前夜の宿泊地・塩竃市まではネットでホテルを予約できたのだけれど、そこから先はまったく宿泊検索は不可能で、まあ…民宿のひとつでもあるんじゃないか、と淡い期待を持って走り出しました。石巻から気仙沼までは、やはり海岸沿いの道が最短距離のようで、カーナビの指示通りに走っていたのですが…ああ、やっぱり。あちこちに通行止めの標識があります。まだまだ通れない道がたくさんあるのね…。その通行止めの指示も「道を戻って桃生町方面へ迂回せよ」ですって…「モモウ?」…それ、どこ…? あとで知ったところでは「モノウ」と発音するのだそうですが、ん~やっぱりカーナビ買って正解。地図だけじゃあ、迷子になってしまうところでした…。途中に道の駅がいくつかあり、その中には入浴施設もあるようで、うう…ここでお風呂に入りたい~…とは思ったのですが、先行きが80kmもある事や、当夜の宿さえ決まっていない状況なので、まずは先を急ぐことに。
しかし海沿いの道は、そのまま つまり、津波の被害を受けた地域であるわけですし、そのためかどうなのか、時折見かける道の駅やコンビニエンスストアのほかには商店というものもほとんどなく、まして民宿なんて、走っても走っても まったく見かけません。もちろん道がすべて海に面しているわけではなく、時には山道になり、時には海からだいぶ隔たりながら、だったので、宿への期待はふくらんだのですが…
もう真っ暗闇の中をひたすら走っていましたが… いきなり周囲にヘッドライトで照らされたところだけ、がらんと開けた様子が見える場所に出ました。道もそれまでの山道の曲がりくねった道ではなく、直角に曲がる道路で…あきらかにこれは市街地なのです…が、何もない…。まさか…と思ってカーナビの表示を見ると、そこは南三陸町の中心地の志津川でした。ああ、そんな…。そうしているうちに突然、暗闇の中から巨大な崩れかけたビルが目の前に迫ってきました。恐ろしい光景に呆然として、早々にそこを走り過ぎることに…しかしこのあたりは、川か谷に沿って、相当内陸の方まで津波が入り込んだらしく、しばらく走っても被害を受けた家屋がずっと続いているようでした…
気仙沼に近づくと、崩れた橋が鉄板を組み立てる仮設式の橋に替えられていたり、凹凸が激しい道にはあちこちと迂回路が設けてあったりと、復旧に向けた努力の跡が目に見えて増えてきました。しかし、もう市内に入ろうというのに、とうとう民宿も1軒も見つからず…時間はすでに午後10時を廻ろうとしていて、ぬえは困り果ててしまいました。ああ、こんな事なら石巻に近い場所にあった入浴施設つきの道の駅でお風呂に入るべきだった…石巻の避難所で一日清掃をしていたので 汗まみれの ぬえ…とうとう意を決してカーナビで検索。
をを…ここなら多分泊まれるだろう。という事で選んだのが…
ラブホ。
ここならビジネスホテルのように深夜にフロントをたたき起こして空室を尋ねる気遣いは不要。しかも旅館や民宿がないことを考えると、宿はあってもボランティア等が分宿していたりで空室を見つけるのはほぼ不可能でしょう。ここなら空室がある可能性も高いだろう。そう思って検索したのですが、見つけた最寄りのそれは気仙沼市内で、それは無理だろう、とその次に近い施設を探したら…なんとここから30kmも離れた場所でありました…。ようやくそこに到着した頃はすでに11時も廻っていましたが、ああ~やっとお風呂に入れました~。コンビニで買い込んだお弁当とビールでようやくひと心地ついて、大きなベッドでバッタリと眠りました。
翌日…気仙沼市街に入る前に、学校公演の会場となった中学校に行って外からそっと様子を窺ってみると…体育館の外には干されているフトン。校庭には仮設トイレと多くの車両。…明らかに避難所になっていました。やっぱり…と思いながら気仙沼駅の前へ行きましたが、不思議といつもと変わらぬ生活が続いているような、何の異変もないような雰囲気でした。学校公演の際に ぬえたちが泊まった駅前のホテルも営業しているようでしたし(一時は避難所になっていた、という話も聞いていましたが)、食堂も、そうして なんとお土産屋さんまでも営業していました。
