今日は、編み物三昧の日でした。ラジオ代わりのテレビで、
「悲しいのに強がってるのはおかしい、悲しいって、言えば良いじゃない」
と、力説してる人がいました。
悲しみにも色々有ると思うんです。
人も色々です。
悲しいからって、おお泣きして晴れる場合も
じっと耐えて、時の過ぎるのを待たなければならないときも、
誰かに慰めてもらって、癒されることも、、
強がって、カラ元気で乗り切ることも、
力説を聞いてて、腹が立ってきました。
強がって、踏ん張ってる人に、
「悲しいって言え」って?「泣きたいんでしょう?泣きなさい」って?
その人が、その踏ん張りを解いて泣いた時、
その悲しみに押しつぶされて、立っていられなくなった時、
貴方は、責任持って、その人を支えられるの?
もしかしたら、耐える事で、保ってた均衡が、
その悲しみを吐き出すことで、壊れてしまうかも、、、
全てを詳らかにして、それで壊れる物は壊して再生させる。
それは、若さでしょうか、
その人の強さでしょうか、
もう、そんな気力は有りません。
何かしら、カラ元気で乗り切ろうとしています。そんな気持ちを見透かされて
怒っているのかもしれません。
やっぱり、カラ元気でも、
眉間にしわを寄せたりしないで、
涙で頬をぬらすこと無く
笑ってるほうを選びます。