ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北支援の旅、スタートしました!(その3=釜石・宝来館での上演と鵜住神社奉納)

2011-12-28 00:38:22 | 能楽の心と癒しプロジェクト
夕方遅くに到着した岩手県・釜石市の旅館「宝来館」。ここは鵜住居(うのすまい)という地区になります。「宝来館」は海水浴場にもなっている美しい浜辺に面していて、やはり津波で甚大な被害を受けました。このときの様子は Youtubeなどでも配信されていますが、ぬえはその動画…泣き叫びながら裏山に避難する人々、そのあとに押し寄せる津波の映像を見て驚愕しましたが、まさかここであるとは知りませんでした。



豪華な夕食を頂きながら女将さんとそのお嬢さんとお話をしましたが、それはそれは大変な有様だったそうです。まずは女将さんご自身が、お客さまを誘導しているうちに波に呑まれたのだそう(!)。そのときの話がすごかったです。水の中で女将さんは、頭上に自分の旅館のバスが流れていくのを見たのだそうです。もうダメかと思ったとき、瓦礫だと思って手を伸ばしたところにあったのが旅館の身内の人の手だったのだとか。そうして命をつないだのですね。。しかし旅館は津波によって2階までが被害を受け、しばらくは4階で暮らしていましたが、旅館ゆえに食糧なども備蓄があり、近所の住人さんを受け入れて避難所となったり、食糧を配るなどの活動をされていたそうです。

さて ぬえは翌朝近くを歩いてみましたが、海水浴場だった砂浜はすでに姿を消していました。近所はもう誰も住んでいないこの土地で、それでも女将さんたちは旅館の再建を志して、ついに来年1月5日にオープンにこぎ着けたのだそうです。この日はプレオープンとして能楽の上演が企画されたのですが、これは、ずっと釜石を支援している横浜の団体「海をつくる会」の計らいによって ぬえたちがお呼ばれに預かった、という形になります。「海をつくる会」はダイバーの市民団体で、海や湖に潜って清掃活動をしたり、汚れた海の再生のための行動をしたりしておられます。

この日の夕方、ぬえたちは「三番三」と能「羽衣」を演じました。まだ完全ではないとはいえほぼ改修がなった旅館を踏みしめ、そこに幸福をもたらす、という意味を込めてあります。余談ですがこの日NHKと民放の取材が来ていました。民放の方は みのもんたさんの「朝ズバ!」の取材で、もうずっと「宝来館」を密着取材しているのですって。来年1月5日の正式オープンの際にはその様子が生中継されるされるそうで、その中で ちょっとだけ ぬえたちの上演の模様も放映されるかも、ということでした。そのときは「能楽の心と癒しプロジェクト」という団体名を流してね~、とスタッフさんにお願いしておきました。

ところでこの日は女将さんにも急遽レクチャーして、「羽衣」の後見として出演頂いたのですが、終演後のご挨拶が感動的でした。「再建した旅館を三番三でしっかりと踏みしめて固めて頂き、羽衣はみなさんの魂を天に届けて頂いた、と思っております。お空にいる方も、海にいる方も。。幸せが届けられたと思います」 …震災から9ヶ月を過ぎて、いろいろな思いがあってはじめて出るお言葉だと思います。涙なくしては聞けないお言葉でした。



話は前後しますが、この日の朝は ぬえと笛のTさんと二人で鵜住居地区の「鵜住神社(うのすみじんじゃ)」に奉納に出かけました。ぬえもいろいろな事を考えて、今回の上演では幸せを呼ぶ曲ばかりを用意してきたのですが、このたびの上演曲は舞囃子の「高砂」でした。お祓いを受けてから拝殿で舞わせて頂けたのはありがたいことでした。また初めて訪れた釜石の街で、最初に土地の神様の前でご挨拶できたことも ぬえの気持ちとして大変うれしいことでした。



…ところが、終演後に社務所で休憩していると、次々に近所の方が正月の用意に神棚や床の間を飾る注連縄などを求めにいらっしゃいました。そのとき、訪れる方々が誰もみな一様に震災のときの話しを、雑談のようにされていくのですね。これがまた ぬえは絶句するようなことばかり。。「私らはみいんな、逃げろ、というから訳もわからずに山さ登って、それで助かったんだよ。だから津波は見てねえの。でも○○さんのじいさんは、位牌があるから、って家に戻って。。あれから見つかねえのさ。○○さんのところは、大きな家だから2階なら大丈夫だろう、って思ったんだろうね。家ごと流されちまって。…うちも小さな子、3年生の子を預かってんの。お母さんはやっぱり亡くなってしまって。お父さんは北上の方で運転手してるんだって。だから一人ぼっちになってしまって。かわいそうでねえ。。」

この鵜住神社も、近所の人々が避難してきて、高いところにあるために大勢の命を救った神社でありました。神主さんはやはり神社にいたため難を逃れましたが、お住まいは下の道路に面してあったため、流されてしまったそうです。






再びこの土地に幸せが訪れますように。。

追伸:そうこうしているうちに、このあと2つの公演を行いました。今 ぬえがいるのは気仙沼です。。ご報告がだんだんと後回しになってしまっています~。あと、今日 陸前高田にいたときに東京からメンバーに画像が届いたのですが、上記の釜石・宝来館での「羽衣」が読売新聞の全国版にカラー写真入りで掲載されたようです!