ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その15)

2009-05-07 23:53:49 | 能楽

ワキ「木石心なしとは申せども。草国土悉皆成仏と聞く時は。本より仏体具足せり。況んや衣鉢を授くるならば。成仏疑ひあるべからずと。花を手向け焼香し。石面に向つて仏事をなす。汝元来殺生石。問ふ石霊。何れの処より来り。今生かくの如くなる。急々に去れ去れ。自今以後汝を成仏せしめ。仏体真如の善心となさん。摂取せよ。

囃子がノットを打ち出すと、払子を手にしたワキは立ち上がり、常の場合は作物の石に向かい、小書により作物が略された場合は常座、あるいは橋掛り一之松にて幕の方へ向いて教化の言葉を謡います。

そして登場する後シテが「白頭」のときに掛ける「野干」の面がトップに掲出したこの面っ! これは怖い。。

『殺生石』の後シテが掛ける面は、通常は「小飛出」です。これが小書「白頭」のときには、型や装束も大きく替わるのですが、面も「牙飛出」とかこの「野干」を使うことになります。

で、ぬえは初演の『殺生石』(もちろん小書ナシ)の際から工夫して、「小飛出」ではなく「牙飛出」を使いました。獣性が強烈に出たこの面は効果的だったと思います。このときの写真がこれ↓



ああ、でもこの、トップ画像の「野干」を見てください。。「小飛出」「牙飛出」のように口を大きく開いて、威嚇するかのような面も凄いとは思うけれど、この「野干」の恐ろしいところは、この面の表情にある「余裕」でしょう。目もどちらかといえばトロンと眠たげにも見え、口も半開き程度。角は後方に向かって申し訳程度に生えているだけ。実際この角は白頭を着けてしまっては全く隠れて見えなくなってしまいます。それなのに、この面の持つ迫力はどうでしょう。なんだか自分の持つ強い力を前面に出していないだけに、かえってその威力の大きさを感じさせる。。言うなれば、「小飛出」が当初から闘争心をむき出しにしているのに対して、この「野干」はそれを表面には出さずに、無言のまま相手の隙を窺い、一気にその命を絶ってしまうかのような、そんな獰猛な迫力をたたえた面だと言えるでしょう。

じつはこの面は、師匠の所蔵品の「写し」です。「野干」という面はなかなか難しくて、優品はほとんど目にしたことがありませんが、師家に伝わるこの「野干」は、静かな迫力を湛えた、まさに名品と呼ぶにふさわしい面だと思います。稽古ではこの「写し」を使っているのですが、できることなら当日は師家の本物を使わせて頂きたいなあ。。と、淡い期待を抱いてはおりますが。。でも、型が激しい『殺生石・白頭』ですから、万が一の事故だって考えられなくはないので、お許しはでないかも。その際はこの「写し」を使うつもりでおります。

この「野干」を稽古で使いながら考えたのですが、どうもこの面。。西洋的な匂いがする面です。 ひょっとして。。この面は。。「デーモン」なのではないかな。。? と、あるとき ぬえは考えました。これは資料の裏付けまで調査してはいないのですが、どうも『殺生石』の小書「白頭」は、古くからある小書ではないのではないか? と ぬえは考えていて、「野干」の面は能『殺生石』そのものよりも遅れて誕生した小書と同じ頃に生まれ、想像をたくましくすれば、西洋の絵画を参考にしたのではないかな。。?? とも考えています。

なぜこの「白頭」の小書が比較的新しい演出だと思うかというと、あとでご紹介しますとおり、この小書の型は橋掛りの欄干に足をかけたり、幕ぎわで「朽木倒レ」をしたり。。これは舞台の形状が完全に現在と同じ形に定まり、なおかつ頑丈な常設舞台で上演することを前提にしなければ生まれてこない型だと思うからです。

『殺生石』は作者は判然としておらず、しかしながら世阿弥よりは後世ではあるものの室町時代の文亀三年(1503)年には観世座で上演された記録があるようなので(『能楽源流考』)、古作とは言えないまでも それなりの長い歴史を持つ曲ではあります。しかし「白頭」の小書は曲の誕生よりもずっと遅れて、近世頃なのではないかなあ、と ぬえは漠然と考えています。「野干」の面がこの『殺生石・白頭』の専用面であり、かつその名称「野干」も狐を意味して、いかにも『殺生石』を意識していることを考えるならば、この面は小書と同時期か、あるいはそれより以後に発明された可能性が高いように思います(ちなみに師家蔵のこの「野干」は江戸中期の作です)。

かれこれ推測の積み重ねでしかありませんが、戦国時代のバサラ大名の例を見るように、中世も後期になると西洋の文物はある程度 日本国内にも流入していたはずで、そういう進取の気風がこのスペクタクルの小書を生み、また「野干」の面という形で結実したのではないか?? そんな印象をこの面に持ちました。