1階の掃除が終わって2階へ。こちらは避難者の居住スペースです。避難されている方々とどうやって接したらいいのか、ちょっと緊張しながら掃除を始めました。
…それにしても、ハエの多いこと。そこらじゅう、至る所にハエが飛んでいます。天井からはいくつものハエ取りテープが下がり、そこにもハエがいっぱい…そういえば明友館でもハエ取りテープは目立っていました。避難所ではハエが原因で窓を開けることもままならず、ぬえが到着したこの日にもようやく窓に蚊帳のような網を張ってハエを防ぐ対策をしていましたが、それでも館内に飛ぶハエの数といったら…ぬえが掃く廊下のゴミも多くはハエの死骸だったりします。
→石巻市 明友館・ハエとの苦闘
衛生面ではまだまだ問題があります。この日はまだ風があったし、暑さもさすがに東京より多少はマシかな? というわけで、窓を全開にしなくても なんとか生活はできる感じでしたが、それでも掃除している ぬえは汗まみれで、水をガブガブ飲みながらの作業になりました。水道が通じていてホントによかったあ。…しかし、3ヶ月前…もうそろそろ4ヶ月前になりますか、震災直後はこの小学校も相当にひどい被害を受けていたようで、よくまあここまで復旧したものだと思います。
→湊・旧魚市場周辺の被災状況
→湊小学校 被災時の状況
さて初めてこの2階で避難されておられる方々と挨拶や短く言葉を交わすことになったわけですが、ここに避難されておられるのはご高齢者が多いですね。震災当時1200名おられた避難者もいまは200名ほど。つまりアクティブに動ける若手~壮年の方々は自宅に戻られたり、引っ越しをされたりして、そのような手段がない、いわば弱い立場の方が仮設住宅への入居を待ってここに残っておられるのですね。
ぬえに救いだったのは、一様に明るい笑顔で ぬえに話しかけてくださったこと。廊下で通りかかる度に「ご苦労さま」「ありがとうねえ」とお声を掛けてくださる…それが、同じ方が何度も何度も通りかかる度に、です。ぬえも恐縮して「あ…いえ…お邪魔しております…」なんて言うのが精一杯。
でも…それとなく ぬえの耳に響いてくる 避難されている方々やそこへ面会にやって来られた方々の会話は…
「今は気が張っているけれど、ここを出て生活に安心したらどうなるか…」
「避難所を出て娘夫婦の家にいるんだけど、いつまでも居るわけにもいかないし…」
「そんな弱気なことを言って!寂しいのはみんな一緒だよ」
…やはり皆さんつらい思いをしておられるんです。ぬえはそっとその場から離れるしかありませんでした。
そういえば、この前日に訪れた仙台でも、コンビニなんかに入っていると聞こえてくる店内の会話は「あの地震以来ずっと…」「これからどうやっていくのか…」と、常に震災の話題でした。4ヶ月近くも経っているのに。正直言って、ぬえが被災地を見た感想としては、その被害の規模から言って、おそらく日本の有史以来最大の災害なのではないかと思います。石巻や気仙沼、南三陸の瓦礫をすべて取り除いて、そこに新しく家を建てるところまで…原状復帰までに数年は掛かるのではないか、というのが ぬえが感じた印象ですし、別な方面から気仙沼の人の話として「復興までは15年掛かるだろう」という言葉も聞こえてきました。この日の朝に話を伺った明友館のリーダー・千葉さんからも「支援は数年先まで必要です」というお言葉を聞きました。
この日は避難されておられる方のそばにいたので、写真を撮ることは極力控えていましたが、トップ画像は湊小学校の昇降口。いまは避難所の正面玄関として、様々なインフォメーションや各地から届けられた千羽鶴などが飾られています。
そのすぐ奥には、小学校のすぐ裏にある(やはり半壊状態でしたが)お寺さんから運ばれたのか、仏像が安置されてあり、この仏様に手を合わせる方のお姿も何度も見かけました。
それからこちらは避難所の中枢。「本部」と段ボールに手書きの表示ですが、スタッフの方は精力的に活動されておられました。
…すみません、無人に見えますが、それは避難しておられる方を写さないように、また忙しく立ち働いておられるボランティアの方のそばで手を休めて撮影することのないよう気を遣ったためです…
