ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

やって参りました! 3度目の石巻市訪問(その1)

2011-09-29 09:16:44 | 能楽の心と癒しプロジェクト
外出しちゃうとネット環境がまるでない ぬえ。この書き込みは石巻市の湊小学校避難所から発信しております~

事前の交渉段階でもいろいろな事を思った ぬえでありました。なんだかいろんな事がありすぎたこの頃。おいおいに、ぬえが考えたこともご報告申し上げたいと思います。

…ともあれ、26日の朝、東京で稽古能を終えたT氏と、それから今回はとくに ぬえが同行をお願いした写真家のY氏と、東京・池袋で待ち合わせて、一路東北地方を目指しました。今回は初めての昼間の走行。毎度高速道路の割引制度をねらって深夜に走行していた ぬえでしたが、今回は「災害等派遣車両証明書」をゲット。せっかく頂いた善意の寄付金が高速代に消えてしまうのはなんとも疑問だった ぬえですが、これでようやく深夜走行の睡魔との戦いから解放され、善意の寄付はそのまま ぬえたちの活動や、余剰金は現地の被災者支援団体に直接お渡しすることができるのです。震災から半年も経って、ぬえがやりたい事にようやく一つの道筋が見えたような気がします。

こうして朝に東京を出発したのですが、まず最初に訪れた石巻に到着したのは夕方でした。最初に明友館の千葉恵弘さんを訪ねて、野菜をお届けしたのですが…、これ新鮮な野菜です。東北に出発する前日、ぬえは伊豆で子ども能のお稽古や、その子どもたちを引き連れて願成就院さまへ参詣に伺ったのですが、この折に 農家の子どもたちのお母さんから寄付を受けた野菜なんです。なんでも「今引っこ抜いてきました」というジャガイモやサツマイモ。キャベツ、にんじん、落花生、タマネギ…。ありがたく頂戴して、急いで持って参りました。伊豆の子どもたちの稽古でも折に触れ、やわらかく被災地の話をしていますが、子どもたちの想いは届けられたような気がします。



さて久しぶりに再会した千葉さんは「先日(ぬえから)頂いた扇…もったいなくて一度袋から出したきり、すぐにしまい込んでしまったんですよ」とのこと。いえ~~~、そんな。ぬえは石巻に滞在中のスケジュールなどをお知らせし、千葉さんも「時間が合うかぎり伺います」と言ってくださったんですが…そうしてとりあえずお別れするその刹那、つい…「尊敬しています」と言ってしまいました。

ご自身も被災者で、震災時に、市の「勤労者余暇活用センター」だった明友館に身を寄せられた身。しかしご自身の交友関係の広さから周囲からの援助の手が差し伸べられ、次第に被災地の状況を発信して、的確に援助と配分のシステムを作り上げられ、今や被災者と援助する方々との中継地点として、石巻市はおろかはるか遠方の被災者にも厚く援助が行き渡るように手を尽くしておられます。千葉さんがいなければ3ヶ月前に初めて被災地を訪れた ぬえは湊小学校という避難所を知らず、そこで同じく まさに献身的な活動を行っておられる「チーム神戸」のみなさんの活躍を知らず、そうして今に至る ぬえの微力な活動もありませんでした。最初は、公演で石巻や気仙沼の小中学校を訪れた、という程度の関わりでしかなかった ぬえは、それでも震災以後心に刺さったトゲが抜けなくて…。 そうして何も当てもないまま6月に当地を訪れた ぬえは、千葉さんのご紹介によって湊小学校避難所の片隅でお手伝いをすることができ、ようやくそのトゲが抜けた…のですが、いや、むしろそのトゲはかえって深く ぬえの心に刺さってしまったかもしれません。ぬえは、何でもっと早くここに来なかったんだろう…(・_・、)

そうして、同じような心にキズを持った能楽師の仲間…囃子方のTさんや狂言方のOくんの協力も得て、8月に2度目の訪問…今度は能楽師としての訪問をし、避難所で住民のみなさんを対象に能楽ワークショップを持つことが実現できました。このときも千葉さんは忙しい合間を縫ってワークショップに参加され…。 ぬえはお礼の意味を込めて扇をプレゼントさせて頂きました。これが今回再会を果たしたこの日に千葉さんがおっしゃった扇のこと。

「尊敬しています」と、つい本音を言ってしまった ぬえですが、千葉さんは「いや、こういう、みなさんのご支援があってこそ、私たちも活動ができるんですよ」と ぬえをねぎらってくださいました。このあと一緒に記念撮影をした ぬえですが…最初にここを訪れた6月には極度の緊張をしていた ぬえ(明友館のサイトの過去の記事に、そのこわばった顔で写った写真が…)。8月には儀礼的に扇を差し上げた程度…でも今回は笑顔でご一緒に写真に収まることができました。

