ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第9次支援活動<雄勝町・気仙沼>(その21…気仙沼大島への道)

2012-10-18 01:52:59 | 能楽の心と癒しプロジェクト
気仙沼大島。これが2度目の訪問になりますね~。前回はGWの頃で。。到着したら嵐がやってきました。本当は海底清掃ボランティア・横浜の「海をつくる会」の活動に合わせて、安全祈願と浜の浄化を願って浜辺で能を上演して、その能を鑑賞した「海をつくる会」のメンバーはそのまま潜水してゆく、という、おそらく能楽界でも初の試み。。いや、最初で最後であろう上演の予定だったのですけれども、あいにくの荒天でして。。海も濁っているし、なにより潮流が活動には危険なので中止になりまして、「海会」のみなさんは牡蠣の養殖のための設備の修復をお手伝いすることになって、大島にそびえる亀山の頂上の土を土嚢に詰めて運ぶ重労働をされていました。海に潜れなかったので登山か。。

ぬえもこの浜辺での上演を大変楽しみにしていましたので少しガッカリ。。つか、このときの活動は笛のTさんのコーディネートによるもので、Tさんは「海会」のメンバーで潜水ボランティアでもあるわけなのです。ええと、晴天で予定通り海底清掃活動が行われていれば ぬえは上演後、「海会」のみなさんに「行ってらっしゃ~い。活動お気を付けて~」と手を振って、すぐに近くの旅館かどこか、控室に戻って自力で装束を脱いで片づけて、「海会」のみなさんが戻られるのを待てばいいんですよね。

…このへん、あまりそこまで詳しくは打ち合わせしていなかったのですが、すると本当ならTさんは。。浜辺で ぬえと一緒に能を上演するはず、ですよね? …するとそこはTさんは紋付姿ですよねえ? で? それから海に潜水して? 紋付で? いやいや、まさかそれはないだろう。。そりゃ、ウェットスーツに決まってる。そりゃそうです。ウェットスーツで笛を吹いてから…いやいやいやいやいやいや、そうじゃない。能は紋付で。それで紋付姿で笛を吹いてから、おもむろに海へ…いやいやいやいやいやいやいやいや。。 本当はどういう段取りだったんだろう?

ともあれ、その時は能の上演は旅館で行うことになりまして。でもその後漁協の人たちから「焼き牡蠣」をふるまわれまして、その美味しいことといったら! 景色の美しさ、人の素晴らしさ、大島での活動は ぬえにとって忘れ得ぬものとなりました。

こうして3ヶ月が過ぎ、ぬえたちは再び大島にやってきました。今回は「大島浦の浜花火大会」の当日の能の上演なのです!しかも今度は見事に晴天で、亀山の美しい山容を眺め、今回の受け入れをしてくださった地元の商店会の菅原さんにもご挨拶して。ところが、花火大会の関係者からは「とても能を上演する雰囲気ではないのです、菅原さんにも無理だ、と言ったのですが。。」と消極的なお言葉。くわしく伺ってみると、案の定、というか、舞台も何もない、浜には(本当はフェリーも着岸する港なのですが、規模や、津波で損壊して土嚢を並べて海との境界をかろうじて確保しているような状態では、浜辺、と呼んだ方が似つかわしい現状でした。。)船も着くし、そのときは車も人も行き交うから、とても能を見る雰囲気ではない、という、ぬえたちに対しての遠慮でした。

軽く受け流して「大丈夫ですよ! ここで上演します」と宣言して、港のアスファルトの上に上演場所を指定して、音響や照明の確保をお願いして、再び菅原さんと打合せに、フェリー乗り場の前で1軒だけ営業している仮設の商店「グリーンアイランドおおしま」へ。夜の花火大会の上演の様子がわかったところで、この日の最初の活動として、これも前回お邪魔した「大島神社」への奉納に向かいました。

…が、もうひとつ ぬえには今回の大島訪問では、島内の各地の状況を視察したい、という希望がありました。ぬえたちプロジェクトのメンバーは合計で車3台で気仙沼には入っているのですが、種々の事情でそれらは3台とも本土の駐車場に置いてきていました。島内では地元の関係者の送迎がなくてはどこにも行けない有様。。

その事を菅原さんに相談したところ「じゃ、うちの車を自由に使ってください」と、軽自動車を ぬえに貸してくださいました(!) おお、ラッキー。

…でもありませんでした。。急勾配の坂道の多いこの大島で、マニュアルの軽自動車! 運転は得意の ぬえですがマニュアル車なんて運転するのは何年ぶりだろう。。しかもエアコンは効かないわ、なによりもってこのニオイが…

笛のTさんとワキのNくんは菅原さん運転の車で亀山山腹の大島神社に向かいましたが、ぬえと太鼓のOくんは「うをぉぉぉぉぉ」と冷や汗と怒号をほとばしらせながら大島神社に向かいました。