ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北支援の旅、スタートしました!(その6=気仙沼)

2011-12-31 10:32:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さてさて話はもとに戻りまして、気仙沼に到着したところから。あ、それから ぬえ自身では撮影できない釜石などでの上演の画像が届けられましたので、先日のブログ記事にさかのぼってアップさせて頂きました~

気仙沼で、まずは被災地域を廻り復興の進み具合を定点観測。

あ、定点観測で思い出したが、以前からお知らせしている気仙沼線の陸前小泉駅の周辺。道路の上に走っている線路の、その上に家の屋根が乗ってしまっている衝撃的な光景がずっとそのまま放置されていましたが、ようやく屋根は撤去されていました。



こちらは今年6月に撮影した画像。



で、こちらは8月。ほとんど状態は変わっていません。



あいかわらず陸前小泉駅は更地のままでしたが、聞いた話では気仙沼線の復旧は経費の問題から取りやめとなり、代わりにこの線路の部分をバス専用の車道にするのだそうです。渋滞による遅延のない、電車の代わりとなる正確な交通手段として復活するのですね。

気仙沼では南気仙沼駅のまわりがすさまじい被害があって、気仙沼湾と大川にはさまれて半島のような地形のその地区では、6月の時点では、せいぜい南気仙沼駅から5~600m程度しか先へは進めませんで、あたりは車の残骸だらけ、地盤沈下による浸水がひどい状態でした。その後ここを訪れる度に先へ進めるようになり、なんと今回は初めて川口町・朝日町がある先端部まで車で行くことができました。車の残骸はほとんど撤去されていましたが、さすがにこの先端部ではそのまま。。しかし復興に向けては着実に前進しつつあることを確信することができました。







ここが半島部分の先端部。この左側の海から津波が襲いかかりました。



さて会場となった気仙沼駅前のコミュニティセンターは和室の大広間でステージ付き。これを見た狂言のOくんは携帯式の柱と橋掛リセットを持ち出します。ああ、こういう物を器用に作る能楽師はありますね。簡易に能舞台を再現する方法。お客さまにもイメージを作りやすい。ぬえも作ろうかなあ。

上演曲は狂言「柿山伏」と能「羽衣」。お客さまは少なかったのですが、こういう活動は人数の多少は問題ではありません。。あれ? 見れば子どもたちも混じって。。これは今回 ぬえらのプロジェクトの活動を受け入れてくださった地元の子どもミュージカル劇団「気仙沼 うを座」の団員さんですね。この子たちには翌日ワークショップを行う予定になっています。事前の宣伝活動はあまり広く行われていなかったようですが、それでも新聞に催しの予告記事が載り、これを見てお出でになってくださった方もありました。あとで聞いた話では能の美しさに惹き込まれて「帰りたくないなあ」とおっしゃって下さった方があったとか。過分なお言葉です~



終演後は うを座の座長さんたちに連れられて、近くの居酒屋へ。ここも仮設店舗でしたが、絶品のおでんやお刺身を頂きました! そう。。何年か前に学校公演で気仙沼に伺ったときは、鰹のあまりの美味しさにびっくりしたもので、今回の気仙沼での上演が決まったときも うを座の関係者に「鰹!鰹!」と騒いだのですが、あいにく鰹漁はすでに時期が終わったそうで。。

ま、食べ物はともかく、気仙沼と石巻での学校公演が ぬえの活動のきっかけでした。あの子どもたちはいまどうしているかなあ。。と震災後にずっと考えていて、そうして石巻での活動が始まったのでした。その意味で ぬえにとって気仙沼はどうしても訪れたかった土地です。いや、6月から何度も訪れてはいるのですが、知っている人がなく、ただ呆然と変わり果てた町並みを眺めるばかり。。今回、偶然にも東京の「演劇倶楽部 座」とお近づきになり、その代表である壌晴彦さんが気仙沼の うを座に指導に来られている関係で、壌さんのお計らいで気仙沼での上演が実現しました。ぬえにとっては ようやく訪れることができた、という感慨でいっぱい。

