ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第14次支援活動<気仙沼>(その14)~鹿折復幸マルシェで上演

2013-07-13 18:19:54 | 能楽の心と癒しプロジェクト
さて地福寺さんを後にして、いよいよ気仙沼市街に入りました。

この日の公演は先日ポスターを張らせて頂いた「鹿折復幸マルシェ」さんなのですが、ぬえたちはこの日東京から直行なもので少し余裕を持ったスケジュールにしてあって、開演は午後5時に設定してありました。おかげで余裕を持って会場に到着。







まずは商店街の会長さんのお店にご挨拶。。あれ? お店は定休日です。それでは、と商店街の事務所に行くと。。こちらもカギがかかっている。。途方に暮れて、先日長話をさせて頂いた食料品店さんに事情を説明すると、奥さまがお出でになって、親身に心配してくださいました。。が、やがて奥さまが気がついて、「あの2階の端の『安波山』の部屋に明かりが点いてる。。あそこにみんないるんじゃないかしら」と教えてくださいました。

安波山、といえば気仙沼のシンボルのような山で、ここ鹿折からはすぐ目の前。その山の名前を冠した部屋は、談話室兼会議室のような、一種の集会所になっているのでした。そこへ上がってみると、案の定商店の人たちらしい多くの方が集まって、なにやらお話し合いの最中でした。恐る恐る事情を申し出ると、会長さんが出てこられて「ああ、今日はよろしくお願いします。控室はこの部屋です。もうすぐ会議が終わりますから」というお答えでホッとひと安心。

装束類を車から下ろし、すぐにできる作業ということでTさんはマイクやアンプのセットを開始。ぬえは先日ポスターを張らせて頂いた商店に挨拶まわりをしました。ええと、やっぱりお店では「しらす」やらお茶やら振る舞って頂いてしまいました~



やがて「安波山」のお部屋を使わせて頂けることになり、ぬえは急いで上演の準備に取りかかります。。ふと見ると、「安波山」の壁には鹿折地区の復興のプランが何種類もの地図となって張り出されていました。さきほど志津川の上山八幡宮さまで工藤真弓さんが ぬえに示してくださった地図。。それと同じく、さきほどまで集っておられた鹿折の人々によって、新しい、未来の鹿折の姿を夢見る夢の国が描かれていました。次に来る災害に備えるべきなのか、人が集う賑やかな街を目指すのか。。街づくりの方針が定まるにも もう少し時間がかかるのかもしれませんが、ぬえは確かに、鹿折の明るい未来が描かれた地図を、そこに見たのです。

そろそろ、近所の鹿折小の子どもたちが帰ってきました。ぬえの師家がこの秋に学校公演で訪れる予定の小学校です。学校公演は文化庁の事業ですが、よくまあ、震災から2年の復興途上のこの時期に事業への参加を決定されたものだと思います。それほど意欲的で教育に熱心な先生がおられるのですね。ちょっと期待。それにしても。。ちょっと ぬえには今回の公演について心配が募り始めていました。今日この仮設商店街で、お客さまをほとんど見かけていないのですが。。

。。と思っていたら、3日前に東新城オレンジで知り合った起業家の方たちが鹿折マルシェにやって来たのが2階の「安波山」の窓から見えました。装束をほぼ着け終えていましたが窓から手を振ると あちらも気がつきました。。が、ふと見ると、いつの間にかお客さまが集まってくださっています。マルシェの方もいつの間にかステージの前にベンチを並べてくださっていて。。

やがて開演時間となり、Tさんが解説をしている間に、ぬえは例によって商店を巡ってご挨拶~。ひととおり挨拶を終えると、お客さまに混じってTさんの解説を聞きました(笑)





この日の上演曲は、はじめての場所ということで『羽衣』でしたが、ステージの上から見ていると、なんと謡本を広げているお客さんもいらっしゃいます。あとで聞けば、喜多流でお稽古をしておられる方が何人かいらしゃったそうで、ふうむ、鹿折にもそういう方がおられるんですね。お稽古が無事に復活していることをお祈りします。





終演後はこれまた恒例のお客さまとの記念撮影。仮設住宅ではこのあと装束の着付け体験などを行うのですが、野外ではそれは不可能なので撮影ぐらいしかできません。でもこの日はできるだけ面を取らずに撮影に応じてみました。









これにて鹿折復幸マルシェさんでの公演を終えて、片づけのあと失礼して、気仙沼での常宿となってきた宿にチェックイン。でも、まだまだ夜のお楽しみもあり。気仙沼の夜は続くのだった。