晴らしいサルビアだったのでアップで撮ってみました。
交通誘導員が何故いるのか分かりませんが、電柱に盛徳寺の矢印が出ていたので行ってみることにしました。
<盛徳寺に向かう>
ご覧のような道路から盛徳寺に向いますが、道に迷わないことを願うだけです。
道なりに5分程歩くと、民家の傍らに彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
道路は舗装されていますが、道幅はだんだん狭くなってきました。
土手に、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
真っ赤な素晴らしい彼岸花をアップで撮ってみました。
白色の彼岸花も咲いていたのでアップで撮ってみました。
舗装された狭い道路を更に5分程上ると、紅葉が始まりかけたモミジがあったので撮ってみました。
モミジの後ろに、トタン屋根の大きな納屋(?)があったので撮らせていただきました。
ご覧のような待避所のある坂道を更に上りますが、盛徳寺は未だ見えません。
<盛徳寺>
盛徳寺の矢印案内から15分程で、盛徳寺の霊園の入口に着きました。
ここにも交通誘導員が立っていたので、急勾配の狭い道路なので出入口で車を規制しているようでした。
霊園の右側にあった「迦葉山盛徳寺 伊勢原霊園の由緒」には、『当霊園は、西暦1598年(慶長2年)現東京都港区赤坂の地に開山された曹洞宗迦葉山盛徳寺の移転(昭和47年)に伴い誕生した超宗派霊園であります。・・・西暦1655年(承応3年)には初代藩主伊豆守真田信之公(真田幸村公の兄)により中興開基が行われ、以来同藩の江戸での菩提所となりました。・・・』と書いてありました。
霊園入口の左側には「信州 松代藩 真田家之墓」がありました。
盛徳寺の本堂は、霊園の横の坂道を上ったところにありました。
坂道の途中に、素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
本堂前の広場に着いたので、盛徳寺の石柱を撮ってみました。
石段の右側に、不動明三尊堂があったので行ってみました。
失礼して、堂内の不動明王(?)を撮らせていただきました。
石段を上って本堂に向かいますが、中央に山門、左には鐘楼堂、右には庫裡があります。
石段を上って山門を撮ってみました。
山門に立っている金剛力士像を撮ってみました。
山門の扉に、真田家の六文銭がありました。
山門をくぐると、左側に山門より立派な鐘楼堂があったので撮ってみました。
鐘楼堂にもご覧のような六文銭が付いていました。
ご覧のような階段を上って本堂に向かいますが、階段の下に小さな盛徳寺と迦葉山の石柱がありました。
立派な本堂を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
本堂でお参りしてから坂道を上ると、右側に立派な寺務所(?)があったので撮ってみました。
坂道を更に上ると、麗盛観世音菩薩の幟のあるご覧のような階段がありました。
階段を上ると左側に、眞田家御霊屋があったので撮ってみました。
更に上の方に行くと、ご覧のような麗盛観音堂がありました。
失礼して、堂内の観音様をアップで撮らせていただきました。
下に眞田家御霊屋が見えたので撮ってみました。
手前に、小さなお地蔵さんが置いてあるご覧のような石があったので撮ってみました。
本堂前の広場に戻って来たので、坂道を下って霊園入口に向かいました。
霊園入口に戻って来たので、霊園側から霊園門を撮ってみました。
霊園の下に、ご覧のような庚申堂があったので撮ってみました。
盛徳寺を後に、来た道を戻りますが、帰りは下りなので楽です。
彼岸花が咲いていた土手に戻って来ると、アゲハ蝶が飛んでいました。
アゲハ蝶がじっとしていた(気持ちが通じた?)ので、アップで撮ることができました。
サルビアのプランターが置いてあるバス停「洗水」に着きました。
⇒ このサルビアは、盛徳寺入口の目印かも知れませんね!?
折角なので、素晴らしいサルビアをアップで撮ってみました。
伊勢原駅北口行きバスの時刻表を見るとバスが行った後でした。
仕方がないので、更にバス道路を南下することにしました。
<道路を南下>
道路を南下していると、ご覧のような金剛力士像の置いてある石材店がありました。
⇒ この道路には、石材店が多いような感じがするのですが・・・
バス停「洗水」から道路を10分程南下すると、道標<よろい塚へ>がありました。
「よろい塚」の高台に行ってみると、いろんな碑が建っていました。
取り敢えず、忠魂碑を撮ってみました。
忠魂碑の後ろに、鎧塚神社と彫られた石碑があったので撮ってみました。
石碑の後ろには、ご覧のような石の観音様(?)がありました。
尚、台石に何か彫られていましたが判読(長運霊?)できませんでした。
忠魂碑の右に、記念碑らしきものが建っていたので撮ってみました。
斜めになっていますが、馬頭観世音もあったので撮ってみました。
又、三浦英蔵先生頌徳碑も建っていましたが、諏訪神社近くにあった碑と同一人物ですかね!?
「よろい塚」にも彼岸花が咲いていたので撮ってました。
バス道路に戻って暫く歩くと、バス停「高部屋小学校前」がありました。
バスが遣って来たので乗ってしまいましたが、17時前なので伊勢原駅に着いても居酒屋は遣ってなさそうです。
<伊勢原大神宮>
バス停「大神宮前」で途中下車して、時間調整を兼ねて伊勢原大神宮に行ってみました。
手水舎に行ってみると、参拝の順序が<外宮⇒内宮>となっていたので、外宮から参拝することにしました。
未だ9月なのに、境内にはご覧のような「祝七五三詣」の看板がありました。
尚、右にあるのが外宮(げくう)で、左にあるのが内宮(ないくう)です。
又、「ひとりよりふたり」、「ひとつよりふたつ」をイメージしたご覧のようなものが置いてありました。
階段の下から外宮を撮ってみました。
取り敢えず、外宮の御祭神と御利益を撮ってみました。
外宮拝殿を撮ってお参りをしました。
拝殿の内部も撮ってみましたが、右にある白い卵のようなマークは何ですかね!?
外宮でお参りしてから内宮に行ってみました。
ご覧のような大きな干支のある内宮拝殿を撮ってみました。
内宮の御祭神と御利益も撮ってみました。
お参りしてから、拝殿の内部も撮ってみましたが、右には赤い卵のようなマークがありました。
内宮と外宮を撮って境内に戻りました。
参拝時間が過ぎているのか(?)巫女さんも後片付けをしていました。
伊勢原大神宮を後に、歩いて伊勢原駅北口に向かいました。駅前近くの居酒屋に入って一杯遣って帰りました。
今回の「日向薬師の彼岸花」は、素晴らしい彼岸花が見れたのといろんな所が散策できたので満足しています。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩を超えていました。
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