そうして今回初めてプロジェクトに同行してくれたワキのNくんも、ぬえと同じ学校公演で石巻と気仙沼を訪れていました。彼も今回は気仙沼での公演があると聞いてぜひ同行したいと申し出てくれたのです。年内に気仙沼を訪れることができて本当によかった。

トップ画像は、宿泊場所として提供頂いた町会施設の前での記念撮影。プロジェクトメンバーが全員写っている集合写真はこれだけです。こういうのはヒマを見つけてパッと撮らないと、ついつい撮影するのを忘れてしまいますね~~

東北支援の旅、スタートしました!(その5=頂いた勲章)

2011-12-31 01:00:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼でのお話の順番ではありますが、今日はあまりにも嬉しいことがあったので、まずそのご報告をさせて頂きます!

いま滞在しているのは石巻2日目なわけですが、この日の最初の公演会場は、ぬえが6月以来ずっとお世話になっているボランティア団体「チーム神戸」の新オフィスでした。新オフィスというわけは、震災直後に湊小学校を拠点として活動を続けていた「チーム神戸」でしたが、10月に湊小学校はじめすべての避難所が解消になって、活動の拠点を失ったのでした。この機会に多くのボランティア団体が撤退してしまったそうですが。。「チーム神戸」は近所の「内海歯科医院」から、被災した住居の提供を受けて、以来ここを拠点として活動を続けているのです。

さて ぬえたち能楽師一行は、この新拠点「チーム神戸ふれあいサロン」の、遅ればせながら開所祝いのつもりで公演をさせて頂くことになりました。もちろん近所の住人さんたちをお客さまとしてお招きしてのイベントです。そのうえ、以前おこのブログでもご紹介させて頂いた、曹洞宗庄内青年会の渡辺さんがわざわざ ぬえのお招きに応えてくださって、山形県からお越しになり、車いっぱいにお茶やコーヒー、お菓子、玉こんにゃく(←絶品)、はりはり漬けを持参してお客さまにサービスしてくださいました。



ぬえたちは到着してすぐに開所祝いとして居囃子「高砂」を演じて新オフィスの多幸をお祈りし、さて公演では能「菊慈童」を上演しましたが、お客さまもも大勢お見えになって大にぎわいでした。



終演後は「羽衣」の装束を着付けてあげました~。モデルはこの日がお誕生日の和子さん!おワキのNくんも装束の着付けに参加して。。お内裏さ~まとお雛さま~。



そうして。。

すべてが終わり、次の公演地である仮設住宅の集会所に移動しようとしたそのとき、リーダー金田真須美さんから、「何度もここに足を運んでくれてありがとう。これは住人さんみんなからの気持ちや」と言って ぬえに手渡されたもの。それは。。

この日集まってくださった住人さんからの 寄せ書き でした。。



これはには参った。。マジ泣きそうでした。

これまで何度も石巻の湊小学校やその周辺には来たけれども、そのたびに住人さんの温かさに触れてきた ぬえでした。6月に湊小学校避難所を掃除していたときに、廊下を通りかかる度に「ありがとね」「どっから来たの?」と挨拶してくれた おばあちゃん。8月には装束の着付けを実演して見せたら「暑いだろう?」とパンフレットで扇いでくれた住人さん。9月には終演後に「今日はありがとね。あなたには幸せが来るよ」と言ってくれた おばあちゃん。。最初は自分の心に刺さったトゲを抜くために東北地方に来た ぬえでしたが、来るたびに逆に住人さんに励まされているみたい。。被災地支援のつもりの活動でしたが、いつのまにか、正直、またあの町に行きたい、あの住人さんたちに会いたい、という気持ちで石巻・湊地区に来るようになってきたように思います。これを聞いた金田さんも「それでいいんやで」と、これまた ぬえを励ましてくださいました。

がしかし、形のある「モノ」を住人さんから頂いたのはこれが初めてでした。たった半年、たった4回しか当地に来ていない ぬえなのに。。本当にありがたく、これは初めて ぬえたち「能楽の心と癒しプロジェクト」が頂いた勲章です。

ああ!ダメじゃん。またここに来たくなっちゃうじゃない~~(>_<)ヽ
こうして。。涙をこらえながら「行ってきま~~す!」と挨拶して湊地区を後にした ぬえでした。