ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第14次支援活動<気仙沼>(その9)~BRT乗ってみました

2013-07-03 10:04:20 | 能楽の心と癒しプロジェクト
鹿折復幸マルシェにてポスターを張っていると、小野寺商店の奥さんが「鹿折の仮設住宅にも貼っておきましょうか?」とご親切に声を掛けてくださり、少しお話しをさせて頂きました。こちらで活動しておられる増島清人さんのこと、秋にこちらの近くに学校公演でお邪魔する予定になっていること。。

さて、ポスターも貼り終わったところで、これから仙台に向かう事にしました。この日、再び仙台発の夜行バスで東京に帰ることになっていたからです。時間は午後3時。。気仙沼からはおよそ130km離れた仙台にちゃんとたどり着けるのか。。? いや、列車の乗り換えなどは詳細に調べてあるので間に合うはずなんですが、ここまで離れたところにいると、やっぱり不安ですね~

で、今回の旅のもうひとつの楽しみが、BRT方式で再開された気仙沼線のバスに乗ってみることでした。BRTは「バス・ラピッド・トランジット」の略称で「バス高速輸送システム」というものだそうです。気仙沼を通る鉄道には一関駅から気仙沼駅を通って大船渡までを結ぶJR大船渡線(曲がりくねった路線全体の形から「ドラゴンレール」の愛称で親しまれています)と、気仙沼駅を始発として石巻の前谷地駅を結ぶJR気仙沼線がありますが、このどちらもが沿岸部の区間が津波による被害を受けて運休しています。普通となった区間はバスの運用などで代替輸送が行われていましたが、運休区間は陸橋が橋脚ごと破壊されるなど、復旧には長い時間が必要のようです。そこで、まだ使用に耐える線路部分をアスファルト舗装してバス専用道路とする形で、渋滞のない正確な時刻で運行を行う、バスによる路線の再開となったのでした。

BRTはあくまで鉄道路線の再開までの間の暫定的な運用、だそうですが。。現実には鉄道のレールを再び敷設するための掛かる莫大な費用と、それに対する利用客数との問題があって、鉄道の再開は難しいのではないか。。という観測もあります。。

それから、前述のように沿岸部の区間には陸橋が崩落していたりでバス専用の舗装道路としても復旧が不可能な場所が相当にあって、気仙沼線の場合もBRTは専用道路を通る区間と、鉄路と平行して走る幹線道路である国道45号線を一般車とともに走る区間とが複雑に混じり合っています。

ぬえは鹿折から路線バスでまずは気仙沼駅に行き、そこからBRTで柳津駅まで出て、柳津から前谷地まではわずかに残った気仙沼線の鉄道の区間を通り、直通運転によって乗り換えなしでそのまま小牛田へ。そこから東北本線で仙台へ出る、という計画でした。気仙沼から仙台に出るのは大船渡線で一関まで出て、そこから新幹線などで仙台に向かうのが一般的ではありますが、いつも車を利用している ぬえとしましては、一度BRTにも乗ってみよう、というワケで、こちらの経路を使ってみることに。

え~、じつは鹿折からの路線バスで行き先を間違えまして、バスは化粧坂をくだって東浜街道の方ヘ行ってしまったので、本町橋を越えたところであわててバスを降りまして、気仙沼駅のとなりの「不動の沢駅」からBRTに乗ることになりました。

こちらが不動の沢駅の駅舎。おされなバス停、って感じでしょうか。





やがてBRTのバスが到着。気仙沼駅~不動の沢駅間は専用路線のようですが、ここから一般道を走ります。。不動の沢駅の次が南気仙沼駅で、その付近は壊滅してしまったので。。新しい南気仙沼駅は、東浜街道の市民病院のそばに造られていました。こういう市街地の幹線道路では駅舎を建てるわけにもいかず、標識ひとつと雨よけの屋根がある程度の、まさにバス停、と呼ぶべきものでしたが。



BRT専用道と一般道との境目。一般車が専用道に進入しないよう道路は目立つ色になっています。よく見ると専用道の先には使われなくなった線路がそのまま残されていました。



車内から見た専用道の様子。かつての線路を小道が横切る箇所には踏切があったり、なかったり。。



もともとJR気仙沼線は単線だったので、専用道も1車線分しかありませんで、バスがすれ違うための待避所がところどころに設けられています。



せっかくなので ぬえは地図を片手にバスがどの経路で走るのか調べてみました。それによれば、気仙沼駅~(専用道)~不動の沢駅~(一般道)~松岩駅~(専用道)~陸前階上駅~(一般道)~小金沢駅~(専用道)~本吉駅~(一般道)~陸前港駅~(専用道)~歌津駅~(一般道)~柳津駅。。という感じ。BRT専用道がいかに部分的にしか開通していないことがよくわかりますね。ぬえがBRT気仙沼線を利用したこのレポートは今年の5月末のことですが、専用道は少しずつ整備されて、次々に開通しているようでしたから、今はまた様子が違うかもしれません。

こちらは陸前階上駅。このあたりは線路も駅舎も被害を受けていませんが、BRT化に合わせて線路は撤去されて舗装されました。駅舎はそのまま残されていますのでなんだか不思議な光景ですね。



こちら階上駅のすぐ先の「岩井崎踏切」。



じつはここを通ったほんの2ヶ月半前に、ぬえは車でここを通っていました。その時はまだBRT道路の建設中で、踏切もそのまま残っていたのです。いかに急ピッチで専用道の建設が進んでいるかがよくわかります。



車窓から見た陸前小泉駅は。。廃墟のようになっていました。。



陸前港駅を過ぎてBRTは南三陸町に入ります。ここでバスは鉄道のトンネルに!



単線の鉄路の狭いトンネルの中を走るのはなんだか窮屈で不気味。。



トンネルを抜けると歌津駅に到着します。やはり高台にあった駅舎は無事でしたが、いまは下を走る幹線道路の国道45号線の周辺が仮設商店街があったりする中心地になるので、BRT路線はここから急降下して一般道へ。駅の駐車場だった場所? に駅舎がありました。





歌津駅のそばにはかろうじて原形を留める「ウタちゃんはし」の上に、やはり鯉のぼりが翻っていました。



「ウタちゃん」は10年以上前にここを流れる伊里前川(いさとまえがわ)に現れたアザラシのニックネームだそうです。歌津といえば「歌津魚竜」の方が有名ですよね。海岸沿いで発見された化石のことで、発見現場は保存されて国の天然記念物となり、「歌津魚竜館」が建てられて様々な化石標本が展示されていたそうですが、やはり津波の被害を受けて閉館となりました。もっとも多くの標本は流されずに残り、東北大学が中心となって保全が行われているそうです。

南三陸町に入って歌津駅を過ぎると、清水浜駅がコンビニの駐車場の中にあったり、町役場の仮庁舎が置かれている総合体育館の前に臨時駅「ベイサイドアリーナ駅」が新設されていたり、志津川駅が被災地区から仮設商店街や学校がある少し奥の場所に移動されていたり、といろいろ工夫がされていました。

車窓から見たベイサイドアリーナ駅。奥の総合体育館が南三陸町役場の仮庁舎として使われています。



防災庁舎。こちらも取り壊しをするか保存するか、意見が分かれています。



そうして移転された「志津川駅」に到着。おされな駅舎。



ここで一旦バスを降りて「さんさん商店街」を見てみることにしました。