もちろん、市内に向かう道ではずうっと対向車線には瓦礫を満載してどこかにそれを捨てに行くのであろうダンプが連なっていましたし、おびただしい数の警察の車両もひっきりなしに走っていました…それも ぬえが目にしたのは京都府警や長崎県警、鳥取、兵庫…およそ日本全国から集まったパトカーの数。ですから物々しい雰囲気もずっとつきまとってはいたのですが…不思議に市内は落ち着いているように見えました。
…あの道路の角を曲がるまでは。
しかし海沿いの道は、そのまま つまり、津波の被害を受けた地域であるわけですし、そのためかどうなのか、時折見かける道の駅やコンビニエンスストアのほかには商店というものもほとんどなく、まして民宿なんて、走っても走っても まったく見かけません。もちろん道がすべて海に面しているわけではなく、時には山道になり、時には海からだいぶ隔たりながら、だったので、宿への期待はふくらんだのですが…
もう真っ暗闇の中をひたすら走っていましたが… いきなり周囲にヘッドライトで照らされたところだけ、がらんと開けた様子が見える場所に出ました。道もそれまでの山道の曲がりくねった道ではなく、直角に曲がる道路で…あきらかにこれは市街地なのです…が、何もない…。まさか…と思ってカーナビの表示を見ると、そこは南三陸町の中心地の志津川でした。ああ、そんな…。そうしているうちに突然、暗闇の中から巨大な崩れかけたビルが目の前に迫ってきました。恐ろしい光景に呆然として、早々にそこを走り過ぎることに…しかしこのあたりは、川か谷に沿って、相当内陸の方まで津波が入り込んだらしく、しばらく走っても被害を受けた家屋がずっと続いているようでした…
気仙沼に近づくと、崩れた橋が鉄板を組み立てる仮設式の橋に替えられていたり、凹凸が激しい道にはあちこちと迂回路が設けてあったりと、復旧に向けた努力の跡が目に見えて増えてきました。しかし、もう市内に入ろうというのに、とうとう民宿も1軒も見つからず…時間はすでに午後10時を廻ろうとしていて、ぬえは困り果ててしまいました。ああ、こんな事なら石巻に近い場所にあった入浴施設つきの道の駅でお風呂に入るべきだった…石巻の避難所で一日清掃をしていたので 汗まみれの ぬえ…とうとう意を決してカーナビで検索。
をを…ここなら多分泊まれるだろう。という事で選んだのが…
ラブホ。
ここならビジネスホテルのように深夜にフロントをたたき起こして空室を尋ねる気遣いは不要。しかも旅館や民宿がないことを考えると、宿はあってもボランティア等が分宿していたりで空室を見つけるのはほぼ不可能でしょう。ここなら空室がある可能性も高いだろう。そう思って検索したのですが、見つけた最寄りのそれは気仙沼市内で、それは無理だろう、とその次に近い施設を探したら…なんとここから30kmも離れた場所でありました…。ようやくそこに到着した頃はすでに11時も廻っていましたが、ああ~やっとお風呂に入れました~。コンビニで買い込んだお弁当とビールでようやくひと心地ついて、大きなベッドでバッタリと眠りました。
翌日…気仙沼市街に入る前に、学校公演の会場となった中学校に行って外からそっと様子を窺ってみると…体育館の外には干されているフトン。校庭には仮設トイレと多くの車両。…明らかに避難所になっていました。やっぱり…と思いながら気仙沼駅の前へ行きましたが、不思議といつもと変わらぬ生活が続いているような、何の異変もないような雰囲気でした。学校公演の際に ぬえたちが泊まった駅前のホテルも営業しているようでしたし(一時は避難所になっていた、という話も聞いていましたが)、食堂も、そうして なんとお土産屋さんまでも営業していました。
もちろん、市内に向かう道ではずうっと対向車線には瓦礫を満載してどこかにそれを捨てに行くのであろうダンプが連なっていましたし、おびただしい数の警察の車両もひっきりなしに走っていました…それも ぬえが目にしたのは京都府警や長崎県警、鳥取、兵庫…およそ日本全国から集まったパトカーの数。ですから物々しい雰囲気もずっとつきまとってはいたのですが…不思議に市内は落ち着いているように見えました。
…あの道路の角を曲がるまでは。