ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

国宝 阿修羅展に行って来ました

2009-06-03 09:56:05 | 日本文化
え?? 今ごろ?? と言わないで~~(・_・、)

いや、ホンに今ごろでして、なんせ展示開始前には ずいぶん長く展示しているんだなあ、と思っていた展覧会も今週末で終了なんですね~。ぬえのお弟子さんの中には「3回行きました~」という強者もおりました。。

さて ぬえが国立博物館に到着したのは午後4時過ぎ。それでも長蛇の列があって、ぬえは列に並んでから建物の中に入るまで、ちょうど1時間かかりました。これでも短い方らしい。

さて展示の全体の印象としては、こんなに展示品が少ないの? という感じかなあ。眼目の「阿修羅像」はほかの八部衆とは別格に展示されていましたが、まさしくここは芋洗い状態。今回の展示の特徴は「阿修羅像」を360°ぐるりと歩き回って見れる、ということでしたが、ああ、この押し合いへし合い状態の混雑に、
さぞ阿修羅くんも目の前で「おしくらまんじゅう押されて泣くな~~」。。と、はじめて見る異様な光景にとまどったことでしょう。阿修羅くん、いつの間にか おしくらまんじゅうに加わっていたりして。まだ子どもですから。。

で、展示品は少ないのですが、今回は八部衆のすべてが展示されているということで、それを楽しみにしていました。うう~~ん、これは迫力だ。ぬえは「カルラくん」がとっても気に入りました。

考えるのですが、ぬえは鎌倉時代の仏師の仕事が素晴らしいのは、島国である日本にとって西からやってきた仏教がこの地で行き場をなくして円熟していった結果だと思っていました。聖徳太子はがんばって仏教を国教にしましたが東漸はここで尽きて あとはドン詰まりの海が広がっているだけ。。そういう位置関係にある日本人の仏教に対しての感情が、ほかに行き場をなくしてギリギリの緊張状態を生み出したのではないか。さらに仏教は平安時代に熟成が進み、そのあとの平安末期からの末法の世の中に向かって必死に仏の救済を願うことになって。。だから鎌倉期の仏師の仕事は素晴らしいことが多いのかなあ、と思っていました。生命かかってますから。。

でも、仏教が伝来して間もない天平時代に、すでに八部衆のイメージを勝手に解釈しなおして再構築し、独自のこういう像を造る力を、日本人は持っていたんですね~。

それと、この八部衆が不比等の娘が父に先立たれ、その後母を亡くしたときに、その母を追善供養するために造ったのだ、という成立事情をはじめて知りました。なるほど像の繊細で美しい表現はまさに女性的。仏教が女性の、つまり尼僧が中心になって発展してきたのだったら、これは現在とはまったく違って面白い展開になっていたでしょうね~