ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

東北支援の旅、スタートしました!(その12=石巻・支援する人々)

2012-01-15 03:20:12 | 能楽の心と癒しプロジェクト
石巻駅前での公演を終えて、急いでスーパー銭湯「元気の湯」で入浴。。ほとんど15分くらいで上がって。。ああ、これで700円かいっ、と思いながら石巻駅前へ戻り、翌日からの公演の斡旋をしてくださったF氏、A氏と飲みに行きました。

F氏は9月に門脇中学校避難所で公演をした際に ぬえたちを受け入れてくれた方。ご本人も被災者で、当時はその門脇中学校の避難所にご両親と一緒に住んでおられ、今はまた仮設住宅にお住まいです。こんな関係から、今回はF氏が住んでおられる仮設開成団地(仮設住宅)で公演をさせて頂けることになりました。

しかもF氏は、あの、焼けてしまった門脇小学校の卒業生なのだそうです。思えば門脇小の子どもたち(地震のときはいち早く避難して被害は皆無)が間借りして授業を続けているのがこの門脇中で、そのうえ門脇中の体育館は避難所になっていました。ひとつの学校が中学校と小学校、そして避難所としての役割も担っていたのです。F氏はそんな中で自然と避難所のリーダーとなり、住民さんの支援や、ぬえのような慰問活動の交通整理などに八面六臂の大活躍をするようになりました。10月11日に石巻市の方針で避難所はすべて解消となり、F氏も仮設開成団地に移りましたが、その後も石巻市の住民のために、街を建て直すために尽力しておられます。この日はいろいろな話を聞かせて頂きました。今の仮設住宅の現状、ボランティアの現状。。いずれも問題や課題の多い話ばかりです。3月11日に震災1周年を迎えると、ボランティアもほとんど撤退してしまうことが予想されるので、その後どうやって支援活動を続けていくのか。。これは ぬえの課題でもあるのですが。。

12月30日、石巻3日目。

日が明けてこの日は「チーム神戸」の新事務所「ふれあいサロン」での公演がありました。「チーム神戸」は名前の通り神戸のボランティア団体です。17年前の阪神淡路大震災のあとに、神戸への支援のお返しとして、また同じような大きな災害が起こった時に迅速に支援に駆けつけるために結成されたいくつかのボランティア団体の混成チーム、ということで、母体は「すたあと長田」という、神戸の震災でも甚大な被害を受けた長田地区で結成された団体。

ぬえは6月にひとりで湊小で掃除のボランティアをしたときから、この「チーム神戸」に受け入れて頂きお世話になりました。それ以来、「チーム神戸」の斡旋で8月と9月に湊小で能楽の慰問公演を行い、その度に、石巻の実情や問題点などをいろいろ教えて頂きました。リーダーの金田真須美さんは ぬえの恩人の一人です。

スゴイのは、金田さんは震災直後からずうっと石巻に滞在して支援活動を続けていること。大きなボランティア団体はいくつもあって、それらでは中心メンバー以外は短期間当地に滞在して支援活動をし、交代要員とバトンタッチをして去る、というのが通例です。それぞれのボランティアさんにも生活がありますからこれは当然ですが、中心メンバーはずっと石巻に留まって、行政と相談しながら復興支援をしたり、短期ボランティアや ぬえのような慰問ボランティアの交通整理をしたりしているのです。最初は水道も電気も復旧しておらず、遺体捜索からこの地の支援に携わり続けている。。この活動を知ったときは ぬえも衝撃を受けました。あとで聞いたことですが、神戸では阪神大震災のあと、人員の面でも資金の面でも、こうしたボランティア団体を支援する体勢がしっかりと作られたのだそうです。備えがあるから憂いがない。。言ってしまうのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。。

そうして金田さんは震災直後に石巻に入って、津波の被害を受けて学校としての活動を停止、避難所となった湊小を拠点に活動を続けておられました。そこで ぬえもお世話になり、避難所での活動もご支援頂いたわけです。

ところが10月11日に石巻市の方針によりすべての避難所は解消となり、チーム神戸も拠点の移転を余儀なくされました。金田さんは地元の「内海歯科」さんのご厚意によって津波の被害を受けて営業停止となった医院の建物を借りて、ここを新しい拠点として現在も支援活動を続けておられます。





ぬえらはこの新・事務所での公演を金田さんにお願いし、金田さんも快諾。こうしてこの日の公演となりました。

そうそう、1月17日(火)に「NHKスペシャル」で「阪神・淡路大震災 東北復興を支えたい」という番組が放送されるようです。ひょっとすると「チーム神戸」も取り上げられるのかも。ぬえは「チーム神戸」とともに大晦日までお付き合いし、除夜の鐘を撞くところまでご一緒しましたが、取材チームもありましたから、ぬえも写っているかなあ。

東北支援の旅、スタートしました!(その11=石巻2日目)

