ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第14次支援活動<気仙沼>(その10)~南三陸町「さんさん商店街」

2013-07-06 03:25:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【決算報告書訂正のお詫びとご報告】

まずはご報告です。この3月の第13次活動の「決算報告書」につきまして、間違いが発見されましたので、お詫びして訂正させて頂きます。

当該の報告文面のうち「・今回は「石巻市立女子高等学校卒業生還暦を祝う会」さまのご支援によりプロジェクトの活動資金を賄うことができた。しかし銀行口座への募金はすでに皆無に近いであり、今後も厳しい活動状況が予想される。あらためてみなさまに資金的援助をお願い申し上げる次第である。」という表現は、この時の活動のものではなく、去る2012年10月の第10次活動の報告文が紛れ込んだものでした。

この文章を「・今回はJIN'S PROJECTさまおよび「THE BODY SHOP」さまのご支援によりプロジェクトの活動資金を賄うことができた。しかし今後も息長い支援活動を続けてゆくために、引き続き変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。」に訂正させて頂きます。

報告書の作成にはテンプレート書式を作って、それを加筆訂正して新たな報告書を作っていますもので、つい過去の報告文を見落として、そのまま掲載してしまいました。金額の訂正など報告書の根幹に関わる重大な訂正ではありませんが、みなさまから募金を頂戴して活動している以上、活動・決算報告書は公文書として細心の注意を払って作成していたつもりでしたが、つい見直しが安易になってしまったようです。お詫びして訂正させて頂きます(当ブログ内の→当該記事もすでに修正させて頂きました)。

さて仙台に戻る途中、南三陸町のBRT「志津川駅」で下車して「さんさん商店街」を見てきました。

何人か、今でもこちらの仮設商店街や南三陸町に継続して支援しているボランティア団体さんも知っていますが、なぜか ぬえたちのプロジェクトでは南三陸町で活動したことがほとんどありません。一番大きい理由は、やはり当地に知っている方がいないこと。。それでも過去にはボランティアセンターさんに飛び込みで電話を掛けて活動の受け入れをお願いした町もあって、そこでは良い関係を築くことが出来て、今でも活動を続けさせて頂いているのですが。。なぜ ぬえたちは南三陸町では活動していないのかしらん。。

これは、ひとつには南三陸町では割と手厚くボランティアさんの手が入っていた。。少なくとも ぬえにはそういう印象だったので、「新参者」として、何となく入って行くのに気後れしてしまったのかもしれません。。変な話ですが、今回の震災では、あまりに広範囲に被害があったために、支援の手が差し伸べられるにも地域によって遅速や規模に大きな差があったのです。女川町で会ったボランティアさんは、震災直後のGWの話として、「石巻には3,000人のボランティアがいたそうですが、その時ここには30人しかいませんでした」と苦笑しておられました。釜石市の鵜住居町で震災の年の年末に伺った話でも「釜石市街やとなりの大槌町にはボランティアさんも取材もあるのだけれど、ここはその間にスポッと抜け落ちて誰もやって来ないんですよ」という声も。石巻市の中でも、たとえばガレキ撤去の進捗を見ても、中心部や被害の大きかった門脇町や南浜町は比較的早かったけれども、北上川をはさんだ湊地区や、まして渡波地区などは いつまで経っても同じような景色のまま放置されていたように思います。

それでも ぬえたちは一度だけ、南三陸町の泊浜で活動しました。それも震災の半年後の夏に。なんとその時期にネットで予約できる南三陸町の宿が1軒だけ、ある日突然アップされまして、その時の活動の目的地はまったく別の町だったのだけれども、ちょっと遠回りしてこの泊浜の宿に泊めて頂く事にしたのです。

このとき、宿に連絡して「付近で活動させて頂きたい」と相談したのですがあいにく条件が揃わず。。それでせめてもの活動として、宿泊した翌朝に早起きして、笛のTさんとともに漁港の堤防の突端に出向いて、二人だけで海に向かって舞囃子を奉納したのでした。これは なかなか面白い展開もあった活動だったので、ご興味のある方は→こちらの報告をご参照ください。