さて明友館を後にした ぬえたちが次に向かったのは湊小学校避難所。じつは今回の旅では一部の日程でこの湊小学校避難所に宿泊させて頂くことになっております。もちろん教室か体育館に雑魚寝。寝袋持参。

あいにくこのとき「チーム神戸」のリーダーである金田真須美さんは外出中で、事務局の無尽さんがおられました。ぬえたちのスケジュールをお話し、この日はご挨拶程度の交流でしたが…彼らは4月に関西からこの湊小学校避難所に入って、避難所の運営の重要な仕事をこなし、そうして…その活動の視野は、なんと来年にまで及んでいるのです。ぞれまでずうっと石巻に在住して支援活動を続けられるのだそうで…スゴ過ぎ。無尽さんとは「石巻が復興を果たしたら、一緒に飲みに行きましょう」と約束を交わして湊小学校避難所を後にしました。

ここで石巻のホテルに宿泊する写真家のY氏をおろして ぬえたちは初日の宿泊地・南三陸町に向かいました。

南三陸町…震災後にはじめて東北に向かった際に深夜に通りかかったとき、あまりの被害の大きさに震撼した ぬえでしたが、なんと今回は歌津のそのまた奥の岬の先端に営業している旅館を見つけたのでした。まさかと思いながら到着してみると、ちゃんと営業しています。もちろん周囲の漁港などの被害は甚大でしたが、この旅館だけが高台に建てられていたため難を逃れ…そうしてこの8月いっぱいまで避難所として使われていたのでした。いまはこの旅館のすぐ隣りに仮設住宅が建てられて、住人さんはそちらに移られたようです。

じつは、宿を東京で予約してからこれらの事実を知った ぬえは、その後宿と連絡を取って、住人さんなどをお相手に能楽の体験教室でもやりましょうか? とご相談したのですが、あいにく近隣の住人さんたち…とくに老人会のみなさんは旅行中とのことでそれは叶わず…。ましてや若い方たちは漁具や港の整備や修理に大活躍中です。

どうしようか、とお宿で相談した ぬえとTさんは、ともかく「能楽の心と癒しを」伝える活動のはじめを、翌朝からはじめることにしました。早朝に起きた ぬえは被災した小さな漁港のあたりを下見して。…地盤が沈下した港は半分海につかったような状態で、早朝から何人もの方が忙しく立ち働いておられました。う~ん良い場所はないかな…。こうして見つけたのが堤防の突端。ここだ…。ぬえたちが能楽の心と癒しを伝える最初の相手は「海」です。公演でもワークショップでもなく、鎮魂…なんて軽々に口にできるほど何もわかっちゃいない ぬえたちですけれども、「祈り」から始めるのが ふさわしい。こうして、宿で紋付に着替えた ぬえたちは、立ち働く方々の邪魔にならないような堤防の突端で舞ってみたのでした。





さて終わってみると…いかにも長く船に乗っておられるような日に焼けてたくましい おじいさんが堤防の先まで歩いてこられて ぬえたちに話しかけました。「それ、能だろ?」

ををっ!? おじいさんは続けて「あっちで作業しでたらよお、なんだあいづらはってみんなで…いや感心してだのさあ。どっがら来たの?」「ほう…東京がらわざわざ? んだら放送さがけたら もっとみんな集まっだのによお」…あ…そういうものなのか…。何やってんだ! と怒られるかと思った ぬえは拍子抜け。喜んで頂けるとは予想もしませんでした。その後 おじいさんの話題は「おれはガラオケうまぐって」「家にガラオケセットあるんだぞ」「おお、写真撮るの? でぎだら送っでや」と、だんだんズレていってしまいましたが…(^◇^;)



こうして南三陸をあとにして石巻へ。写真家のY氏を拾って、前回訪れなかった牡鹿半島の様子を見に行きました。

やはり…半年経っても海沿いの小さな集落は瓦礫の撤去もほとんど手がつけられていません。都市の周辺は来るたびに綺麗になっていくんだけど、その一方で見捨てられているも同然の場所もあるわけで…。それほど被害の範囲が広くて手が回らないことを物語っています。そしてここでも地盤沈下による浸水が目立ちました。

さらに追い打ちを掛けたのが、先日の台風15号による被害です。この日は牡鹿半島を西側から1周して女川へ抜ける予定だったのですが、金華山を望む半島の突端を過ぎて北上する頃から道路に倒木などが目立つようになってきて…そうしてついに土砂崩れで道がふさがれて通行不能となっていました…。

これではどうしようもなく、仕方なく道を引き返して石巻へ帰ることになりました。石巻でここに宿泊するY氏を下ろして、ぬえたちは次の宿泊地である松島へ向かいます。