2012-01-15 01:08:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
12月29日、市内を見て廻ったあと宿舎に戻ってみるとワキのNくんも笛のTさんも起床していました。前夜にコンビニで買った弁当で朝食を済ませて、この日初めて石巻に来たNくんのために、さきほど見て廻ったばかりの被災地区をみんなで見に行きました。昨日気仙沼で大規模な被害の実態を初めて目にしたNくんは「これ…(東京に帰って)説明しても誰も信じてくれないかもしれませんね…」と言っていたNくんも、石巻で門脇小や「木の屋水産」の鯨肉の缶詰のタンクがいまだに放置されている有様を見て、やはり言葉少なになっていました。

さて今日の公演地は以前にもお邪魔させて頂いた蛇田の「イオンモール石巻」(以前は「イオン石巻ショッピングセンター」という名でしたがこの秋に改称されました)。要するにショッピングセンターで、能楽の公演には相応しくないと思う向きもあるかと思います。が、今回の震災では直接津波の被害が及んだ地域だけでなく石巻という場所そのもの。。大きな意味で市民みなさんが傷ついたのですよね。それは東京にいた ぬえも同じことでした。市民のみなさんに元気になってほしい。そういう思いで、前回 ぬえはここでの公演に応募したのでした。そうしたら。。公演当日のお客さまの中に、あの大川小学校で孫を亡くした、という婦人がいらして、開演前にわざわざ名乗ってくださったのでした。これを聞いた ぬえは絶句。このご婦人は「わざわざ東京から…ありがとね」とおっしゃって下さったのでした。(・_・、) 会場を提供してくださったイオンさんでも、最初は「能…ですか?」と不思議そうに受け入れてくださったのですが、終演後は喜んで頂いたようで、それが今回の再演につながりました。



ここではダイジェスト版ではありましたが『松風』を演じました。今回の活動ではこの時だけの上演曲ですが…愛する人を待ち続けるこの曲のシテの姿は、この土地でどのように感じられるのか。。という逡巡もありました。ぬえとしては、それでもどうしても演じたかった曲ではあるのです。この曲の本質は、人を信じて、愛して、疑わないその純真でありましょう。その姿は儚く悲しい…けれども限りなく美しいです。そうしてそれを描く、あまりにも高い能としての完成度。ぬえはこの曲は能の最高峰のひとつなんじゃないかな、とさえ思っています。世阿弥はこの曲について「亡父曲」と書き遺しましたが、ぬえはずっと疑問に思っていました。ある時ドナルド・キーン先生がテレビの能楽講座で「本人は否定しているが、これは世阿弥の作品です」と断言されているのを聞いて、ようやく胸の支えがおりました。ロマンチックでテーマが平易。わかりやすい表現で、どこまでも人間を信じている…ぬえが世阿弥に持つイメージはそういうもので、それは文体によく表れていると思います。

愛する人を待つその一途さ。。この曲に描かれるその心こそ美しいのであって、それは石巻の人々への賛歌にさえ、ぬえには思えるのです。…それで、ぬえはこの曲を石巻で演じることによって、ここに生きる人々の心を「肯定」したい、と…ちょっと自分の気持ちを表すのは難しいですが、そういう念願を持っているのですよね。。今回に限らず、いつの日か石巻の人々が喪失感ばかりでなく、自分を信じて「肯定」できるようになりますように。。

この日、微妙に決まっていなかった、この日のもう一つの公演…夕方の公演のお話が流れてしまいました。それでは、というので、以前にも飛び込みで出演のお願いをして、お許し頂いた石巻駅前の「ロマン海遊21」…正式には「石巻市観光物産情報センター」、つまり観光協会が入居しているツーリスト・インフォメーション兼お土産屋さんにまたしても飛び込みで「今日上演させてくださ~い」とお願いに参りました。ををっ、観光協会の方は ぬえたちを覚えていてくださって、歓迎して頂きました~(^^)V イオンさんと同じくこちらも前回出演のお願いをした時は半信半疑、という感じでしたが、終演後にとても喜んでくださって、再演につながりました。やはり能はなかなか一般に知られている芸能ではないのですが、見て頂ければその魅力は分かって頂けると思います。

上演が決まったことで早速、これも前回 ぬえたちの活動の宣伝をお願いした地元FM局「ラジオ石巻」にも情報を流して、夕方に『菊慈童』を上演。あいにくの雨で通りがかった人も少なかったのは残念でした。前回もやはり駅前にはほとんど人がいなかったのですが、開演すると あれよあれよと人が集まり、最後には20人くらいの方に見て頂いたのではないかと思います。…が、今は冬。そこに雨が降ったのでは、どうにも条件が悪かったですね。それでも観光協会の方々は熱心にご覧になっていてくださいました。



終演後、観光協会の方と親しく話をさせて頂きましたが、震災直後の大変な有様は今でも ぬえの心を打ちます。…そういえば、岩手、宮城と廻ってきた今回の旅ですが、当地の方々は…今でもずうっと、あの日…3月11日の話題をしています。話しぶりの深刻ささえ薄らいできたものの、あの日の体験は心の中にずっと響いているのですね…ちなみに ぬえはこのあと仮設住宅で、もっと深い心のキズを垣間見てしまうのですが…