ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北の被災地に行ってきました

2011-07-03 19:38:01 | 能楽の心と癒しプロジェクト
3月からずうっと… 心の中に刺さったトゲ。みなさんもそうだと思うのです。募金はしました。電気はこまめに消すようにしてます。でも、どうも災害義捐金は現地の人々に届いていない、という報道も耳にするし、原発事故はいつまで経っても解決の糸口さえ見えない…肝心の政府は仲間割れと主導権やポストの争奪戦。テレビでの話題も原発事故のことばかりですね。あんな大災害に見舞われた方々に、私たちは何か役に立っているのだろうか…

みいんな心にトゲのように突き刺さっている…でも、どうしていいのかわからない。救援物資はすでに余り気味とも聞く…でもそれは仕分ける人もいない状態だかららしい。じゃあ、いっそ現地に赴いて泥にまみれながら体を使って瓦礫の清掃に励めばいいんだ!…ぬえにはそんな時間も体力もありません。(泣)

でも、それをやってのけた友人も ぬえの周囲にはいるのです。レンタカーを借りて支援物資を満載し、自宅避難者の窮乏の支援に奔走、ついで放射線の恐れのある南相馬市で遺体の捜索…くわしくはこちらをご参照ください

和婚・祝言・婚礼 八千代ウェディング【ブログ】

この行動力…でも個人で取りそろえた支援物資のための出費は相当なものでしょう。羨望さえ感じる行動力ですが、そんな財力も、ましてや体力にも自信のない ぬえ。…でも、何かしなければ。…そんな思い、みなさんが持っていると思うのです。そうやって悶々とする毎日の中、震災からすでに相当の時間を経てはいますが、ちょうど先日 生徒さんの発表会が無事に終了したところで ぬえには ぽこん、とスケジュールの空きができてしまいました。それで…あまり計画性もない行動なのですけれども、ぬえは被災地に行ってみることにしたのでした。

日本人なら誰もが民族に降りかかった重大に過ぎる災害を、身をもって心に刻み込んでおきたい…これまた誰しも思うところなのでしょうが、ぬえにはそれに増して、石巻や気仙沼で先年行った学校公演がとても印象深く新鮮な思い出となっていました。…ですから伊豆で小学生に能を教えている身にとって、学校公演で出会った彼らのその後の動向は ぬえにとってあまりに心に突き刺さる想いでありました。

ぬえの東北地方学校公演

彼らに会えるわけでもないのに、思いついて深夜に東京を出発した ぬえ。東北道を4時間走って、サービスエリアで仮眠をとって、ようやく仙台市に入りましたが、もうその惨状に絶句… ビルのように積み上げられた瓦礫… ひしゃげて原型も留めない家屋や車… 道路は穴だらけ、信号が消灯したままの交差点には警官が立って交通を指揮している… いたるところの道路は通行止め。仙台空港は閉鎖されたままでした。仙台から多賀城市、七ヶ浜町、松島町、奥松島、東松島市…と見て回りましたが、どこもいまだに瓦礫が手つかず同然の状態です。

ところが不思議に松島は無傷だったのです。…正確に言えば津波の打撃はなく、浸水にとどまった、という意味なのですが、じつは ぬえ…松島の被害が少なかった、という情報は4月上旬にはすでに知っていました。というのもその時、たまたま静岡県の三保の松原に行っておりまして、そこで旅館の女将さんから話を伺ったのです。どうも多くの島々が津波をせき止めたらしい…松島は健在だ。どうも「観光地ネットワーク」というようなものがあって、こういう情報はいち早く伝えられたものらしい。

…そういえば 震災直後にアメリカから ぬえがお世話になった大学の先生から安否を問い合わせるメールが届きましたが、その文面にも「松島は無事か?」と書かれてありましたね~。アメリカ人からも愛される観光地。そうしてその観光地には観光客が戻り始めていました。もっとも浸水の被害は軽微なものではなく、まだ営業を始めているお店は半数程度、と地元で伺いました。

松島(五大堂~瑞巌寺)


この日はネットで予約できた塩竃市のホテルに泊まることができ(ネットで宿泊予約できるのはこの町まででした)、塩竃神社にも参拝しました。(トップ画像が塩竃神社)

訪れたのはちょうど六月末日…水無月祓のとき。大祓えに ぬえも参加しました。神主様も東日本大震災の難時を鎮める意味での夏越のお祓い、というお言葉があり、参拝者全員で茅の輪をくぐりました。





塩竃市も中心部は浸水被害程度で済んだようでしたが、ここでも多くの信号は動作せず警官の交通整理に頼っていました。なんでも信号は停電しているのではなくて、修理するにも部品が足りないのだとか。それも信号機の製作年代によって部品も微妙に異なるため、修理が遅れているのだそうで、関西や九州からも信号機の修理のために技術者が東北地方を訪れているのだそうです。

ところで…『融』で語られる「融の大臣陸奥の千賀の塩竃の眺望を聞こし召し及ばせ給ひ」という文句…これがまさか日本三景の松島のことを言っているとは、今のいままで知りませんでした…(←ばか)

なんだか観光気分も紛れ込んだような初日ですが、翌日に入った石巻でようやく被災者支援の市民団体にお会いすることができ、ぬえも微力ながらお手伝いをさせて頂くことになりました。