そんなワケで、南三陸町でもいつか本格的な活動をしてみたいな。。と思っていた ぬえなのですが、じつは、これも笛のTさんの交友関係から広がった話ですが、最近になって、南三陸町や、お隣の登米市でも活動が始められる見込みが出てきまして、この日は ぬえにはまだあまり情報もなくて手探りの状態ではありましたが、南三陸町の現状を知る手がかりになれば、と思って、とりあえず「さんさん商店街」さんを見ておくことにしたのでした。

で、初めて訪れた(!)「さんさん商店街」さんなのですが、何というか、勢いを感じました。被災した海辺から離れて建てられた商店街。。これが これまで ぬえが訪れる機会がなかった原因なのですが、とは言っても南三陸町ではかなり内陸まで津波の被害があった町なので、この商店街の周囲にも被害の爪痕は残っているのですが。。それでもこの商店街の前にBRTの「志津川駅」が立派な駅舎?として造られ、飲食店では「キラキラ丼」など名物料理を一丸となってメニューに並べ、鮮魚店や海産物店では威勢の良い売り声が響き。周囲には何もない商店街なのですが、観光バスが立ち寄ったり。。南三陸町の中心部のひとつとして間違いなく機能していると思います。











あ、そうそう、じつはこの日「さんさん商店街」ではチリ政府から贈られた「モアイ像」の除幕式が行われたのでした。ぬえが到着したのは夕方なので、式典はもちろん終わったあとでしたが、晴れがましくデビューしたモアイさんはこの方!

なぜモアイ? じつは、これ、今に始まった事ではありません。1960年の「チリ地震」の津波で被害を受けた南三陸町に、友好と防災のシンボルとして、1990年に当時のチリ政府が、新たに作成されたモアイ像を贈ったのでした。これは南三陸町民に大変愛されたようですが、今回の震災でモアイ像は流されてしまい。。こうして今回再びチリ政府から寄贈されたのがこちらのモアイ像さんです。







新しく見えますが、それもそのはずで、イースター島の島民が、島の石を使って作った新しい作品で、それで古い像からは欠落している「眼」も補われているのだそうです。

さて「さんさん商店街」さんを見てから ぬえは後続のBRTバスに乗り込み、柳津・小牛田で乗り換えてようやく仙台へ。またしても東京への帰りは夜行バスなのですが、まだ時間も早いので簡単に夕食を済ませたり、ネカフェで時間をつぶしました。深夜にようやく出発。

仙台~東京はさすがに人気路線なのか、往路の東京~気仙沼間と違って、本当にたくさんのバス会社が運行していました。予約時にもネットでバスの設備や待遇がよりどりみどり。で、深夜バス初心者の ぬえは豪華仕様? のバスにしました。ボランティアなのにすみませ~ん。でも車や新幹線での移動と比べれば半額にも満たない交通費だし、なにより翌朝に疲れを残す移動は弊害を引き起こしますので。。プチ贅沢ボランティアという事でお許し願いたく。。

そしたら! 本当に贅沢な仕様の夜行バスでした。3列シートはもちろん、パーソナル・カーテンはあるわ、背もたれ倒しても後ろの席に影響がないシート(「すみません、倒していいですか?」と後ろの席の人に聞かないで済む)、コンセントも付いてるし、なんかWiFiまで飛んでるらしい。

。。でも、そんな車両に乗った時に限って。。疲れがさすがに出てきて、走り出してすぐに ぐっすり寝ちゃったのでした。そんなものよね。。人生って。

かくして0泊2日の弾丸ツアーの活動は、今回も無事にミッション・コンプリート。人との出会いも多かったし、考えさせられる事もたくさんありました。有意義な旅だったと思います。でも、まだ終わったわけじゃありません。この翌日の早朝に帰京して、そのまた次の日の夜には14次活動の続き。。笛のTさんとともに再び気仙沼を訪れることになっていました。