ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

仮設のトリセツ

2011-12-05 02:27:16 | 能楽の心と癒しプロジェクト
先日までずっと学校公演で、富山や金沢など、ぬえがまだ行ったことのないところもずいぶんと廻らせて頂き、あまつさえ京都では、この紅葉のシーズンに(ほとんど紅葉していなかったけど)4泊もさせて頂きました…のに、ぬえは観光に行ったのはわずか1日…それも会場へ出発する前の2時間程度だけでした…

それというのも、この年末に予定している4度目の東北訪問の準備のために、関係者とメールのやりとりをしていたのです。もう、ずうっと…飽きるぐらい。何通メールを出したかなあ…。そうして、1通のメールを出すと、その返信から2つの解決しなければならない仕事が生まれる。その2つを出すと…仕事は4つに増える。ん~、こんな法則を発見した ぬえに誰か賞状でもくれまへんやろか。(←気分は一応京都人)

今回は、どうも過去最大の公演?となりそうです。訪問先も岩手県の釜石・宮城県の気仙沼、そうして ぬえの第三の故郷となりつつある石巻の三カ所に渡り、能楽の略式上演やワークショップは最大で10回ほどになりそう。前回の9月の訪問では、出発の前日まで催しが1つほどしか確定しておらず、泣きそうな気分であちこちの関係者とコンタクトを取っていたのが、まるで嘘のようです。

これというのも、やっぱり現地で実際に顔を合わせ、相談し、ぬえたちの思いをぶつけてきたからこそ、ですね。とくに石巻は行くたびに顔なじみの方も増えていきましたし、ぬえたちの思いを感じてくださった多くの方と出会うことができました。これは狂言のOくんの力が大きいと思うけれども、各地でとても喜んで頂けたのは望外の幸。これらの方々がまた発信してくださって、今回はあちこちでスムースに出演の機会を与えて頂けるようになったようです。

とはいえ、それら関係者の方々とメールで話し合うたびに、暗く重々しい現実も見えてきます。

まずはボランティア団体などの撤退が段々と現実味を帯びてきたこと。避難所が閉鎖になった10月に、これを契機として支援団体の撤退ラッシュがあったそうです。行政の方針で、それまで避難所で集団で生活していた被災者が仮設住宅の中での「個人」の生活への移行が行われた結果、きめ細かい支援の手が届きにくくなり、またその活動をする民間のボランティア団体の活動拠点が失われたことが大きな要因だと思います。それでも多くの団体は現地で築いた協力者の人脈の中で新たな拠点を見いだして活動を続けているのですが…来年3月の、震災の1周年をひとつの境目として、活動を終える団体もまた多くあるのではないか、との観測がささやかれているそうです。

しかし…食料支援の問題。プライバシーは確保したけれど、これから孤独と向き合っていかなければならない仮設住宅での生活の現実。そうして厳しい、寂しい孤独な気分が募る冬がやってくる…。いま、とっても大切な時期に来ていると思うんです。震災から1年。その期間をずうっと現地に居住してお手伝いをしている若い方々だって、自分の将来を見据えて生活設計をしていかなければならない現実もあります。時々しか現地に足を運ばない ぬえごときがどうこう言うことはできないですが、明友館の千葉恵弘さんが言うように、支援は数年の単位で続けなければならない。その折り合いをどうつけてゆけば良いのか…難しい問題です。

本日 ぬえがご紹介するのは「仮設のトリセツ」。これは中越地震でたくさんの被災者を生み出した新潟県の、新潟大学工学部岩佐研究室さんが、仮設住宅での不便な暮らしを余儀なくされている被災者のために、どうやって快適な生活を送れるかの技術を集めた、73ページにもおよぶ冊子です。

ぬえはこれを今回の東日本大震災の被災者のために献身的な努力を積み重ねているピースボートのサイトで発見しました。ぬえはこれを衝撃を受けて読みました。不自由な暮らしをどうやって快適に変えていくか…まさしく仮設住宅の取扱説明書であるわけですが、その裏側には天災のために破壊され、失われた幸せだった生活があって、それをすべて思い出の中に閉じこめた上で、はじめてこの冊子は意味を持つわけですから…

「仮設のトリセツ」は以下のページでpdfファイルをダウンロードすることができます。。

仮設のトリセツ(新潟大学工学部岩佐研究室)