石巻駅前での公演を終えて、急いでスーパー銭湯「元気の湯」で入浴。。ほとんど15分くらいで上がって。。ああ、これで700円かいっ、と思いながら石巻駅前へ戻り、翌日からの公演の斡旋をしてくださったF氏、A氏と飲みに行きました。
F氏は9月に門脇中学校避難所で公演をした際に ぬえたちを受け入れてくれた方。ご本人も被災者で、当時はその門脇中学校の避難所にご両親と一緒に住んでおられ、今はまた仮設住宅にお住まいです。こんな関係から、今回はF氏が住んでおられる仮設開成団地(仮設住宅)で公演をさせて頂けることになりました。
しかもF氏は、あの、焼けてしまった門脇小学校の卒業生なのだそうです。思えば門脇小の子どもたち(地震のときはいち早く避難して被害は皆無)が間借りして授業を続けているのがこの門脇中で、そのうえ門脇中の体育館は避難所になっていました。ひとつの学校が中学校と小学校、そして避難所としての役割も担っていたのです。F氏はそんな中で自然と避難所のリーダーとなり、住民さんの支援や、ぬえのような慰問活動の交通整理などに八面六臂の大活躍をするようになりました。10月11日に石巻市の方針で避難所はすべて解消となり、F氏も仮設開成団地に移りましたが、その後も石巻市の住民のために、街を建て直すために尽力しておられます。この日はいろいろな話を聞かせて頂きました。今の仮設住宅の現状、ボランティアの現状。。いずれも問題や課題の多い話ばかりです。3月11日に震災1周年を迎えると、ボランティアもほとんど撤退してしまうことが予想されるので、その後どうやって支援活動を続けていくのか。。これは ぬえの課題でもあるのですが。。
12月30日、石巻3日目。
日が明けてこの日は「チーム神戸」の新事務所「ふれあいサロン」での公演がありました。「チーム神戸」は名前の通り神戸のボランティア団体です。17年前の阪神淡路大震災のあとに、神戸への支援のお返しとして、また同じような大きな災害が起こった時に迅速に支援に駆けつけるために結成されたいくつかのボランティア団体の混成チーム、ということで、母体は「すたあと長田」という、神戸の震災でも甚大な被害を受けた長田地区で結成された団体。
ぬえは6月にひとりで湊小で掃除のボランティアをしたときから、この「チーム神戸」に受け入れて頂きお世話になりました。それ以来、「チーム神戸」の斡旋で8月と9月に湊小で能楽の慰問公演を行い、その度に、石巻の実情や問題点などをいろいろ教えて頂きました。リーダーの金田真須美さんは ぬえの恩人の一人です。
スゴイのは、金田さんは震災直後からずうっと石巻に滞在して支援活動を続けていること。大きなボランティア団体はいくつもあって、それらでは中心メンバー以外は短期間当地に滞在して支援活動をし、交代要員とバトンタッチをして去る、というのが通例です。それぞれのボランティアさんにも生活がありますからこれは当然ですが、中心メンバーはずっと石巻に留まって、行政と相談しながら復興支援をしたり、短期ボランティアや ぬえのような慰問ボランティアの交通整理をしたりしているのです。最初は水道も電気も復旧しておらず、遺体捜索からこの地の支援に携わり続けている。。この活動を知ったときは ぬえも衝撃を受けました。あとで聞いたことですが、神戸では阪神大震災のあと、人員の面でも資金の面でも、こうしたボランティア団体を支援する体勢がしっかりと作られたのだそうです。備えがあるから憂いがない。。言ってしまうのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。。
そうして金田さんは震災直後に石巻に入って、津波の被害を受けて学校としての活動を停止、避難所となった湊小を拠点に活動を続けておられました。そこで ぬえもお世話になり、避難所での活動もご支援頂いたわけです。
ところが10月11日に石巻市の方針によりすべての避難所は解消となり、チーム神戸も拠点の移転を余儀なくされました。金田さんは地元の「内海歯科」さんのご厚意によって津波の被害を受けて営業停止となった医院の建物を借りて、ここを新しい拠点として現在も支援活動を続けておられます。
ぬえらはこの新・事務所での公演を金田さんにお願いし、金田さんも快諾。こうしてこの日の公演となりました。
そうそう、1月17日(火)に「NHKスペシャル」で「阪神・淡路大震災 東北復興を支えたい」という番組が放送されるようです。ひょっとすると「チーム神戸」も取り上げられるのかも。ぬえは「チーム神戸」とともに大晦日までお付き合いし、除夜の鐘を撞くところまでご一緒しましたが、取材チームもありましたから、ぬえも写っているかなあ。
