さて「チーム神戸」の新事務所では、湊小学校(元避難所)で行われる3.11の追悼集会の準備が着々と進行していました。が、ぬえはそれに構わず(笑)夕食を頂きに、近所のおなじみさんの「東助」へ~。
ボランティアとして石巻に来て、あるいは継続して支援活動をしている方、あるいはそのまま石巻に住み着いて住民となった方。。いろいろな友人が石巻にはいるのですが、その動静などを「東助」の奥さまから伺ったり、湊小が避難所だった頃にここで暮らしていた方もお客さまも見えていて、懐かしい話をしたり。そういえば湊小避難所は映画にもなりました。ぬえはまだ拝見していないのですが。。「東助」にもその映画のチラシが貼ってあって、それを見ながら住民さんが「この人、いま毎日パチンコしかやってないんだよぉ」なんて話していました。
それにしても「東助」さんの焼き鳥は絶品! この日 ぬえは焼き鳥丼をお願いしたのですが、お客さまはみ~んな普段からお酒のおつまみに焼き鳥を頼んでいるばかりだったので、焼き鳥丼が出来上がると「あ~!このニオイだったのか~」「うまそ~」と声ごえに。。 あげないよ~~~~んん
さて食後に「チーム神戸」事務所に戻ってみると、リーダーの金田さんと遙くんは まだ作業中でした。ようやく ぬえもお手伝いに参加。このときは小学生が描いた絵をフレームに取りつける作業でした。「チーム神戸」では同じ震災の被害を受けた神戸と石巻の子どもたちの絵をそれぞれの街で展示するなどの活動もしていて、3.11の追悼集会では会場に石巻の子どもたちの絵を飾り付ける計画なのだそうです。
それどころか、今回は石巻の南浜地区。。もう被災地の象徴、というか観光地のようになってしまった焼けただれた門脇小学校のある門脇地区のおとなりですが、そこにある、これまた被災地の象徴となっている「がんばろう! 石巻」の大看板の前と、それから渡波保育所。。こちらも震災時の避難所となった場所で生まれた住民ボランティア団体「チームわたほい」と、この2カ所と連携しての追悼集会になるそうで、それぞれの場所にも子どもたちの絵を飾るのだそうです。
こうして絵をフレームに取りつける作業を3人で始めましたが、終了したのは午前3時。。翌朝、まだみなさんお休みの中、睡眠障害の ぬえだけはプロジェクトの最初の活動地である気仙沼に向けて出発。
【3月8日(金)】
朝に門脇地区を見ました。聞いた話では、門脇小の前までのわずかな土地だけを残して、そこから海側の地域は居住が禁止されるそうで、被災家屋ばかりか、すでに土地を掘り起こして建物のコンクリートの土台撤去も進んでいる、ということでしたが、実際には日本製紙の巨大な工場がある南浜地区のほんの少しの部分だけが、コンクリートの土台もない更地になっていた程度でした。。石巻市立病院の看護士宿舎の建物がなくなっていたのが印象的でしたが、日本製紙とは反対側の北上川が海に注ぐあたりにある市立病院の周囲などは まだまだ建物も残っていました。
こうして石巻を出発して気仙沼に向かいましたが、今回は珍しく内陸の道を通ったので、志津川や歌津、大谷など、ずっと見続けてきた地域は見ないままに進みました。
やがて到着したのは、翌々日に上演をさせて頂く予定になっている気仙沼市の階上地区にある地福寺さんです。
ボランティアとして石巻に来て、あるいは継続して支援活動をしている方、あるいはそのまま石巻に住み着いて住民となった方。。いろいろな友人が石巻にはいるのですが、その動静などを「東助」の奥さまから伺ったり、湊小が避難所だった頃にここで暮らしていた方もお客さまも見えていて、懐かしい話をしたり。そういえば湊小避難所は映画にもなりました。ぬえはまだ拝見していないのですが。。「東助」にもその映画のチラシが貼ってあって、それを見ながら住民さんが「この人、いま毎日パチンコしかやってないんだよぉ」なんて話していました。
それにしても「東助」さんの焼き鳥は絶品! この日 ぬえは焼き鳥丼をお願いしたのですが、お客さまはみ~んな普段からお酒のおつまみに焼き鳥を頼んでいるばかりだったので、焼き鳥丼が出来上がると「あ~!このニオイだったのか~」「うまそ~」と声ごえに。。 あげないよ~~~~んん
さて食後に「チーム神戸」事務所に戻ってみると、リーダーの金田さんと遙くんは まだ作業中でした。ようやく ぬえもお手伝いに参加。このときは小学生が描いた絵をフレームに取りつける作業でした。「チーム神戸」では同じ震災の被害を受けた神戸と石巻の子どもたちの絵をそれぞれの街で展示するなどの活動もしていて、3.11の追悼集会では会場に石巻の子どもたちの絵を飾り付ける計画なのだそうです。
それどころか、今回は石巻の南浜地区。。もう被災地の象徴、というか観光地のようになってしまった焼けただれた門脇小学校のある門脇地区のおとなりですが、そこにある、これまた被災地の象徴となっている「がんばろう! 石巻」の大看板の前と、それから渡波保育所。。こちらも震災時の避難所となった場所で生まれた住民ボランティア団体「チームわたほい」と、この2カ所と連携しての追悼集会になるそうで、それぞれの場所にも子どもたちの絵を飾るのだそうです。
こうして絵をフレームに取りつける作業を3人で始めましたが、終了したのは午前3時。。翌朝、まだみなさんお休みの中、睡眠障害の ぬえだけはプロジェクトの最初の活動地である気仙沼に向けて出発。
【3月8日(金)】
朝に門脇地区を見ました。聞いた話では、門脇小の前までのわずかな土地だけを残して、そこから海側の地域は居住が禁止されるそうで、被災家屋ばかりか、すでに土地を掘り起こして建物のコンクリートの土台撤去も進んでいる、ということでしたが、実際には日本製紙の巨大な工場がある南浜地区のほんの少しの部分だけが、コンクリートの土台もない更地になっていた程度でした。。石巻市立病院の看護士宿舎の建物がなくなっていたのが印象的でしたが、日本製紙とは反対側の北上川が海に注ぐあたりにある市立病院の周囲などは まだまだ建物も残っていました。
こうして石巻を出発して気仙沼に向かいましたが、今回は珍しく内陸の道を通ったので、志津川や歌津、大谷など、ずっと見続けてきた地域は見ないままに進みました。
やがて到着したのは、翌々日に上演をさせて頂く予定になっている気仙沼市の階上地区にある地福寺さんです。