…それにしても、ハエの多いこと。そこらじゅう、至る所にハエが飛んでいます。天井からはいくつものハエ取りテープが下がり、そこにもハエがいっぱい…そういえば明友館でもハエ取りテープは目立っていました。避難所ではハエが原因で窓を開けることもままならず、ぬえが到着したこの日にもようやく窓に蚊帳のような網を張ってハエを防ぐ対策をしていましたが、それでも館内に飛ぶハエの数といったら…ぬえが掃く廊下のゴミも多くはハエの死骸だったりします。
→石巻市 明友館・ハエとの苦闘
衛生面ではまだまだ問題があります。この日はまだ風があったし、暑さもさすがに東京より多少はマシかな? というわけで、窓を全開にしなくても なんとか生活はできる感じでしたが、それでも掃除している ぬえは汗まみれで、水をガブガブ飲みながらの作業になりました。水道が通じていてホントによかったあ。…しかし、3ヶ月前…もうそろそろ4ヶ月前になりますか、震災直後はこの小学校も相当にひどい被害を受けていたようで、よくまあここまで復旧したものだと思います。
→湊・旧魚市場周辺の被災状況
→湊小学校 被災時の状況
さて初めてこの2階で避難されておられる方々と挨拶や短く言葉を交わすことになったわけですが、ここに避難されておられるのはご高齢者が多いですね。震災当時1200名おられた避難者もいまは200名ほど。つまりアクティブに動ける若手~壮年の方々は自宅に戻られたり、引っ越しをされたりして、そのような手段がない、いわば弱い立場の方が仮設住宅への入居を待ってここに残っておられるのですね。
ぬえに救いだったのは、一様に明るい笑顔で ぬえに話しかけてくださったこと。廊下で通りかかる度に「ご苦労さま」「ありがとうねえ」とお声を掛けてくださる…それが、同じ方が何度も何度も通りかかる度に、です。ぬえも恐縮して「あ…いえ…お邪魔しております…」なんて言うのが精一杯。
でも…それとなく ぬえの耳に響いてくる 避難されている方々やそこへ面会にやって来られた方々の会話は…
「今は気が張っているけれど、ここを出て生活に安心したらどうなるか…」
「避難所を出て娘夫婦の家にいるんだけど、いつまでも居るわけにもいかないし…」
「そんな弱気なことを言って!寂しいのはみんな一緒だよ」
…やはり皆さんつらい思いをしておられるんです。ぬえはそっとその場から離れるしかありませんでした。
そういえば、この前日に訪れた仙台でも、コンビニなんかに入っていると聞こえてくる店内の会話は「あの地震以来ずっと…」「これからどうやっていくのか…」と、常に震災の話題でした。4ヶ月近くも経っているのに。正直言って、ぬえが被災地を見た感想としては、その被害の規模から言って、おそらく日本の有史以来最大の災害なのではないかと思います。石巻や気仙沼、南三陸の瓦礫をすべて取り除いて、そこに新しく家を建てるところまで…原状復帰までに数年は掛かるのではないか、というのが ぬえが感じた印象ですし、別な方面から気仙沼の人の話として「復興までは15年掛かるだろう」という言葉も聞こえてきました。この日の朝に話を伺った明友館のリーダー・千葉さんからも「支援は数年先まで必要です」というお言葉を聞きました。
この日は避難されておられる方のそばにいたので、写真を撮ることは極力控えていましたが、トップ画像は湊小学校の昇降口。いまは避難所の正面玄関として、様々なインフォメーションや各地から届けられた千羽鶴などが飾られています。
そのすぐ奥には、小学校のすぐ裏にある(やはり半壊状態でしたが)お寺さんから運ばれたのか、仏像が安置されてあり、この仏様に手を合わせる方のお姿も何度も見かけました。
それからこちらは避難所の中枢。「本部」と段ボールに手書きの表示ですが、スタッフの方は精力的に活動されておられました。
…すみません、無人に見えますが、それは避難しておられる方を写さないように、また忙しく立ち働いておられるボランティアの方のそばで手を休めて撮影することのないよう気を遣ったためです…