ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

石巻市立 大川小学校

2011-09-02 10:04:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今回はちょっとつらい写真を…

在籍児童の約7割が死亡・行方不明になった石巻市立 大川小学校です。

ぬえ、今回の訪問ではここに偶然たどりつきました。南三陸方面からずっと海岸線を南下してきて女川の方ヘ抜けようと思ったのですが、ある橋に続く道がその直前で通行止めだったので(これは あちこちの道が今でも通行止めなので、特段気にも留めなかった)、はるばると北上川に沿って10km走って次の橋を渡り、さてまた川を下流に向けて走って、ようやくさきほどの通行止めの橋のたもとまで来たのですが…



近づいて気がついた。この橋、津波の被害でしょう、一部が川の中に落ちてしまっています。橋というものは、それが長ければ被災から半年近くが過ぎていても復旧しないものなのですね…と思っていたところに、現在地をカーナビの地図で確かめていたドライバーのTさんが言いました。「ここは…大川小学校の前だね」

大川小学校…その人命被害の大きさで名称は知っていたとはいえ、石巻でも市街地からはずっと離れた こんな所にあったのですね。今回はとくにここを目指していたわけではなかったので、偶然その前を通りかかるとは思いませんでした。

学校の前には献花台が設けられ、そこには地蔵菩薩の像や卒塔婆のほか、被災した子どもたちへ贈られた花や千羽鶴、手紙、ジュース、お菓子などが山と積まれてありました。

石巻市立大川小学校


モダンなデザインの校舎は往時の賑やかな様子が彷彿とされるものでしたが、それがかえって廃墟となった今は痛々しい。

そうして結果論にしかならないけれども、学校が建つ、その立地条件の悪さが気になりました。追波湾から押し寄せた津波は北上川で急に細くなってそこを遡上したわけですが、大川小学校からは川の上流方向にある山に遮られて、新北上大橋のたもとにわずかにある土地を通って避難するより他に道はなかったのです。




(地図はいずれもgoo地図による)

難を逃れたわずかな児童は学校のすぐ脇にある山をよじ登ったのでしょうが、そこは道もなく木が生い茂った急斜面でした。…結果論でしかないけれども、「想定外」というものは現実に起きるのだ、ということが今回の震災でみんなが思ったことだったと思います。それを「万が一」「ひょっとしたら」と考えて「想定内」にできるのかどうか…。想像力の豊かさがこれからは本当に必要になってくるのでしょう。

誰もいなくなってしまった学校。人影の見えない町の残骸。その一方で、生きてゆくために否が応でも日常生活を取り戻してゆく市街。今回はお盆のさなかの訪問だったせいか、重機はひとつも動いておらず、また自衛隊の方々もほぼその姿を見かけませんでした。復興への槌音が聞こえない、それでも6月の訪問よりもずっと瓦礫も片づき、ハエも異臭もずいぶんとやわらいだ、なんとも不思議な光景でありました。蝉の声、波の音を今回は瓦礫ではなく更地の中で静かに聞いた、という感じ。そんな中で避難所では6月と変わらないメンバーでボランティアのみなさんが、それこそ たゆまぬ努力を笑顔で続けておられるのがとっても印象的でした。

いま避難所が次々に閉鎖され、個人の空間である仮設住宅の中に避難者をめぐる状況は閉じていってしまうような気がします。報道ももっぱら原発に傾いて、津波の被災者について伝えられなくなっていくのではないか…? 明友館の千葉恵弘さんがおっしゃっておられたように、家族も家も仕事もなくし、借金だけが残って人生に絶望しておられる方々には数年に渡る支援が必要なのだそうです。そのうえ高齢者や身障者という不利な状況を抱える方まであるいま、災害を風化させないように、細々とではありますが息の長い支援を続けて行ければ、と思っています。