F氏は9月に門脇中学校避難所で公演をした際に ぬえたちを受け入れてくれた方。ご本人も被災者で、当時はその門脇中学校の避難所にご両親と一緒に住んでおられ、今はまた仮設住宅にお住まいです。こんな関係から、今回はF氏が住んでおられる仮設開成団地(仮設住宅)で公演をさせて頂けることになりました。
しかもF氏は、あの、焼けてしまった門脇小学校の卒業生なのだそうです。思えば門脇小の子どもたち(地震のときはいち早く避難して被害は皆無)が間借りして授業を続けているのがこの門脇中で、そのうえ門脇中の体育館は避難所になっていました。ひとつの学校が中学校と小学校、そして避難所としての役割も担っていたのです。F氏はそんな中で自然と避難所のリーダーとなり、住民さんの支援や、ぬえのような慰問活動の交通整理などに八面六臂の大活躍をするようになりました。10月11日に石巻市の方針で避難所はすべて解消となり、F氏も仮設開成団地に移りましたが、その後も石巻市の住民のために、街を建て直すために尽力しておられます。この日はいろいろな話を聞かせて頂きました。今の仮設住宅の現状、ボランティアの現状。。いずれも問題や課題の多い話ばかりです。3月11日に震災1周年を迎えると、ボランティアもほとんど撤退してしまうことが予想されるので、その後どうやって支援活動を続けていくのか。。これは ぬえの課題でもあるのですが。。
12月30日、石巻3日目。
日が明けてこの日は「チーム神戸」の新事務所「ふれあいサロン」での公演がありました。「チーム神戸」は名前の通り神戸のボランティア団体です。17年前の阪神淡路大震災のあとに、神戸への支援のお返しとして、また同じような大きな災害が起こった時に迅速に支援に駆けつけるために結成されたいくつかのボランティア団体の混成チーム、ということで、母体は「すたあと長田」という、神戸の震災でも甚大な被害を受けた長田地区で結成された団体。
ぬえは6月にひとりで湊小で掃除のボランティアをしたときから、この「チーム神戸」に受け入れて頂きお世話になりました。それ以来、「チーム神戸」の斡旋で8月と9月に湊小で能楽の慰問公演を行い、その度に、石巻の実情や問題点などをいろいろ教えて頂きました。リーダーの金田真須美さんは ぬえの恩人の一人です。
スゴイのは、金田さんは震災直後からずうっと石巻に滞在して支援活動を続けていること。大きなボランティア団体はいくつもあって、それらでは中心メンバー以外は短期間当地に滞在して支援活動をし、交代要員とバトンタッチをして去る、というのが通例です。それぞれのボランティアさんにも生活がありますからこれは当然ですが、中心メンバーはずっと石巻に留まって、行政と相談しながら復興支援をしたり、短期ボランティアや ぬえのような慰問ボランティアの交通整理をしたりしているのです。最初は水道も電気も復旧しておらず、遺体捜索からこの地の支援に携わり続けている。。この活動を知ったときは ぬえも衝撃を受けました。あとで聞いたことですが、神戸では阪神大震災のあと、人員の面でも資金の面でも、こうしたボランティア団体を支援する体勢がしっかりと作られたのだそうです。備えがあるから憂いがない。。言ってしまうのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。。
そうして金田さんは震災直後に石巻に入って、津波の被害を受けて学校としての活動を停止、避難所となった湊小を拠点に活動を続けておられました。そこで ぬえもお世話になり、避難所での活動もご支援頂いたわけです。
ところが10月11日に石巻市の方針によりすべての避難所は解消となり、チーム神戸も拠点の移転を余儀なくされました。金田さんは地元の「内海歯科」さんのご厚意によって津波の被害を受けて営業停止となった医院の建物を借りて、ここを新しい拠点として現在も支援活動を続けておられます。
ぬえらはこの新・事務所での公演を金田さんにお願いし、金田さんも快諾。こうしてこの日の公演となりました。
そうそう、1月17日(火)に「NHKスペシャル」で「阪神・淡路大震災 東北復興を支えたい」という番組が放送されるようです。ひょっとすると「チーム神戸」も取り上げられるのかも。ぬえは「チーム神戸」とともに大晦日までお付き合いし、除夜の鐘を撞くところまでご一緒しましたが、取材チームもありましたから、ぬえも写っているかなあ。