ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その15…女川~気仙沼。。国道45号線沿いに)

2012-10-03 01:55:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
女川町の仮設にお住まいのエノキのおばあちゃんにお別れをし、静岡県伊豆の国市の「子ども創作能」のママさんたちからお預かりして集会所に寄贈する予定だった支援物資も、ちょうどこの日は町の担当者の方が不在だったためエノキさんにお預けして、この町を後にして、次の活動地・気仙沼に向かいました。

しかし。。教えられた仮設住宅から女川町の中心部までの近道は。。女川町の「がれき置き場」を通るルートでした。知らなかった。女川町の様子は昨年の夏から見ていますが、だんだんとキレイに片づけられていく被災地域ばかりが目につき、石巻のような大きな がれき置き場は見ませんでしたが、それは中心部からは小山を回り込んだところにまとめられて延々とどこまでも積み上げられていたのでした。。それはあまりに恐ろしい光景で、何の前ぶれもなく突然、死のにおいが充満した中に放り出されたような印象を受けました。。おばあちゃんに会って和らいだ気持ちが一気にしぼんでしまいました。いま、がれきの引き取り処分が全国で拒否されて問題になったりしていますが、女川町が前に進んでいくために、この がれきの山は解消されなければならないと思います。



さて女川町から北上して、雄勝町を通り、北上川を渡って北上町を過ぎると、南三陸町に入ります。石巻方面から気仙沼~岩手県沿岸部の陸前高田や大船渡やに至るにはこの海沿いを通るのが最短ルートで、そこを走る国道45号線は、もう何度往復したことか。そうして、この国道45号線も、JR気仙沼線も、1年半前の津波でどちらもズタズタに寸断されてしまったのでした。国道は災害復旧。。というよりはむしろ被災地への救援の手を届かせるために、震災直後から自衛隊が道を切り開き、やがて砂利道はアスファルトに舗装し直され、仮設の橋も次第に体裁が整うように変わってきました。

それでもJR気仙沼線は、いつまでも無惨な姿をさらしています。風光明媚な海岸線を車窓から楽しむことができるように考えられたのか、路線のあちこちは高架橋で、それらは津波被害でことごとく落橋しています。

こちらは駅舎ごと流されて跡形もなくなった気仙沼市の陸前小泉駅跡。



リアス地形のためトンネルも多く、その複雑な地形に合わせて造られた路線であるために、復旧には莫大な費用がかかるであろうことも容易に想像がつきます。費用対効果を考えるとき、復旧が実現できるかについても議論があるところでしょう。

現実を直視すれば、東日本大震災で被災した地域の多くは、もともと過疎化・高齢化に悩んでいたのです。それが震災による津波により住宅地も産業基盤も、インフラを含めて壊滅的に破壊され、そのうえ原発事故の影響もあって人口流出が加速しているのですよね。。復旧に向けて議論はいろいろあるでしょうが、それでも当地で活動を続ける ぬえの思いとしては、このまま見捨ててしまって良いはずはないのです。可能性を取捨選択し、多少の縮小はあっても、漁業があり、また観光で賑わう三陸地域であってほしいと願っています。

さてトップ画像は南三陸町の中心部、志津川の防災対策庁舎。テレビや新聞の報道で何度も紹介された場所で、南三陸町の被害の象徴となっています。志津川も何度も訪れてはいますが、なぜかこの建物の前に立ったのは今回が初めての ぬえ。献花台が設けられ、人々が集まって、思い思いに手を合わせ、写真を撮っていました。南三陸町ではこの建物の保存の是非について意見が分かれ、とりあえず? 撤去は10月までは延期になったとか。

。。難しい問題ですね。ぬえは人的被害のあった建物を無惨な被害をそのまま晒し続けるのはどうか、と思っています。現実として人口の減少があり、また地盤沈下の問題もあって、震災前の状態にまで漁業などの産業や商店街、住宅地が復興できない可能性がある事を思えば、なおさら負の遺産ばかりが目立つのは町のためにどうなのか、とも思います。原爆の被害に遭いながら、負の遺産の保存と産業の発展とのバランスが取れている広島のようになれるのなら良いのでしょうが。。

やがて気仙沼に到着。まずは宿舎となる島田呉服店さんにご挨拶して、すぐそばの上演会場である南町紫市場に向かいました。