ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

石巻の被災地の現状

2011-07-13 22:43:44 | 能楽の心と癒しプロジェクト
※先日石巻の避難所でお世話になったテノール歌手の小栗慎介さんから写真の使用許可を頂きましたので、前回の記事に画像を追加しました。

…これまであまり被災状況を撮った写真などはこのブログでは載せていなかったのですが、やはり未曾有の災害…ぬえが見たところ、日本にとって有史以来 最大・最悪の災害を肌で感じ、目に焼き付けることは無意味ではないかも。今回は少々、そういう厳しい画像をご紹介致しましょう。

トップ画像は今回 ぬえが最もショックを受けた石巻市・門脇(かどのわき)地区の門脇小学校の焼け焦げた有様。この地区は海から1kmばかり入ったこの小学校までほぼ平坦で、そのすぐ裏手にそびえる崖…で「日和山(ひよりやま)」と区分けされる地形なのですが、この崖の上と下では被災の明暗がくっきりと分かれてしまいました。



小学校が焼け焦げてしまったのは、避難して来られた方々の車が津波で日和山の崖…すなわち小学校の校舎に次々と打ち寄せられ、それらが火災を起こしてしまった、という事らしいです。…じつは今日、師家で事務局の方とこの旅行の話をしていたのですが、その方のお母様? が石巻のご出身だとかで、「日和山に上りましたか?」と問われて絶句… そこから海まではずっと、壊滅状態だったのです。

…それでも ぬえの心が少し安堵したのは、意外やこの小学校の児童のほとんどは無事だったのだそうです。すぐ背後の日和山に避難する訓練が行き届いていたのでしょうか。それでも小学校の正面玄関には花束と線香が供えられていました…

石巻では瓦礫もだいぶ撤去されていて、被災した地区はがらんと広けた光景になっていました。



被災直後の石巻の記録

しかし大きな建物など、撤去に重機が必要なものは まだまだいくつも取り残されています。こちらは水産食品加工工場のシンボルだった、缶詰の形を模した貯蔵タンク。広い道路の真ん中に、その巨大な姿を晒したままです…。このあたりでは信号機も被害を受け、警察官がずっと交通整理をしていました。





ちょっと離れて、こちらは奥松島のあたり。こちらはほとんど瓦礫が片づけられていません。ぬえの印象では、市街地のそばから順次、片づけが進んでいるようでした。やはり経済活動が再開した都市部から、その活動範囲を拡大していく、という方法が採られているのでしょうか。



ぬえは石巻では避難所でのコンサートで心が温まる体験をしましたが、またこうした厳しい状況も目にしました。明友館のリーダー・千葉恵弘さんからも「支援は今後数年に渡って必要でしょう」という言葉を伺い、ぬえの印象でも原状回復まで数年は掛かると感じ、また他方、被災地の方の声として「復興までは15年必要」という言葉もあるのだとか。一時の関心が時とともに薄れてしまわないようにしなければなりませんね。

ぬえも先日、再び明友館にわずかばかりの野菜を送ったのですが…ぬえの財力じゃ、なんだか情けないような支援です。師家や能楽師の友人とも相談して、もっと大きな支援にしたいのですが…

…さて話は戻って、コンサートに飛び入り参加したあと、ぬえは汗みどろのまま着替えた洋服のまま石巻の小学校をあとにして、一路 もうひとつの学校公演の会場であった中学校がある気仙沼に向かったわけですが、出発したのはもう夜も8時になろうという頃。

はあ~、石巻から気仙沼までは80km以上も離れているのね…それを知ったのは出発してからでした。ぬえ、ものごとを知らなさすぎ。昼間の避難所の掃除の疲れで、こりゃあ、途中で眠ってしまうんじゃないか、と心配しましたが、ともかく先を急ぐことにしました。