ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

避難所でボランティア(その3)…避難所で舞囃子を舞ってきました

2011-07-08 16:52:40 | 能楽の心と癒しプロジェクト
床掃除をしているうちに次第に避難されておられる方々ともうち解けてきて、何となく会話をしたり、笑顔で挨拶したり。

この頃から床掃除だけでなくて、廊下にある共用の品…ちょっと荷物を置くデスクとかスツールとかも拭いておりましたが。…ところが 小さなテーブルを拭いていたら おじいさんが歩み寄ってきて「ああ、お掃除ありがとうねえ…そのテーブル…持ってっちゃうの…?(・_・、)」…きれいに拭いているのを、よそで使うための作業だと思われたようでした。「は?…いいえ、持っていきません。みなさんのまわりをキレイにしようと思って…」「ああ、そうですか…ありがとう…(O.;)」…小さなテーブルで、共用の品であっても、何というか限られた生活であってみれば立派な「財産」のようなものなのでしょう…ご心配掛けて申し訳ありませんでした…

結局 ぬえは7時間掛けて避難所となっている小学校の1階と2階の廊下を拭き上げました。夕方、ちょっと息抜きに校舎の外に出ると…さきほどまではなかったスコップが…そう、数十本以上も玄関の前に立てかけられています。ああ、暑いさなかの昼間に瓦礫の撤去や泥の掻きだしに出ておられたボランティアの方がいつの間にか戻られたのでしょう。屋内で掃除をしているだけの ぬえさえ汗だくでしたから、外で作業をされた方は本当に大変だったと思います。それも毎日、この作業を続けておられるのですから…ぬえにはとても真似のできないこと…頭が下がります。

さて、ぬえの掃除もいよいよ終わりに近づき、2階の端の「音楽室」の前を拭いているとき、どうも催し物の準備をしている雰囲気に気づきました。そういえば 掃除をしている最中にも時折「今日はコンサートが…」というような会話が耳に入ってはおりました。そこで恐る恐る、その準備をしている方に聞いてみると、この方は小栗慎介さんといって、まだ若いけれどテノール歌手なのだそうで、なるほどこれから避難しておられる方々のためにボランティアでミニ・コンサートを開かれるのだそうです。

あとで知ったことですが、この方は避難所を廻ってこのようなコンサートで慰問することをもってボランティア活動とされておられるのですね。なるほど~、その手があったかあ…掃除も大切ですけれども、能楽師としては避難所を慰問する、というのが正しいボランティアだったかなあ、なんて、ようやく思いました。どこまでも 何もわかっていない ぬえ…(・_・、)

で、この時は この小栗さんに ぬえの素性をお話しして、その前座として(?)、飛び入りで ぬえも参加させて頂けないか伺ってみましたところ、ふたつ返事で どうぞどうぞ、と仰って頂き、すぐに着替え。一応 着物と扇、それに録音した音源とアンプは持参していましたが、開演まであと10分という…。掃除で汗まみれになったままですぐに着物に着替えて、三々五々とお客さんも30名ほど集まってくださり、そうしてミニ・コンサートは開演となりました。

小栗さんがこの日のメイン・プログラムで、ぬえは飛び入りですから冒頭にちょっと時間を頂き、舞囃子の『高砂』を披露しました。みなさん、昼間からずうっと床掃除をしていた ぬえが突然着物に着替えて現れたので驚かれたようでしたが、最初に ぬえが能楽師であって、石巻と気仙沼の小中学校で学校公演をしたいきさつから震災後に心のトゲが抜けず、ちょうどスケジュールが空いた今になって飛び出すように東京を発って来ました、と事情を説明すると納得されたご様子。

『高砂』は、扇は天井から下がる何本もの「ハエ取りリボン」をかき分けるようにして、足の運びは教壇の段差を上がったり下りたりしながら、と ちょっと工夫が必要でしたが、これが大喝采を頂き、それじゃあ、と、みなさんで『高砂』の待謡のサワリを謡って頂きましたが、これも避難所でふだんは大きな声を出していないみなさんには刺激だったようです。大きな声を出して、笑って。ぬえも「団体生活の中では難しいかもしれませんが、どこか場所を見つけて大声を出されると健康のためにも良いですよ~」と申し上げて舞台を下りました。

すぐにまた洋服に着替えて、小栗さんのステージを拝見。同じくボランティアのピアノ伴奏を相手に30分ほど、美しい歌声を披露してくださいました。終演後は再び ぬえも混じってお客さまと握手をしたり、しばしの交歓がありました。ぬえも「もっと聞かせてほしい」「アンコールを見たかったわ」などと激励を受けて…これは忘れ得ない思い出となりました。ぬえも ついつい「また来ますから!」なんて答えましたが…それは簡単ではないけれども、今はまた、すぐにでもあの避難所に戻りたい気持ちで一杯です。

こうして一日限り、ボランティアとはとても呼べないような下働きのお手伝いをして、もう夜も8時近くではありましたが、ぬえは一路 もうひとつの目的地・気仙沼へと走り出したのでした。

【おまけ】湊小学校(避難所)で見かけたもの



※ こちらは自転車修理屋さん。道端のような場所でもちゃあんとお店のような構え。



※ 朝から晩まで真っ黒に日焼けして自転車修理など避難所の外の仕事を精力的にこなしていたお兄さん。



※ これはバイクのバッテリーを利用して作った作業灯?兼・廊下灯でしょうか。電力が限られているため、こういう柔軟な発想が素晴らしい。



※ このたびご厚意で ぬえの飛び入り参加を許して頂いた小栗慎介さんのミニ・コンサートの様子。後日メールでこのような「慰問ボランティア」をなさった経緯などを教えて頂きました。どこまでも感謝です!